2019/12/03 08:00

 新所沢の家でアーティストインレジデンスを始めたい話の続きです。その1はこちら
(写真は全然関係ないですが、2年くらい前にイタリアのどこかで見たメダルド・ロッソの彫刻。)


 もう一つ、やれたらいいなと思っているのは、この場所を贈与の関係で成り立つ場にできないか?ということです。
 一泊いくら、というのがない代わりに、例えばプリンターのインクをプレゼントしてもらうとか、お米一袋持ってきてもらうとか、シャンプー買ってきました!みたいな感じで、滞在するアーティスト間でこの場所で過ごすことの質を支え合ってもらえたら面白いんじゃないか。

 それはすごく、面倒くさいコミュニケーションだと思います。義理や恩のような、現代の人が煩わしくて必死に振り払ってきたものを復活させようとしているだけかもしれません。だけどそれでも、サービスに対する値段が一律で決められてるんじゃなくて、一人ひとりが自分で決める。自分にとって、そこでの滞在がどのくらい価値のあるものだったか、そのときの自分の懐具合がどのくらいか、どんなものがあったらよりよい滞在時間になると思ったか、ということが基準です。

 そうやって、自分がただサービスを受けてお金を支払う消費者としてのみ存在するんじゃなく、重すぎない分量を持ち合いながら〈場〉にコミットすることで、例えばいざ無一文になったり、ボロボロになって作品をつくるどころじゃなくなったときにも頼ってフラッと訪れられる場所や関係をつくることは出来ないか?


 クラウドファンディングの本文に、

〈制度〉に上手にはまって、タフに適応することだけがアーティストとして生き延びる方法なのか? 〈制度〉の奴隷になるんじゃなくて、〈制度〉を更新しながら主体的につくっていく当事者になるにはどうすればいいのか?

と書きました。タフさは大事です。でも、既存の枠にうまくはまって適応するためだけのタフさなら、いらないでしょう。

 タフネスの意味が変わってきて、「どんな状況が降りかかってきても折れない、壊れないこと。頑丈さ。(NOと言わないこと)」から、「健やかさ。および健やかさを保てる状況を、自分で嗅ぎ分けて捕まえていくこと。(自分にとってのYESをちゃんと分かっていること)」になったのかな、と思います。

 みんながYESとかNOとか言い始めたら交通整理は大変だけど、その声は元からあった。ただしばらくの期間(といってもかなり長い期間)、抑圧されて表に出てこられなくさせられていただけです。私は「あるもんは、ある」が演劇の大原則だと思っているので、自分も他人も両方の厄介さ込みで回っていくような〈場〉をつくることが、長い目で見て演劇の作品を真っ当につくることに繋がっていくと思っています。