2019/06/12 09:12

デフフットサル日本代表候補の千葉駿介と申します。


6月11日まで370人の方々からご支援いただいております。

本当にありがとうございます。


今回は私の今までの生い立ちを中心に語らせていただきます。


『生い立ち』

3人兄弟の末っ子で「こち亀」や「寅さん」のモデルとなっている東京都葛飾区で育ってきました。


私以外全員健聴で、私自身6歳までは健聴でした。

6歳のある日、いつも通りテレビを見ていた私でしたが、テレビの音量を大きくしていたことを不審に思った親が病院に連れて行き、難聴であることが判明しました。

そこから補聴器を付けての生活がスタートしましたが、小学校から大学まで健聴者と同じ学校に通ってました。

先生の声が聞こえやすいように席を前から2番目の席にしてもらったり、友達にノートを見せてもらったり、色々と助けてもらったお陰で学生生活は難なく過ごすことができました。


『学生時代でのサッカー』

兄の影響で小学校1年から始め、地元のチームに所属していました。

小学校時代はGKではなく、MFをやっていて、将来の夢はサッカー選手と書くほどサッカー大好き少年でした。


中学生の時に日韓ワールドカップで大活躍したドイツ代表のオリバーカーンの影響でGKを始めました。


高校ではサッカーの強豪校に行き、厳しい練習の日々で何度も辞めたいと思ったのですが、仲間に支えられて最後まで続けることができました。

当時の顧問は現在、全国高体連サッカー専門部部長というすごい方です。



『デフサッカーとの出会い』

サッカー部ない大学に行きましたが、高校の先輩に誘われて社会人サッカーチームに入っていました。

ある日インターネットで「デフサッカー」の存在を初めて知りました。

今まで同じ障害を持った人とサッカーしたことなかったので興味を持ち、TDFC(東京デフフットボールクラブ)に参加してみました。

今まで手話を使ったことなかったので、みんなの手話のスピードが早過ぎて、言葉の通じない外国にきたような孤独感を味わいました。


手話に慣れない日々でしたが、なんとかコミニケーションを取れるレベルまで手話を覚え、22歳で初めてデフサッカー日本代表に選ばれました。

現在に至るまで国際大会に通算20試合近く出場し、1ゴール、デフリンピックに二度出場しました。



『南葛SCでの日々』

キャプテン翼という漫画をご存知でしょうか。

キャプテン翼の作者である高橋陽一先生を後援会長とした社会人チーム「南葛SC」に5年間所属していました。

チームメイトに元Jリーガーやブラジル人、たくさんのスポンサーや恵まれた練習場、たくさんのファン、本当にプロ選手のような最高の環境でサッカーをすることができました。

絶対に負けられないプレッシャーがある中、日々サッカーについて学ばせていただきました。


関東大会で優勝したり、全国大会3位になったりと今までのサッカー人生の中で一番輝いていたかと思います。


『フットサルを始めたきっかけ』

南葛SCを退団してから、県リーグ1部のチームに所属していましたが、そのチームは半年で退団。

その半年間でグロインペイン症状群になったり、思うような結果が出せず、サッカーの面白さを少しずつ失ってきました。

そんなある日、上井くんから突然一通のラインがきました。

「フットサルやろう!お前いたら世界一とれる」


このラインがきたときは、あまり乗り気ではなかったのですが、試しにOURVISIONに参加してみました。

そのときは紅白戦だったのですが、攻めるのが大好きな私にとって、パス一本でゴールに繋がるというフットサルならではの魅力に引き込まれ、フットサルを始めました。


『現在』

私は現在、

サッカーチーム

S.F.C東京(東京都リーグ2部)、

フットサルチーム

MARE PARADA(千葉県リーグ2部)

の2つのチームを掛け持ちしています。


なぜ掛け持ちしているのかというと、

サッカーでもフットサルでも世界No.1になるために妥協はしたくないからです。

私は中途半端という言葉が大嫌いです。

やるなら最後までやり通す、それが私の生き方です。


ここだけの話ですが、本来は今年だけ代表を辞退する予定でした。

なぜなら私には妻と、もう少しで1歳になる娘がいるからです。

アスリート採用ではないので、合宿費や遠征費、シューズやキーパーグローブなど、全て自己負担です。

それらの費用だけでも年間70万円程かかっています。

娘を育てるお金を貯めたい気持ちと日本代表として活躍したいという気持ちの葛藤があるのが事実です。

また、南葛SCに所属していた時、日本代表経験のある選手から、国のために戦っているのに自己負担があるなんて、考えられないと言われました。


そんな葛藤の中、代表に参加することを決めたのは、やはり世界一を取るチャンスを無駄にしたくなかったからです。

辞退してしまったらこの先絶対後悔するという気持ちを捨てられず、今フットサル日本代表として世界No.1を取るためにここにいます。


しかし、自己負担はかかっていることは変わりありません。

どうか日本を背負ってプレーする選手の負担が少しでも軽く済むように皆様のご支援、ご協力をお願い致します。

全ては世界No.1になるために。



千葉駿介