2019/04/05 09:39


昨年9月には福島詩祭に呼んでいただき「<ことばの光、ことばの風>――よしきりの舌に春の光」と題して講演をさせて頂きました。内容は――

郷里高知の自然に恵まれた暮らしのなかでの詩との出逢いや、共に生きてきた詩への思い。この福島出身の、草野心平の「富士」という詩の、「よしきりの舌にも春のひかり」という一行のことばの光に詩の洗礼を受けたこと。

「詩を知る」とは、詩のことばにこの身が、生涯消えることのない彫刻をされることではないかとの思い。

また、話題になった「明日戦争がはじまる」という詩についても、政治的な背景以前に、あらゆる尋常ではない場面に毎日ひとがさらされ続けていると、いつの間にかひとは刺激に慣れて「思わなくなる」つまり「思考停止」してしまう。

そんなひとの心のこわさを表現したかったのだと思うと…。なぜなら、イラク戦争に行った元海兵隊の兵士の「感情のないマシーンになった」という告白も聞いた。軍隊では命令に従わせるために「感情を消し去る」訓練をするという。

私の詩は、まさにここにつながるとみなさんにお伝えして、「明日戦争がはじまる」「波が寄せている」「しあわせには名前がない」などの自作を朗読しました。

今回は高山利三郎氏(栃木)と私(埼玉)の二人を呼んで頂いた。高山氏は全国各地の学校で詩の授業を実践されているとのことで「子どもたちに詩の読み方、書き方を――詩の授業実践を通して」の演題で、たいへん興味深いお話でした。

詩祭は福島県を①県北(福島・二本松他)②県中(郡山・須賀川他)③県南(白河・西白河郡・石川郡他)④会津⑤相双(相馬・原町・双葉郡他)⑥いわきの六地区に分け毎年持ちまわり制で開催されているとのことで、今年の担当は県南地区の白河市、矢吹町でした。

詩祭のようすは『詩と思想12月号』の「地方からの発信」のコーナーに、「どっこい、詩は元気になっている。――福島詩祭レポート」と題して寄稿させて頂きました。

40年前第一回の福島県現代詩人会が開催された場所、「福島県現代詩人会発祥の地の、記念すべき場所で、県詩人会のふるさと」矢吹町の公民館で講演させてもらったことも光栄でした。

最初のご挨拶に、福島県詩人会・会長の斎藤久夫氏が「実は僕の家には、『ラ・メール』の一号と最終号以外は全部揃ってるんですよ」と講師紹介のときに、まさかの「ラ・メール」という古い詩誌の名を口にされて驚きました。福島県詩人会のふるさとで、私の詩のふるさとにも戻った思いがしてたいへんうれしかったです。

詩祭会場には、先日上野で行われたUPJ6(ウエノポエトリカンジャム6)という、詩の朗読にラップにMCバトルにスポークンワーズとジャンルを超えた言葉の野外フェスに参加した若者も来てくれていて驚きました。

 グローカリズムということばを耳にする。あまり耳障りいいことばではないが、グローバリズム(多様性)とローカリズム(地方性)を混ぜた造語とのこと。

 今、ことばもひとも催し物も中央から周辺へ、周辺から中央へとさまざまな世代や対立を超えて、緩やかに混ざり合い始めたようだ。裾野から熱い風が吹き上げて、ことばの地殻変動が起きている気がする。

 どっこい、詩が元気になっているのだ。

 歴史は事実を伝えるが、庶民の感情は残さない。それを残すのが詩歌の仕事だと思うと、福島という疵を被ってしまった土地に住むみなさんに向かって、講演の最後に締め括らせて頂いた。


宿泊先は以前お世話になったいわきの温泉旅館『古滝屋』さん。若いご主人とも久しぶりにお会いして、お話もできました。お客さんもだいぶ戻っているとのこと、お元気そうでよかったです。おたがいに著書の交換などしました。

ここでの二次会でいただいた「めひかり」というお魚の天ぷらが最高においしかった。からだいっぱいに白身が詰まっていて「からだぜんぶで、おいしく食べられるために生まれてくれたよう…」と思わずつぶやいて…じんとしてしまいました。。温泉のお湯もやわらかくて、あたたかくて、疲れがとびました。

お世話になったみなさま、ありがとうございました!