有限会社長沢ベルト工業 代表 長澤 猛臣 年齢 40代半ば 服飾専門学校を卒業後、株式会社ファイブフォックス ミセスブランドの生産担当として入社。 退社後に皮革素材及び革製品を学ぶ為イタリアへ留学。現地インターンにてバック工場へ入社し生産工程を学ぶ。 帰国後、衣料生産商社へ入社し大手アパレル商内において素材のプレゼンから受注・生産・納入まで一貫して業務を行う。 30代半ばで実家のベルト工場を受け継ぐ。ベルト及び革小物の企画提案・生産・納入まで一貫した業務内容を構築。 取引先をベルトの卸問屋中心からアパレル企業への直販へシフトし、販路を拡充させる。現在は既存のOEM生産に加え、工場の強みを生かした自社商品を展開する。 子供の頃から決まった物事に流されることを嫌い天邪鬼な性格ながら、いざとなると度胸がなく足踏みをしてしまう性分でした。 ベルトの製造工場の一人息子として育ち、年を重ねるうちに何時しかこの工場を継がなくてはならないという使命感を次第に持つようになりました。ただ継ぐのは視野が狭くなると考え、ベルトもファッションの一部、アパレル業界へ飛び込みました。ファッションなどあまり興味がなく務まるのか不安でしたが、入社してみるとおしゃれな社員ばかりではないことに気づき、日々の業務の中で衣料関係の様々な仕組みを学ぶことができました。 30代半ばになると、もともとの天邪鬼な性格と家業への使命感から自分を新たな環境へ投じなければいけないと考えるようになります。 退社する際に上司や先輩方から、「なぜベルト屋を継ぐのか。国産のベルト工場は衰退する。」などなど、皆口をそろえで言われました。確かにそうかもしれません。そこは私の性分、言われれば言われるほど家業への情熱が沸いてくるのです。 家業を継いでから現在に至るまで様々な改革を行いました。その改革の中で障壁となる先代との確執お家騒動は非常に体力を消耗しましたが、お互いの目標は一致していた為何とかなるものです。このように全ての出来事に大変やりがいを感じている毎日です。 紳士ベルトの製造工場として創業し半世紀、皆様のご支援のおかげで現在までベルト一筋で作り続けることが出来ました。これからは長年作り続けた実績を融合して新たな商品を生み出す、まさに試される時代なのです。 ベルトは控えめですが大役を担っています!ベルト工場の小さな思いがいつかは皆様の大きな喜びにつながるように願っております。 これからの長沢ベルト工業を、是非ご期待ください。
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