2019/10/24 19:52

こんにちは、macaroomのアサヒです。

楽曲アレンジの作業は進みつつあります。デモトラックはいくつか出来ていて、一応は流通会社とか関係者には渡せるような状態にある。


普段macaroomでは、基本的にはぼくがアレンジを考えていって、コンピュータ上で音を作っていく。その上で、ボブの力が必要な時は、なんらかのボブ手作りシステムを導入する時もあるし、

emaruのアドバイスで曲の方向性が大きく変わる時もある。


今回も基本的には同じ。まあ、ぼくらの好きなようにやるっていうこと。

知久さんは、むしろそれを面白がってくれているみたいで、ぼくらが提案することや、ぼくらのいつものやり方に乗っかりたい、っていうことらしい。


だから知久さんはおそらくあえて、あまり自分の意見というか方向性を示さない。


ただし、知久さんの感覚や態度というのは確実に影響するわけだ。

たとえば、ぼくはその歌詞の世界観に飛び込んで溺れながらアレンジを考えているわけだから、

自ずとでたらめな夜と対峙することになる。

かれこれ数年前に我々のアレンジに対して知久さんは「お気に入りかもしない」と言った。これは電車かもしれない、という曲の無断アレンジに対する声明。


ぼくはその感覚や態度を観察してきた。

知久さんだけじゃなくって、マネージャーのわたせさん。

しこたまワインを飲んでべろんべろん状態で居酒屋を出ると、空を見上げて月に向かって投げキッス。

あたしは満月が出てる夜は誰ともキスをしないんだよ。

月にキスをするから。


名前のない何かそのものをどうやって、純度を保ったまま音楽的に表現するか。

観念論みたいな話になるから、あまりおもしろくないのだけど、そういうものって、やっぱり大事なことだと思うわけだ。

単に「こうしたら感動的になるな」とか、「こういう音を入れたら躍動感がでる」とか、そういう正攻法はだいたいのところ頭に入っているし、めちゃめちゃ簡単なこと。

どうやったらノリノリな感じになるだろうとか、今のトレンドはこういう音作りだよね、とか、そういうことは本当に簡単で、しかも実際上解決できる問題。

ただし、観念というか、んーもっと単純に、美意識とか、漠然としたなんらかの方向性が一致してなかったら、本当に良いものは実現されないだろうな。


ぼくはたまというバンドのアプローチが大好きで、そういう音作りを真似することもできるのだけど、たぶんそういう風にはしないだろうと思う。レコーディングの時にも、やっぱりそれはみんなの念頭にあった。知久さんも、「これをやっちゃうと”たま”になっちゃうよね」と言う。そうなることは避けたい。


でたらめな歌を作ることの意味、というお話。

これは、飲み会で知久さんが話していたこと。

知久さんは自分の歌を「でたらめな歌」と形容していたけど、それは単にナンセンスとか、無意味とか、そういうだけのものではなくて、

たとえばトイでへっぽこなサウンドセンスだったり、もしくは非論理的な物語だったり、

意味よりも印象だったりだとか、そういうことを包括する表現だと思う。

それで、

知久さんは、現代は、でたらめな歌を作る意味なんか、あんまりないんじゃないか、

ということを言っていた。

つまりつまり、知久さんの曲は、現代日本にはそぐわないんだと。

その理由を、知久さんは次のように示していた。

「この国がでたらめになっちゃったんだもん」


ぼくは一個一個の音を、コンピュータ上で打ち込んでいくけれど、例えばそれはかならずしも確定的なものばかりではなくて、たまたま選んだ恣意的なサンプルが輝いていたり、また、ボブがなんらかのアルゴリズムによって「偶然」的に音が入り込むようなアプローチを考えたり、そのように出来上がっていく。もちろん出来上がった楽曲自体は録音物なのだから確定的なものではあるんだけど。


そもそも、エレクトロニカ とか電子音楽の、そういったリキッドな感覚っていうのは、ちくさんの楽曲にとても良くフィットするんだろうと、思っていた。これは、最初から思っていたことだけど。


今の世の中に、

でたらめな歌が求められているか、

それとも求められていないのか、

判断するのは難しいけれど、ともかくこのクラウドファンディングでは、100人を超える支援者が集まって、リリースを楽しみに待ってくれている。

だから、

エレクトロニカという、不思議なアプローチで再解釈された音楽をぼくはまさに今現在、奮闘して制作しているわけだけれど、その真髄のようなもの、でたらめな夜を、なるべく純度の高いままで、決して崩れることのないように、プレゼントします。

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