2019/11/29 07:00

===============================
【プロジェクト52日目】
パトロン様:11名 ご支援額:185,000円
残り28日、6,815,000円
御協力ありがとうございます。
引き続き宜しくお願いいたします。
===============================

こんにちは。
金曜日は当団体ブログカテゴリ「世界のWEニュース」から、
WE Dayに関する投稿を転載しております。

さて、今回は2019年2月26日に当団体ブログへ投稿した、
WE Dayトロント(2012年)に感化され、
チャリティー登山で世界を変えようとしている、カナダの少女のお話(前編)です。
(後編は12月6日に活動報告として転載予定です)

----------------------------------------------------------

「社会を変える」というのは、一つ一つの山場を越えて前に進む、
いわば「登山」のようなものかもしれません。…と言うと大げさですが、
今回ご紹介する若者は、文字通り、登山で世界を変えようとしています。


達成するのが不可能だと思えるような状況を乗り越えることを、
山登りに例えることがありますが、キアラ・ピカオ(アイキャッチ画像の少女)にとって
登山は単なる象徴ではありません。

女の子の教育権利のために寄付を募ったり、その問題について関心を高めて
もらったりするために、自ら選んだ困難な道のりなのです。
キアラが初めて登頂したのは弱冠11歳の時でした。

2012年10月、友達に誘われて地元トロントで開催されたWE Dayのイベント
ユースエンパワーメントに参加した際、社会に変化をもたらすことについての
スピーチに感動し、影響を受けたことが転機となりました

世界を変えることができる、私はそう勇気づけられました。ただ、どうすればいいのか、
何のためにするのかが分かりませんでした。
」と彼女はその時のことを思い出します。

その月の終わり、キアラの目に飛び込んできたのは、
当時14歳のマララ・ユスフザイさんが、パキスタンでタリバンの武装集団から
頭部に銃撃を受けたニュースでした。タリバンの過激派組織は、
女の子が学校に行くことを禁止しましたが、マララさんはそれに従わなかったためです。

「これまで生きてきてこんなに不愉快な気持ちになったことはありませんでした。
私は学校に行くことができます。しかも、私が通っているのは女子校です。
だから、当たり前に学校へ行くことができない人がいるなんて考えられなかったのです。」

一命を取り留めたマララさんは、女の子の教育の機会のために声を上げる
世界的な活動家となり、その姿はキアラのみならず、世界中の女子たちに
大きなインパクトを与えました。

キアラは、マララさんと同じような境遇の女の子たちが直面している、
教育を受けることができない不平等な状況について、もっとたくさんの人に
知ってもらうという使命
を見つけました。
ただ、そのために何をしたらよいのかは分かりませんでした

その夏、キアラは親戚に会いに家族でピコ島に行きました。
ピコ島はポルトガルの西海岸にある人気の観光地です。
島の最高峰ピコ山(標高2,351m(補足:日本の南アルプスに相当))が
そびえ立つ、緑豊かな光景を眺めていると、ある説得力のある例えが浮かびました。

「不公平な状況=乗り越えるべき山なのです。女の子に教育の機会が与えられない
不公平な現状は、その山に登頂するように、乗り越えなければなりません。
だから、私が山を登ることで現状を知ってもらい、教育の権利を奪われている
女子たちの声に耳を傾けてもらえればと考えました。」

ただ、一つ問題があり、キアラは山に登ったことがありませんでした。
両親や姉は登山経験がありましたが、キアラは幼いときに喘息を患い、
かろうじてハイキングに行ったことがある程度で、運動が得意ではありません。
キアラのように登山経験がない人にとっては、ピコ山のような比較的標高の低い山でも、
登頂するのは困難なのです。

それでもキアラはひるむことなく、トロントに戻ってからトレーニングを開始しました。
ケニアにある2つの女子中等学校を支援するため、2,500ドルを目標に募金を集めることに
しました。友達や家族に自分のチャリティー登山について呼びかけ、ピコ山に登るために
ポルトガルに戻った2014年7月までには、5,000ドルが集まっていました。

キアラは、ピコ山に初めて登頂したときの気持ちを振り返りました。彼女はまるでその光景を絵に描いているような手振りで生き生きと話しました。

キアラのパーティはみな黙々と、登ることに全力を注いでいました。
(補足:「パーティ」という英単語には「政党・一行等の団体」という意味もあります)
キアラはその静けさの中、立ちはだかる頂を目の前にして、足を一歩、また一歩と
苦しみながら登っていく最中にも、深く考えを巡らせていました。

