2020/04/15 20:30

こんにちは!ダイバーシティ工房代表の不破です。クラウドファンディング最終日の明日は実は私の38歳の誕生日でもあります。ラスト1日、「Le port(ル・ポール)基金」により多く積立てができるように応援よろしくお願いします!

Le port(ル・ポール)の運営を担当する八神との出会いはちょうど今から10年近く前。
私の父親がやっていた「自在塾」で講師を始めてから入ってきた、4人目の生徒でした。
入ってきたのは中3の受験のなんと1ヶ月前!

あと1ヶ月でどこまでできるかな、と不安をよぎらせつつも、でも受け入れないわけにもいかないので「入試まで残り1ヶ月だけど頑張ろうね!」と言って自在塾で受け入れることにしました。

当時の自在塾は6対1のグループ指導をしていて、推薦などで早く受験が終わった子たちは卒業していくので受験直前まで残っていた子は3人。
そのうちの2人が母子ホームからの子どもでした。八神ともう1人も家庭環境が複雑で、塾の授業が終わる度に「家に帰りたくないからここに泊まりたい」と言っていました。

(毎日のように自在塾に来て勉強に励んでいた2人。)私が塾の運営を始めた頃、このような感じでいわゆる普通の塾では出会わないような子が生徒の半数近くを占めていました。

私自身は、中学・高校時代から友達が「家にいたくない」と言って自宅に1週間泊まったり、私の両親は私が寝ている時に友達の話を聞いていたり、私がいない時にまで家に遊びに来る友達もいました。

私の両親も、「家に居場所がないならうちに来れば良いよ。◯◯ちゃんのお母さんには電話しておいてあげる」と言ってくれていたので、私の友人達は安心して私の家に泊まることができていたのです。
そして私自身も、自分の家が息苦しい時期は、友人達の家に泊まる日々を送っていました。

だから、自在塾で出会った八神やその同級生たちが「家に帰りたくない」という気持ちは何の違和感もなく理解できたのです。

でも大人になった今、改めて考えてみると、うちの両親のように「いつでも泊まりに来ていいよ」「話を聞くよ」と言ってくれる大人と出会える中学生や高校生は中々いないと思います。(アットホームな雰囲気だった自在塾。年末に開いたクリスマスパーティーにて。)そして今の仕事を始めて、世の中の社会資源を知れば知るほど、10代の子や高校を中退してしまった子、または目に見えにくいけれど発達障害などの特性があって大多数の人と物事の捉え方や感じ方が違う子をサポートできる環境が少ないことに気づきました。

10年前の塾で、そこにいた八神がポロッと話していた「家に帰りたくない」という言葉は一見、冗談っぽくもありました。

でも過去の経験からか直感的に「あっこれは聞き逃しちゃいけないな、この子たちはきっと『辛い』ってことを誰にも理解されていないんだな」と感じたのはよく覚えています。

だからこそ、学生時代に自分の親が私の友人達に言っていたように「家に帰りたくないんだったら泊まっていいよ」と伝えることにしました。

そして「私が聞ける範囲なら話も聞いてあげよう」そんな風に思って塾の仕事の合間に話を聞いたり、時には事務仕事を手伝ってもらったりしながら彼女たちの話を聞く時間をつくっていました。

(真剣な話もくだらない話もたくさんしてきました。)でも振り返ってみると「私が何かをしてあげた」というより、私自身がその後の生活で助けられたことの方がたくさんありました。

1人目も2人目もこどもが生まれた後、私は経営者なので育休がありませんでした。
1人目が生まれた当時は、まだ常勤職員が3人くらいの小さな組織だったので、産後1ヶ月から働き始める必要がありましたが、待機児童が多い市川市では保育園に入れず、でも仕事は終わらない…。
夫も母親もフルタイムんで働いていたので頼ることもできず、絶望的な日々を送っていました。

そんな時にベビーシッターとして私の仕事や生活を助けてくれたのが、自在塾の卒業生だった彼女たちでした。

また私は先月の3月25日に千葉県から沖縄に引っ越したのですが、引っ越し前日にまだ荷造りが終わらない家に、当時の卒業生のアキナ(仮名)が遊びに来てくれました。
彼女は10年前と同じようにポツポツと今の家のことや自分のことを話しながら、私の荷物を片付けたり、子ども達と遊んでくれました。

そう市川にいる最後の日まで、私のことを気づかって夜遅くまで色々手伝いに来てくれたのです。
そんながアキナが沖縄出発前の私にくれた手紙の一部を紹介します。

「まきこ先生がいつでも近くにいると思ったら心が落ち着いて安心して何があっても大丈夫な気がしていて、自分がおもうままに進んでこれたんだよ」

この手紙を読んで、「私にとっては昔からやっていたことだからそんな大したことした気はないけどけど、彼女にとっては10年経った今でも思い出せるくらい、話を聞いたことや家に泊まったことが大きなことなんだな」と改めて感じました。
(引越し前夜にアキナがくれた手紙。感謝の言葉が綴られていました。)自立援助ホーム「Le port」を立ち上げたのは、私の親が昔、中高生だった私の友人たちにやっていたこと、そして私が10年前に自在塾でであった彼女たちにやっていたことを途切れないようにしたかったからです。でも個人で続けるには金銭的な負担が大きいし、何より困っている子どもたちと出会うことは、中々簡単なことではありません。

だから「自立援助ホーム」という公的な形を取ることで、今出会えていない「安心して帰る家がない」子ども達に情報を届けられる。そして1年、2年といった長期に関わることで彼女たちにとって「自慢できる実家」になっていくのだと思います。

クラウドファンディングも残り1日となりました。
この不安定な社会の中で、より安心して暮らせる環境が必要な子ども達のために、最後までみなさんの力を貸してください。

(約10年間、八神を見守ってきました。彼女の成長はこれからも続きます。)