1982 年コーラスをメインとした平均年齢 18 歳が集まり結成した高校生8人組ロックバンド(MOZANBEEK )が始動。 原宿サンビスタ、クロコダイル、そしてまだ高校生ながら、国立音大の学園祭に招かれライブをするなど勢力的に活動。 同年行われた音楽コンテスト NHK ヤングミュージックフェスティバル東京大会(NHKホール)において銀賞を獲得。 その時ゲストの佐野元春氏よりメンバー楽屋へ案内され個人的に高い評価を得るが、その直後バンドは解散。 翌年、川村は自らのバンド HOO-CHII-KOO を結成し、デモテープ制作、 LIVE 活動で再始動。 前年に出場した NHK ヤングミュージックフェスティバルにおいて審査員特別賞を受賞。その時の審査員、林 立夫氏、ゲストのカシオペアにサウンド性や歌を高く評価される。 その後、新たに川村康一 with Sunrise Party を結成し、主に新宿ルイードではデビュー前の徳永英明とのジョイントライブを超満員で終える他、渋谷ライブイン、 Egg-man での LIVE 活動を精力的に行う。 1986 年レコード会社、プロダクションに送ったデモテープが高く評価され、数社のプロダクションからアーティスト、作家としての誘いを受ける。 満を持して、キティアーティスト(当時所属アーティスト:安全地帯、久保田利伸、バービーボーイズ、RCサクセション、来生たかお他多数)とアーティスト契約を結び、 1989 年 5 月 21 日、 BMG ビクター/airレーベル(注)よりアルバム『 HAVE A GOOD-TIME 』、シングル『 GOOD-GOOD-GOOD 』でデビュー。 同アルバム 10 曲中、 7 曲が CM タイアップ曲となる。 翌年にはハワイレコーディンによるセカンドアルバム『 STEP on the "cherry" Wave 』をリリース。ハワイをテーマにハワイで絶大なる人気を誇るサーフミュージックの帝王カラパナが参加。同アルバムからも 5 曲の CM タイアップが決まり、当時大人気の音楽ラジオ番組 TBS 「サーフ&スノー」のパーソナリティーでアナウンサーの故松宮一彦氏に大変気に入られ番組の常連アーティストとなる。また、 FM フジの番組製作陣にも多大なる高い評価を得る。 これをきっかけに FM フジにおいて約 2 年半の間、川村自らの選曲による音楽性の高い 1 時間番組「HAVE A GOOD-TIME /毎週日曜午前10時」のパーソナリティーを勤める。 1989年シングル『A-side: ふたりのスノーランド/B-side: Winter Love』神立高原スキー場イメージテーマソングをリリース。 1990年シングル『A-side: 愛しのジュリアス/B-side: 羽のない孔雀』TBSテレビ「スキーにして」主題歌をリリース。 2019年にデビュー30周年を迎えここで新たな決意。昨年31年の時を経て念願のサードアルバム「MY PRIMARY COLORS」を発表。シティポップに新たな風と世界観を纏い話題となる。Apple Musicアメリカ J-POPアルバムチャート最高4位。Apple Musicスペイン J-POPアルバムチャート最高6位。他、韓国、タイ、オーストラリアで楽曲がチャートインするなど世界でも注目されている。 (注)airレーベル(山下達郎、濱田金吾らがair records設立)その最後のアーティストとなる。
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