なぜ今自分が山に登っているのか、自分が何者なのか。
そして、女の子の教育機会を支援することが自分の人生の使命だということが
はっきりと分かりました。

この時のチャリティー登山で集まった募金額は、最終的に10,000(カナダ)ドルになりました。
その成功に後押しされ、2017年3月、キアラはいつも一緒に山に登っている父親と、
タンザニアにあるアフリカ大陸最高峰キリマンジャロ(5,895m
(補足:富士山の約1.5倍の標高))の登山に挑戦しました。

キリマンジャロ山頂近くでは、高山病により、吐き気を催して目が覚め、
苦痛で倒れ込みました。下山が頭をよぎるなか、キアラは、そもそもなぜこの活動を
始めたのかを思い出しました。

途中で下山しようと思えばいつでも後戻りができます。しかし、教育を受ける権利を
得るために戦っている多くの女の子たちは簡単にあきらめることなどできるでしょうか。
キアラは歩き続け、キリマンジャロ山頂に到達しました。
彼女の努力により、7,000ドル以上が集まりました

5か月後、キアラはヨーロッパ大陸の最高峰であるロシアのエルブルス山
(5,642m)に狙いを定めました。このエルブルス山へのアタックは、
これまでとは全く異なるものでした。ビザの問題により、キアラと父親が
ロシアに入国できたのは、予定していたよりも遅く8月になってからでした。

8月には登山シーズンも終わりに差し掛かり、エルブルス山はすでに雪と氷に覆われていました。
山岳ガイドによると、天候が荒れる可能性もあるが、トレイルはまだ安全とのことでした。
登頂を開始し、山頂到達まであと1日というところで、天候が悪化してきました。

「そこは完全に雪の世界でした。派手な色の装備を身に付けていたので、
お互いの姿を確認することはできましたが、空を見上げると、何もかもが吹雪で
真っ白でした。」

天候が回復しないまま、パーティは山頂に挑むことにしました。
もう遠すぎるところまで、高すぎるところまで来ていました。
天候は悪くなるばかりです。そんな中、キリマンジャロで経験したような高山病が
再びキアラを襲いました。今回は呼吸障害の症状もありました。

山頂まであと600メートルの地点で、高山病による苦痛の中、キアラは登頂を諦めるほかないと
悟りました。自分が離脱して他のメンバーとベースキャンプに戻るあいだ、父親に登頂を
目指してほしいとお願いしました。

結局のところ、キアラのパーティで登頂を果たした人は一人もいませんでした。
嵐は発達して雷を伴った猛吹雪になり、金属製の装備を身に付けている登山者にとっては
危険なコンディションで、山岳救助隊の車輌すらトレイルを登って来られないような状態に
なりました。山に取り残されるという最悪の状況を避けるため、父親を含む登頂を続けていた
メンバーも、へとへとになりながら、5時間かけてベースキャンプまで下山しました。

「下山を決めたのは少し難易度の高い山だったからという単純な理由だけではなく、
自分の体力的に可能な範囲内で登らなければならないと思ったからです。みんなが無事で
本当によかったです。」

登頂は叶いませんでしたが、目標に向かう気持ちを失ったわけではありません。
キアラは国際開発学部への進学をめざし、引き続き女子教育のために
啓蒙と募金活動を行っています。
家族も初登頂の時からキアラの熱心な活動に関わってくれています。

5年前から、トロントで年1回開催されるナイト・オブ・インスピレーション
(リンク先外部サイト、全文英語)というイベントに、
講演者や寄付者を集めて、WE チャリティ(フリー・ザ・チルドレンの日本国外での名称)の
資金を集めています。

「登山は私が変化を起こすために行っている方法の一つですが、他にもたくさんのやり方が
あります。山に登っても登らなくても、私は女性の教育のために常に闘っていきます。」

(補足:Night of Inspirationとは、女性の権利を様々な観点から考え、女性の権利向上のために活動をしている人々を音楽やスピーチで祝う、カナダのイベントです。
2019年のNight of Inspirationは3月8日(国際女性デー)に開催されました。
詳細はこちら(外部サイト、全文英語)をご覧ください。)

(補足2:WE Dayのみならず、社会貢献活動を行っている人々を音楽やスピーチ等で祝う
イベントは、海外の多くの団体が開催しており、世界ではWE Dayの様なイベントが
当たり前の存在として認知されています。)

引用元:http://ftcj.jugem.jp/?eid=2095