1988年、東京都世田谷区で生まれ、小学1年の時に太子堂サッカークラブに入団して6年間在籍した。 その後横浜F・マリノスのユースに入団。2007年に横浜F・マリノスでプロ選手としてのキャリアをスタートさせたが、十分な結果を残すことはできなかった。 2011年に海外挑戦の場としてシンガポールのアルビレックス新潟シンガポールに移籍。アルビレックス新潟シンガポール在籍時には欧州で代理人をしている人物と出会う。本人談によればアルビレックス新潟シンガポールから契約延長の申し出があったが、ヨーロッパで挑戦したいとの想いから断り、2012年1月にラトビア・ヴィルスリーガ所属のFBグルベネでテストを受け、2月に晴れて合格をして移籍をした。ヴィルスリーガ2012シーズンでは14試合に出場して9得点を挙げる活躍をした。3月から4月までの月間MVPには斎藤が選出された。シーズン中盤にヴィルスリーガで4度優勝しているFKヴェンツピルスに移籍をした。FKヴェンツピルスでは6得点を挙げ、FBグルベネ時代の9得点を合算してリーグ単独2位の15得点を記録した。シーズン終了後、ラトビアサッカー連盟は2つのシンボリックチーム(22選手)を発表し、第1チームのフォワード部門で選出された。 2013年1月、ドイツ3部に所属するSVダルムシュタット98でトライアルを受けたことがキッカーの電子版で報じられたものの、テストは結果的に不合格となった。 その後、各国のクラブが合宿しているトルコへ渡り、ロシアリーグの2部に所属するFCウファでテスト生として参加。1月16日、スイスのセルヴェットFCとのテストマッチ(2-1)では25メートルの距離から得点を挙げるなどした。同年2月、FCウファに2年半の契約で移籍をした。しかし、怪我で結果が残せず、プライベートでの問題も重なり同クラブを退団。 1度は引退を決意したが、ブログなどのコメントに励まされた結果、膝の治療を経て再びプレイすることを決意。 2014年5月、練習参加していたベラルーシ・プレミアリーグのFCスウツクに移籍した。2014シーズン第9節のFCディナモ・ミンスク戦で初出場、第14節のFCミンスク戦で初得点を記録。シーズン通して17試合に出場し、8ゴールをマークした。
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