■はじめに・・・

CAMPFIREをご覧の皆様、はじめまして。
日本×ミャンマー長編映画プロジェクト『Passage of Life』をご紹介させて頂きます。
長文になってしまいますが、私達の企画に関心を持って頂ける方々がいらっしゃいましたら、最後までどうぞお付き合い頂ければ幸いです。

上の動画をご覧いただくと少しだけお分かり頂けるように、この映画は、在日ミャンマー人のある家族とその子ども達についてのお話しです。映画の中で、在日ミャンマー人のある少年が、家族が日本とミャンマーで離ればなれに生きなければいけなくなる状況に陥ります。その中で、彼が少年期に経験する「"理不尽な世界"に対する抵抗」と「家族への愛と憎しみ」について描きます。実際の家族をモデルとして彼らの声に耳を傾けたフィクションドラマを制作します。

■イントロダクション
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・日本とミャンマー
ここ数年、日本において“開国”をゆるやかに迫られています。 都市部だけでなく、地方でも日本人以外の人々が増え、東京で言えば、六本木や大久保に居ると、自分が今どの国を歩いているのか、分からなくなるほどです。“彼ら”―日本人以外の人々―が増えてきているということは同時に、“彼ら”が構成するコミュニティもできてきている、ということでもあります。

日本全国に約8,000人、東京近郊ではその半数以上が住み、主に高田馬場から駒込付近にかけてコミュニティを構成する在日ミャンマー人がいます。

現在、ミャンマーは2008年の民主化への方針転換以後、日本含め多くの国や投資家からの投資や支援により、急速な経済発展の渦中にあります。未だに最貧国の一つだと言われる国の都市にもかかわらず、ヤンゴンではモノが溢れはじめ、既に所々で先進国に似た風景が見受けられようになっています。

今、祖国や周りの環境が劇的に変化していく中で、彼らミャンマーの人々はどのように生きているのでしょうか・・・
また、私たちと同じ日本に生きる彼らの"家族"の物語とはどのようなものでしょうか・・・

・2つのキーワード
「家族」、「ミャンマーの人々」

"家族"と言う題材はこれまで映画を通じて多く語られてきました。2011年の震災以後は特にその傾向が高まり、"絆"という言葉の元、多くのコンテンツが作られました。しかし、その多くは、日本人のための日本人の物語です。私達が見慣れた日本に住む、日常的に日本語を話す外国人家族に焦点を当て、現代を舞台に「家族」の持つ普遍的な明部や暗部を見せる映画がそろそろあってもいいのではないかと考えています。

今回の映画のもうひとつのキーワードは、今世界から注目される、ビジネス界では、”東南アジア最後のフロンティア”と呼ばれる「ミャンマー」そして「ミャンマーの人々」です。

本映画では、舞台の半分近くをミャンマーに設定しています。ミャンマーの国自体の話をすれば、2008年に民政移管を発表、テインセイン大統領率いるミャンマー政府(文民政府)が設立されました。この“民主化への方針転換”に伴い、日本国内では、政治的・経済的関心が高まりを見せ、今やミャンマー関連のニュースを見ない日の方が少ないほどです。今後、アウンサウン・スーチー女史が立候補する2015年の総選挙によって、現在のミャンマーの民主化が本物であるかどうか、という問いが、ミャンマーへの態度を決める要素として一層の注目を浴びていくことが予想されます。

私たちは、二年近くこの企画を温めながら、ミャンマーに渡航し、数多くのミャンマー人の方々、関連する団体と接して来ました。そうした中で、民主化し急速に発展する国ミャンマー、華やかなニュースやテレビ番組での印象の延長線上にいてどんどん財産を増やし成り上がって行く人々、既得権益を持ち莫大な財産を持つ人々、一方その影で、ストリートで寄り添いながら生活をする家族、物乞い、幼いながらレストランで働いたり、身を売ったりする子ども達、そして軍事政権時代やその後、反政府運動をしたために国を追われ、アメリカや韓国、日本に移住し、未だに母国に戻れない人々がいることを目の当たりにしました。また、注目される発展や政策方針の転換の影で様々な人々が翻弄され、影響され、寄り添いながら生活を送る様々な人々に会いました。

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取材を通じて得たことをベースに、地球人すべてが潜在的に持つ「家族」を通じて、この映画が日本がこれから関わって行く(戦前戦中も深い関わりがあったのですが)ミャンマーという国と人々、と私たち日本人との関係を考える一つのきっかけにこの映画がなれればと考えています。

