2019/07/08 10:00

【大阪北部地震から1年】


6月18日大阪北部地震から1年が経ちました。

山形県沖を震源とする震度の地震が発生。被害の全容はまだわからないですが

大きな揺れのあった地域では、また大きな揺れがあるのではないかと

不安な心中を察します。


1年前、自宅で大きなたて揺れと横揺れのなか、割れる食器と向かってくる家具などをよけ、

安全を確保したのち、家から両親の無事を確認しに向かいました。


途中、鉄橋の真ん中には乗客でいっぱいの通勤電車が止まっているのが目に入りました。


両親は、実家からお店に来ていて無事を確認しました。


お店は、窓が割れ、食器や瓶がいたるところで割れていました。

建物は、壁が剥がれ落ちてるところや、剥がれ落ちそうな所もありました。


余震があるかもしれないので、両親とお店の駐車場に避難しました。


そうしていると、スタッフ・アルバイト・知人が続々と集まり

余震も大丈夫そうになり、壁や食器などの片付けみんなで手伝ってくれた。


夕方からは雨が降るという予報もありブルーシートが必要との情報をSNSに載せると


昼過ぎには、愛知県から元アルバイトスさんがブルーシートをもって駆け付け、ブルーシートを

貼るのを手伝ってくれた。

地震発生から6時間後には、京都から知人がブルーシートを大量に持って来てくれた。

そこから、近所の人にブルーシートを配り、SNSで必要な方にお渡しできるようお知らせした。


翌日には、全国からブルーシートが届いた。


3日後には足場も建ち、建物の壁が落ちる危険もなくなりホットした。


しかし、翌日、玄関の扉が割られ泥棒にはいられてしまった。(ガラスを割られた以外は大した被害はなかった)

地震の日からガスが止まり、街には人がいない


でも、この被害が広がらないよう、みんなに呼び掛けた

有志が20人も集まり、ガスが復旧するまで夜警をした。


全国のガス会社の協力で地震から1週間でガスは復旧

翌日から雁飯店は営業を再開することができた。




令和元年5月1日

雁飯店は、平成30年に起きた地震や台風など度重なる災害を乗り越え

50周年を迎えることができました。

令和元年6月18日

大阪北部地震から1年、いつも通りにお客様を迎え

いつも通りに笑顔で接客し、笑顔で帰るお客様にいつも通りに

「ありがとうございます」とお見送りをすることができました。




いつも通り




いつも通りに、ありがとうございます




クラウドファンディングに挑戦するきっかけは、

地震の後に一緒に夜警していた方が、企画していただいていた

クラウドファンディンセミナーが地震からわずか9日後に開催されたこと


まだ被災地だった茨木市で開催していただいたことを

「かならず意味のあるものにする」とこの時決めたからです。


復興への歩みがこの時はじまりました。




しかし、7月5日には茨木市内を流れる安威川がもう少しで氾濫するぐらいの大雨

雁飯店の入り口は、大量の雨漏り、山間部では通行止めになるほどの土砂崩れ


7月28日には、茨木市最大級のイベント「茨木フェスティバル」が観測史上初の

東から西に移動する台風の為、数時間で途中で中止となり


9月4日には、大阪府を縦断し甚大な被害をもたらした、台風21号により

地震で被害を受けた地域にも、追い討ちをかけ、甚大な被害を受けました。




なかなか復興への一歩が進まなかった



1月に開店以来ずっとお米を納品していただいていたお米屋さんが閉店

お米を納品してくれる業者さんを探していた。



茨木の山間部はとても空気も水も綺麗で、美味しいお米が採れる地域で

「茨木市のお米」を使いたい、みんなに食べてほしいと思い


山間部の「見山の郷」のお米を使うこととなった。


とてもおいしいご飯

評判もよかった


しかし、山間部でも相次ぐ災害の影響があり、収穫量が少なくなっているようだった。



茨木市の「やま」も「まち」も災害からの復興まだまだ


なんとかしたい!




わたしができること



「餃子」



餃子でみんなを笑顔に!

餃子で日本を元気に!



地震からやっと、いつも通りになりつつある今


わたしができる復興への第一歩


茨木市の「やまとまち」をつなぐ

「餃子ポン酢プロジェクト」




茨木市を盛り上げます。


「大阪といえば餃子」「餃子といえばポン酢」



大阪も、餃子界も盛り上げます。