こちらの活動報告は支援者限定の公開です。
スペインのマヨルカ島で生まれ、幼少時代はサッカー大国スペインでサッカーを長年して育つ。
20歳の時、弟に誘われて初めてパデルというスポーツに出会う。その瞬間から『なんて面白いスポーツなんだ!!』と、パデルに夢中になり、サッカーを忘れた。以降20年以上パデルが日常生活になくてはならない趣味となった。
転機となったのは6年前。
もともと日本が大好きで、20代の時に語学留学で3年間、その後日本での就職も果たしたが、再びスペインに戻り日本食レストランビジネスを手がけていた頃、日本初のパデルクラブがオープンした事を知る。
その後、レストランビジネスから手を引くと同時に再び日本に渡ることを決めた。来日後すぐに大阪でもパデルコートが出来たことを知り、翌日クラブに訪れた。
この時から、漠然と描いていた “日本でパデルの仕事をしたい” という夢がより強くなった。
言葉や文化も違う外国人というハンデを抱えながらも、夢を実現したいという強い気持ちを支えにし、ついにパデルビジネスを手がける会社への就職を果たした。
その後、別の会社へ転職し、あの時訪れた大阪のパデルクラブでのパデルコーチや日本でパデルを普及するための仕事に就いた。
そこでの3年間、パデルがみるみる広まっていくところを目の当たりにし、日本での更なるパデル普及のためにやりたいことが見えてきた。
そして2018年9月、その考えを形にすべく、さらに大きな夢である “自らのパデルクラブをオープンする” という夢を叶えた。
このプロジェクトは、2020-04-27に募集を開始し、119人の支援により1,450,500円の資金を集め、2020-06-14に募集を終了しました
スペインのマヨルカ島で生まれ、幼少時代はサッカー大国スペインでサッカーを長年して育つ。
20歳の時、弟に誘われて初めてパデルというスポーツに出会う。その瞬間から『なんて面白いスポーツなんだ!!』と、パデルに夢中になり、サッカーを忘れた。以降20年以上パデルが日常生活になくてはならない趣味となった。
転機となったのは6年前。
もともと日本が大好きで、20代の時に語学留学で3年間、その後日本での就職も果たしたが、再びスペインに戻り日本食レストランビジネスを手がけていた頃、日本初のパデルクラブがオープンした事を知る。
その後、レストランビジネスから手を引くと同時に再び日本に渡ることを決めた。来日後すぐに大阪でもパデルコートが出来たことを知り、翌日クラブに訪れた。
この時から、漠然と描いていた “日本でパデルの仕事をしたい” という夢がより強くなった。
言葉や文化も違う外国人というハンデを抱えながらも、夢を実現したいという強い気持ちを支えにし、ついにパデルビジネスを手がける会社への就職を果たした。
その後、別の会社へ転職し、あの時訪れた大阪のパデルクラブでのパデルコーチや日本でパデルを普及するための仕事に就いた。
そこでの3年間、パデルがみるみる広まっていくところを目の当たりにし、日本での更なるパデル普及のためにやりたいことが見えてきた。
そして2018年9月、その考えを形にすべく、さらに大きな夢である “自らのパデルクラブをオープンする” という夢を叶えた。
こちらの活動報告は支援者限定の公開です。