本映画は、在日外国人の生きづらさを告発する映画ではありません。取り巻く環境の変化に関わらず、日本人であろうがミャンマー人であろうが、家族は家族であり、それぞれに問題が存在し、子は子で特有な感性で何かを感じている、ということを、観る人々が日本の家族を見ているように“彼ら”家族を見る。そんな映画を制作したいのです。

*在日ミャンマー人は、日本全国で8,255人(2013年、統計局)、東京にはその半数以上が住んでいるという。彼らには、1988年の軍事クーデターや2007年の大規模なデモ(サフラン革命)を機に来日した人々が多い、前者は20歳前後で来日した彼ら(活動家等)の多くは、難民申請を行い、今では所帯を持つ世代となっている。中には、難民認定がおりない人々もいる。

■テーマ

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「親を許せなかった それでも一緒に居たかった」

『Passage of Life』 は ある在日ミャンマー人少年の成長の物語です。
この作品では、彼が少年期に経験する「"理不尽な世界"に対する抵抗」と「家族への愛と憎しみ」が描かれます。

クラス替え、入学、転校、親の転勤、再婚、再婚…。
子どもの事情とは関係のない所で、社会は動き、大人たちは大人たちの理屈によって子ども達は否応もなく生きています。
多くの方が幼いころに体験したことのある「自分のせいではない」ことによって起こる環境の変化。
行き場のない不安や苛立ちを感じる期間を経て、諦めからか自分の意志からか、
私達はいつの間にか、いつの日からかそれらを受け入れ人生を歩んでいきます。

この映画に登場する少年もまた同じようにそのような経験をする一人です。
少年(主人公)の体験から浮かび上がる情景や感情を通じて、観た人の記憶(過去)がリンクし、国を越えた”家族同士の愛”に多くの人が触れることができる映画を目指します。

また、映画の中では、少年が生きる世界の背景として
「在日ミャンマー人の子ども、家族が抱える問題」もたくさん見えてきます。言葉の問題、文化摩擦、難民制度、等々。
知れば知るほど、にじみ出てくる感情や浮かび上がってくる背景もこの映画の醍醐味です。

■あらすじ

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東京、高田馬場。日本の小学校に通うミャンマー人のチョウ・トゥ(11)と弟のニー・トゥ(7)は、父のソー・ポー・トゥ(40)と母のチョウ・スー(40)の家族で平穏に暮らしていた。喧嘩が絶えないが、仲の良い兄弟はまだ幼い6年前、ミャンマー・ヤンゴンから日本へ来て育った。そのため、共にミャンマー語は話せず、日本語しか話せない。

ある日、父が家族に2度目の難民申請に落ちた事を告げてから、家庭内に不穏な空気が流れ出した。それを察知したチョウは両親の機嫌を取るかのように甘えるようになる。父と母はチョウの不自然な態度に気づき、良い家庭の空気を作る様に心がけるが、夫婦が衝突する時間は増えて行った。次第に母は先行きの見えない将来へのストレスから精神を病んでしまう。古い付き合いの難民支援者・ミツル(35)やミャンマー人の仲間達は心配して家族に病院代等の支援にもかかわらず、母の容態は悪くなる一方だった。
悩んだ末、父は母を祖国で休養させるために妻と息子たちをミャンマーに帰国させる事を決意。チョウと弟は母親の容態を理解しつつも、「日本を離れたくない」と両親に反発する。納得できない子ども達に、父は「日本で皆と暮らせる様に頑張る」と約束し、チョウはしぶしぶ承諾するが納得は出来ないまま日本を発った・・・。
親戚や友人の住むヤンゴンで、彼ら家族が体験し、チョウが感じる事とは・・・。

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■キャストについて

・ミャンマー人家族
*ミャンマー人家族は、実際に日本に住むミャンマー人の家族に出演いただく予定です。

家族構成 :母 チョウ・スー
      父 ソー・ポー・トゥ(ともに40代前半)
      兄 チョウ・トゥ(9~11歳)
      弟 ニー・トゥ(5~7歳)

・ミンミン(ミャンマー語家庭教師)役
ミャンマーに帰国してから日本語しか話せないチョウ・トゥとニー・トゥの兄弟のためにミャンマー語を自宅で教える先生。先生自身も日本で留学した経験があり、日本語が話せる。

