2017/03/08 10:42

 35mmフィルムを保管していると知って駆け付けた東京・市ヶ谷の公益社団法人日本山岳会の会議室。8月4日午後1時半。真夏の昼下がりだと言うのに、クーラーの冷気ではなく、体に寒気を感じていた。

 目の前におかれた35mmフィルムを納めたブリキ製の丸型缶4缶を開ける瞬間に立ち会えた、その緊張のせいなのだろうか。毎日映画社の古参社員が手慣れた手付きで缶を空け、フィルムを点検していく。

 1936年10月5日。9月を過ぎて10月を迎えると、ヒマラヤの山々にはモンスーン接近の気配が漂っていた。立大山岳部の堀田弥一隊長と特派員の竹節たち隊員は一度、悪天候のため体力を消耗し、登頂を断念している。竹節はその際、重さ11㎏の撮影機アイモを山頂付近の雪の中に埋めて下山した。再アタックする場合に、撮影機を掘り出し、そこから撮影を開始したほうが体力の消耗を防げると考えた。堀田、竹節ら隊員は、雪庇がせり出した6000m付近に第4キャンプを張って一夜を明かし、この日、登頂の朝を迎えた。

 頂上まで残り880m余り。

4缶目のフィルム缶に、登頂のシーンが納まっている。

むろん竹節の姿は、フィルムに映ることはなかった。が、堀田のほか山縣一雄、湯浅巌、浜野正男の立大山岳部員の勇姿と、シェルパ一人が頂きに立つシーンをフレームにきっちりおさめていた。

10月5日午後2時55分、登頂。

 

28分間のドキュメンタリー映画「ヒマラヤの聖峰 ナンダ・コート征服」のラストシーン。

「立った」「立った」「立った」

ナレーションを担当した男性アナウンサーが興奮した声を張り上げている。

このラストには逸話がある。男性アナウンサーは、映像を観ながらナレーションを吹き込んでいくのだが、目くるめく隊員達の登頂シーンに感極まって泣き出し、録音のとり直しをしている。

この映画は東京日劇第一地下劇場、新宿映画劇場などで封切られ、多く人を魅了した。

http://sangaku-e.com/nandacourt/