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  • 在住国:日本
  • 現在地:京都府
  • 出身国:日本
  • 出身地:京都府

全てはプレーする子ども達、選手の安全の為に。プロジェクトをお気に入り登録お願い致します。 京都府京都市出身 夏休み、冬休みは父の故郷の浜松に幼少期は中田島砂丘で走り回る。夏休み最終日まで浜名湖でひたすら泳いでから京都に帰るヤンチャ坊主。 京都で七条中からラグビーを始める。2つ下にはあのスクラム番長がいる。当時は部が無かったので、着任した二宮校長先生がラグビーの先生だった為、創部しようか?の一言で創部。ザラ半紙にラグビー部員募集と書いた紙だけ貼りまくった。その校長先生と確か同期だったかな?川勝主一郎先生が率いる京都花園高へ進みラグビーを続ける。それから当時は名も知れていなかったトレーナーに興味を持ち、専門学校卒業後、さらに通学しながら大阪府茨木市のクリニックにて修業。当時はトレーナーと言えばスポーツインストラクターのイメージが強く、バイト先は伏見工業出身のトレーナーが責任者をしているスポーツクラブでした。ヘルスケアトレーナーと言う言葉を聞き、非常に興味を持ち院長にひたすら質問のオンパレードだった。 その間1994年まで年々変わり増えて行く様々なトレーナー、指導者、指導員等目まぐるしく変わる期間を過ごしながら勉学。思えば院長と 最初に立ったお付きの業務はボクシングの計量を人目触れない所で見る事でした。後に世界チャンピオンになるボクサーでした。最初にクリニックの院長に言われた事は、当直で貯めたお金等、充分な事はしたから自分が活躍出来る時が来るまで人と接する仕事をしなさい。コミュニケーション能力が足りないと言われ、全く畑違いのサービス業に長年就く。その間も休日はラグビーと共に歩む。 両肩に脱臼癖があり3度手術、高校2年時に天理遠征にて右目網膜剥離の後遺症が消えず、しばらくしてクラブチームでラグビーに復帰。プレーヤーから退いた後は、ラグビーのコーチ、学校、クリニック、さらに学校で学んだ事を活かしメディカルサポーター制度からセーフティアシスタント制度に移行してきたラグビーの安全対策要員としてトレーナーとセーフティアシスタントを兼務。 日本協会トレーナー講習終了。 現在は京都府立桂高校ラグビー部チームトレーナー、京都ORCAラグビークラブチームトレーナー、マスターズカテゴリー専属セーフティとして活動しています。 ラグビーをはじめ、全ての学校部活動、体育活動、運動会などイベントの子ども達、学生プレーヤーの為に。脳震盪、熱中症、下肢の怪我、骨折などでの緊急対応に配置を。子ども達、先生、保護者が最初にやっておいて良かった、対策しておいて良かったと思える事を願います。安全対策に強豪、私学公立は関係ない。平等であるべきです。 このプロジェクトが私の集大成と考え、後任の育成に現場を離れずに携わる所存です。 ラグビーは危険なスポーツのイメージが強いですが、それは違います。身体作りをしっかりしてしっかり身体を当てれば、私達セーフティの入る率は実は低いんです。 中途半端なプレー、コンタクトがあらぬ怪我を引き起こします。 長年グラウンドに立って1番思う事です。対応に必要な用具を皆様のご支援で配置。そこからスタートなんです。 7月12日までの第一弾。ご指導される方々に取ってもしっかり練習をして本来あるべき安全対策を。 ご支援よろしくお願い致します。 京都伏見桃山にてパーソナルジムAid伏見桃山店を運営している。 京都商工会議所会員

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