黒宮ニイナ
にいな

プロフィール:ミャンマー、ヤンゴン出身。KMミュージック所属。タレント・モデルとして活躍しながら、俳優としても活動している。『タモリ倶楽部』『たかじんのそこまで言って委員会』『マネーの羅針盤』『世界番付』『ヒルナンデス』などに出演。現在、ミャンマーと日本の架け橋となるべくミャンマー国際航空(MAI)チアアップリーダー、MESOapのイメージモデルを務め、活動の幅を広げている。

コメント:私自身幼い時に、生まれた育ったミャンマーを離れ日本に移ってきたこともあり、この映画に出てくる子ども達と似た環境を経験しています。当事者に近い存在として、日本とミャンマーをつなぐ懸け橋として、主人公たちにミャンマー語を教える役を通じて、またこの映画を通じて、二つの国の関係に貢献したいと思います。

・ミツル(ミャンマー人難民支援者)役
個人的にミャンマー人達への支援活動を行う青年。
日本人にあまり友人はいなく、口数が少ない。
主人公の家族からは身内の様に慕われている。

來河侑希
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プロフィール:2013年公開映画『HEART BEAT』(浅沼直也監督、田辺弁慶映画祭、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭)で微妙な高校生の心理描写を熱演し注目される。『ブラックエンジェルス2.3』田中役、『劇場版Boys Love』本田純司役 乙一原作『GOTH』安岡役 (監督:高橋玄)、東映『スケバン刑事』小西裕太役 (監督:深作健太)等に出演する、若手映画俳優。

コメント:私がミャンマーへ渡航した時、一人の少年と出会いました。彼は路上で親のいない子ども達を守り寄り添いながら暮らし、自分の生き方や違法ながらも船の荷物を運搬する仕事に強い誇りを感じている人物でした。その他者を想いながら生きていく強さ、命の輝きに心を打たれました。私の演じる役のモデルとなっている人物は、現在、困っている在日ミャンマーの方々と対話する中で、難民申請に必要な彼らの保証人になったり、オーバーステイで入国管理局に収容されている方の出所手助けを無償で行ったりしています。異国に生きる人々の人生を背負いながら自分の出来る範囲を自覚しながら活動しています。私はその人物にミャンマーで出会った少年と同等の誇りを感じ、その人物に畏れ多さと共に関心を抱きながら、今、彼らに恥じない「役作り」をするべくその方の背中を追っています。この映画では私が感じたことを全てぶつけたいと思っています。

■監督について

藤元明緒監督
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監督プロフィール: 1988年3月15日生まれ。大阪府出身。大学在学中、イギリス、ニュージーランドへ留学、心理学や家族社会学を学んだ後、世界的な映画監督・河瀬直美を輩出したビジュアルアーツに入学し、映画制作を学ぶ。在学中に、なら国際映画祭学生部門の選出委員長を務めた。2012年、監督自身の経験を元に、崩壊する家族を繊細に描き評価を受けた初監督作品「サイケファミリア」(短編)を製作。ドバイ国際映画祭、なら国際映画祭、サンディエゴアジアン映画祭他にて入選上映される。卒業後、拠点を東京に移し、短編映画を制作(編集中)。現在、本作であるミャンマーを舞台とした長編映画を企画準備中。

コメント:皆様初めまして。映画を監督する藤元明緒と申します。
「ミャンマー」と聞いてピンと来ない方も大勢いらっしゃるかと思います。僕自身、前まではミャンマーについて知っているのは、政府によって軟禁されたことで有名なアウンサンスーチーさんくらいでした。ここではそんな僕がいかに彼らミャンマー人と出会い、映画にしようと思ったかの経緯と彼らに対する想いをお話したいと思います。

