大正末期から昭和初期。聴覚障害者への教育は、口話法(口元を読み取り理解する方法)が主流となり、手話を締め出しました。それに対して異を唱えたのが、大阪市立聾唖学校...
私たちピースボートは、この夏、74年前に被爆した「明子さんのピアノ」を船に乗せて、その演奏を通じて、被爆者の”声”と”思い”を広く届けるプロジェクトを企画しました。