2019/06/12 16:31

背番号7番の川畑菜奈です。

ブログを閲覧いただき、ありがとうございます!


自分のことを話したいと思います。

「北の国から」で有名な北海道生まれで、デフファミリー(家族みんな聴覚障害持ちのことを言います)です。生まれた時から耳が聞こえなかったので手話で育ちました。

なので、もの心ついた時からずっと手話で色んなことを学んだり、コミュニケーションを取っていました。学校も高校までずっと聾学校に通い、手話が当たり前の学生生活を過ごしてきました。


小さい頃から体を動かすのは大好きで、鬼ごっこや隠れんぼはもちろん、ドッジボールやバスケなどなどなんでも遊びました。中学に上がる前、サッカー部の監督からサッカー部に来ないかとお誘いがありました。(聾学校だったので、乳幼児相談室(0~3歳)から中学までずっと同じ学校でした。)

その時の私がサッカー部に決めた理由が「他の女子と違うことをやってみたい!」でした。その当時、部活は陸上部、バドミントン部、サッカー部の3つしかなく、陸上部は最初から選択肢にありませんでした。となると残りはバドミントン部かサッカー部になるのですが、大抵女子はバドミントン部、男子はサッカー部に入るという流れで部活が決まることが多いのですが、私はそれじゃつまらん!!と思ったのと上記の理由からサッカー部に入ることに決めました笑


きっと父の影響も少なからずあったのだと思います。実は父も昔、中学からサッカーをやっており、デフサッカー日本代表としていろんな大会に出場してきました。母は高校時代、サッカー部のマネージャーをやっていたのでこうやって見ると私がサッカーを始めるのは運命だったのかなと思います。


中学と高校の6年間は男子サッカー部に混ざって練習していました。中学の時は公式戦に出ましたが、高校はルール上出ることが出来なかったため、練習や練習試合で技術を磨いてきました。

大学で初めて健聴の世界に入り、最初の頃は人見知りが発動し、コミュニケーションに苦しみながらも最終的には同期に恵まれ、楽しい大学生活を送ることが出来ました。 

大学1年の時、女子サッカー部に入ったのですが、人数が8人しかいないということが発覚し、試合も毎試合最初から数的不利な状況で戦わなければならないことから半年で辞めてしまいました。その後にフットサルチームに入り、そこから本格的にフットサルをやり始め、今ではSDFCアレグリーナでサッカーもフットサルもやっています。

私は今の女子代表メンバーの中で1番長く代表をやっており、デフ女子サッカーもデフ女子フットサルも創立時からずっとプレーしてきました。

最初の頃は、サッカーやフットサルの経験がない選手、他の競技をやっていた選手などが多く経験のある選手はかなり少数しかいない寄せ集めで集まったメンバーでした。

合宿へ参加するときにかかる交通費は全て自己負担、合宿で使うボールも自分たちで持参、みんなと同じ練習着はなく色だけ揃えて各自で準備したメーカーがみんなバラバラの練習着で練習をしていました。

その頃の詳しいお話は岩渕さんからも紹介がありました「アイコンタクト」という本や映画があるのでぜひ見てみてください!!現在のデフ女子フットサル日本代表メンバーのうち私も含め6名が出ています!


そんな環境の中でデフリンピック(ろう者のオリンピック)やワールドカップに出場し、少しずつ実績を残していったことで、少しずつ環境が良くなり、現在ではデフサッカーもデフフットサルも選手のレベルもかなり高くなり、全員同じ練習着を着て、同じボールで練習ができる環境になりました。

しかし、それでも合宿や遠征、大会に出場するためにかかる費用はいまだにほぼ自己負担です。そのため、金銭面で代表を諦めざるを得ない選手も過去にいました。

そういう部分が大きく変わるためには【優勝】という結果を残すしかないと思っています。

ずっとデフ代表をやってきて、今が1番【優勝】が手に届くレベルにあると確信しています。

4年前のワールドカップで届かなかった【優勝】。今年のワールドカップで最高の舞台で、最高のメンバーで、世界のてっぺんを取って、最高の笑顔で終わりたいと思っています。

皆さんの力が必要です。ぜひ応援をよろしくお願いいたします!




#7  川畑菜奈