<ミャンマーとの出会い>
昨年、僕は初めてミャンマーの都市ヤンゴンを訪れました。雨期の蒸し暑い匂い。雑多な街の風景の熱量。人々の暮らしに寄り添う様に建つ仏塔(パゴタ)の数々。東南アジアに行く事自体初めてだった僕にはどれもが新鮮で、ヤンゴンに居るだけでなぜか不思議と居心地が良くなる実感がありました。ヤンゴンを見渡すと日本の都会とは違い、良くも悪くも人々、家族の生活が剥き出しになっていて、人と人の間で物事に対する共有の意識が高いと感じました。ヤンゴンにいる居心地の良さはそうした人と人の繋がりの力に触れたからであり、それは幼い時の家族の離散や地域のコミュニティからの孤立した体験が呪縛になりコンプレックスになっている僕にとって憧れそのものでした。家族が家族として当たり前のように存在して、辛い事や悲しい事も皆で乗り越え、生きる様は人間としての原風景のように思え、僕はミャンマーの人々の魅力に取り憑かれ、いつのまにか人生の中でかけがえのない場所になっていきました。
日本に帰国してからは数あるミャンマーの民族の中でも「カレン族」や「カチン族」の人と交流を深めていく様になりました。偶然入ったミャンマー料理屋や日本人の方の紹介で彼らとは出会いました。毎週休みの日には、教会へ行ったり、自宅や店でお酒を飲んだり、くだらない話や祖国の事、自分達の将来について語り合う。以前までは彼らミャンマー人たちが日本にたくさんいる事も知らず、祖国を離れ日本で暮らす意味や想いなどを考えた事はありませんでした。遠く離れたこの日本にも、ミャンマーで見た人の繋がりの力を彼らの中からも確かに感じました。 彼らと言葉を交わし、時間を共にするうちに僕は映画を通して彼らを見つめ、もっともっと心を通わせたいと思う様になりました。
彼らと言葉を交わし、時間を共にするうちに僕は映画を通して彼らを見つめ、もっともっと心を通わせたいと思う様になりました。

<物語が生まれるまで>
国を逃れ家族と離ればなれになった者。祖国に帰りたいと願う者。日本にいるミャンマー人達と会話していく中で、映画を通じて漠然と、家族について、それも国の社会的状況のために家族が離ればなれになった人達の物語を描きたいとなんとなく考えていました。そんな時、あるミャンマー人家族の父親を日本人難民支援者の方から紹介してもらいました。その家族の父親は日本で難民申請を続けており、母親とその幼い息子兄弟は、母の体調不良によりミャンマーに1年前から帰国していました。そして子ども達は帰国時、育ち親しんだ日本を離れミャンマーに帰る事に対して反発した、と父親から聞きました。僕はその兄弟の心境について想い、いてもたってもいられなくなってすぐにその母親と兄弟に会いにミャンマーへと向かいました。
日本語を話す兄弟は怪獣の様なエネルギーで家の中を遊び暴れ回っていて、見知らぬ僕に対しても日本人が来たという嬉しさからか彼らとはすぐに仲良くなりました。この家族がこの先、日本とミャンマーどちらに住むのか、帰る場所の目途も立っていません。子ども達は僕に「ミャンマーなんて嫌いだ。ぼくは日本人なんだ。」と言います。しかし、父親には「早くミャンマーに帰って来て」と電話で話します。母親の話ではミャンマーに来た当初、二人とも「日本に帰りたい。」と言っていたそうです。僕には、子ども達がミャンマーという国を無意識に受け入れ、日本に住む事を諦めて、家族皆と生きる道を切望している様にも感じました。この変化の間には、子ども達が両親に苛立ちをぶつけたり様々な衝突があったそうです。時代と国の理不尽さや親に対する憎しみと対峙した時、この子達はいかにそれらと向き合い、乗り越えていったのだろうか。
この兄弟の力強さに触れた時、いい大人になってもぐずぐず家族の確執やコンプレックスに縛られている僕は何て小さいんだろうと感じつつ救われた気持ちになりました。その時僕はこの兄弟と家族をモデルに映画を作ろうと決めました。きっとこの兄弟の物語は日本とミャンマーという国の枠を越えて、誰もが子どもを経験した世界中の人々にとって普遍性を持ったものになると思ったのです。

<映画が目指すもの>
モデルとなる家族含めこれまで接してきたミャンマーの現実と、僕ら映画制作者が生きてきた現実が、”今”出会ったからこそ作ることのできる、純度の高いフィクション映画を皆さんに届けたいと思います。言語化されたメッセージのみを訴えるのでは無く、映画館という空間だからこそ、彼らが生きている時間や風景、音、想いを、多くの方が全身で追体験出来る共有性・共感性を持った映画を目指します。

最後に余談ですが、先日少しショックな事がありました。ミャンマー人の仲間の皆と居酒屋で飲んでいる時、隣にいた日本人の若い人達は彼らの顔を見るなり嫌悪感を示す言葉を放っていました。理由は分かりません。この映画体験が「ミャンマー人兄弟と家族の物語」で消化するだけではなく、今日本に住んでいる外国人の方々と僕達日本人の心の距離を近づけられる様な、また互いの国の共生について考えるきっかけに発展していければうれしいです。

どうか皆様の温かいご支援をよろしくお願いいたします。 藤元 明緒

■スケジュール/制作組織について

スケジュール
2014年4月  国内取材・ミャンマー渡航(シナハン・ロケハン等)
2014年6月 脚本決定稿 完成
2014年7月 ミャンマー渡航(ロケハン等)
2014年8,9月 撮影(日本、ミャンマー各2週間を予定)
2014年11月 完成・国際映画祭出品(ベルリン映画祭出品予定)
2015年 夏 国内劇場公開(東京、大阪を中心に全国順公開予定 規模:全国映画館20館、公民館20館、舞台(での併映)10館程度。他)
      ミャンマーでの上映
*ミャンマー情報省を通じ公的な上映許可を備えた映画として上映を行います。

制作組織
製作/制作:株式会社E.x.N
www.exnkk.com/

現地制作協力:アウン・コー・ラット監督
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プロフィール:ミャンマー出身・在住。映画監督・TV プロデューサー・カメラマン・編集。
1970年代のヤンゴン大学学生時代に、ミャンマー初のロック・グループのボーカリストとしてカリスマ的存在に。現在も年代を越えて国内で圧倒的知名度を持つ。ミャンマーにおける映像関連技術のパイオニアであり、オーディオや動画技術の先駆者としても知られる。これまでに、数百に上るTVCMや音楽ビデオ、ドキュメンタリーを製作。ミャンマーの少数民族に造詣が深く、各地の少数民族の映像を記録している。ミャンマー映像産業協会事務局長を務める傍ら、映像技術専門学校の開校を目指し、後身の教育にも取り組んでいる。

協力:ミャンマー映画祭
日本で初めてミャンマー映画の字幕付き上映を行った映画祭(2007年第一回~)。
2012年にミャンマーで開催された欧米インドアジア参加の映画ワークショップに招待され日本代表として出席。映画祭だけでなく、国際機関日本ASEANセンター等で開催される上映会を通じて、ミャンマー映画を紹介している。

ミャンマー映画祭HP:http://cinema.888j.net/

■最後に・・・

CAMPFIREにて、御支援頂いた資金は、企画開発運営費及び制作費の一部として当てさせて頂きます。
映画完成の暁には、ミャンマー現地、そして日本全国にて、巡回していき年月をかけた「息の長い上映」を行っていきます。
刻一刻と変わる”今”でしか撮ることの出来ない物語を捉え、以後も長く残っていく作品を目指します。
私達は、誰もが持つ”家族”と日本に住んでいる、日本と関わりのある”ミャンマーの人々”をキーワードに据えて、”今”を切り取る映画を、観る人々が(特に日本の人々が)他の種族や国籍を持つ人々と分かりあうきっかけとなる映画を、2015年になんとか存在させたいと考えています。そのためには、皆様からのご声援が多大な助けとなり、映画制作の大きな後押しとなります。
資金以外でも、コメントでも、御感想でもなんでも結構です。お力添え頂ければ幸いです。

一緒に映画が作られるまでを体感して行きましょう!

長文ではありますが、最後までお読みいただき大変ありがとうございました。
どうぞご支援のほど、宜しくお願い致します。

ご質問、ご要望などございましたら、下記アドレスにお問い合わせ下さい。
Mail passage.of.life2014@gmail.com

Website www.pasage-of-life.com/

FacebookPage https://www.facebook.com/passage.of.life.2014

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  • 2017/12/05 10:42

    こちらの活動報告は支援者限定の公開です。

  • 2015/01/15 17:11

      いつも応援していただいている皆様日本・ミャンマー映画制作委員会2015です。   去る2014年12月28日、日本とミャンマーの外交関係樹立60周年記念事業の一つのイベントとして、映画制作報告会をミャンマーのヤンゴン日本人学校にて無事に開催しました。映画制作報告会のレポートをメールマ...

  • 2014/12/07 20:13

    いつも応援していただいている皆様 日本・ミャンマー映画制作委員会2015です。 皆様、長らくお待たせいたしました…… ついに本日より『Passage of Life』のメールマガジンを配信する運びとなりました!!!先日、日本編の撮影が終わり、撮影隊は現在ミャンマーにて撮影を行なっております。...

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