2017/08/09 16:00

今回のメンバー紹介は、永富三基くん。みつきって呼んでいます。ヤマト工芸で働く彼は、今はもっと年下のメンバーが増えて来ていますが、最年少の弟みたいでした。でした、、というのも。今年、素敵でしっかり者の彼女と結婚し、新しい人生が始まっています。昨年のものつくり合コンの担当理事だったのですが、完璧にやり遂げるだけでなくそのあとに続く道筋を作ってくれました。今や色々な段取りや調整を確実にしてくれるだけでなく、的確な作業姿も頼もしくPARKの存在を象徴するような野郎です。

 


●大阪出身の三基くんが河和田を選んだ理由からお願いできますか?

「僕は伝統を引き継ぎたいとか、まちづくりに興味があるとかいうよりも、若干の現実逃避も手伝って、早めにスローライフ、田舎暮らしをしてみたいってことと、手を動かすことが好きなので手仕事を身につけて生きていきたいなという想いが強くて。とは言え、ひとりで飛び込む勇気はなかったんで、にい(新山)さんや(今井)心平さんがいた河和田が候補地として挙がって、思いきって飛び込んで、出会ったのが今お世話になっているヤマト工芸の社長なんですね。ただ大学でデザインを勉強していた自分が急にものつくりってなんでかな?ってずっと考えてたんですけど。東日本大震災があったじゃないですか。一度視察に行ったんです、先生に“現状を見て来い”って言われて。まっさらになった広大な土地を目の前にして、ここに自分が新しい建築を作るのか?って。既に空き家のある状況だったという話を聞いて、本当に必要なのかなと思ってしまって。デザインをする意欲も、建てることに対する目標みたいなものも、えらく儚く思えてしまって」

●それくらい圧倒的な状況だったと。

「そうですね。あとはデザインをする上で僕が一番喜んでやってたのが、細かいところまで図面を書いて、必要以上に模型を作りこむ作業だったんですよ。だから建築家になって、デザインして、現場であれこれ指示するだけじゃあ自分が作ったって言えるのかな、だったら手仕事を覚えて作り手になる方がいいかなと思ったのがまぁ理由ですかね」

●実際にスタートさせた田舎暮らしはどうでしたか?

「んーと、僕が思ってた田舎と違うなというのは正直ありますね。良くも悪くもでもそんなに不自由ではないのと、地区民同士の交流がここまで濃いものなんだと思いましたね。あはははは」

●なるほど。そういう不自由さが……。

「最初はウェルカム状態、みなさんものすごく優しくしてくれるから素直に楽しい時間でした。でも時間が経つにつれいろんな時間の使い方をしだしたときに、人と人、土地と土地の関係性がじわじわとわかってきて、2年目にTSUGIを始める際には、それがわかりやすく現れたり。それでも地域にコミットしようとコミュニケーションを取り続けています、でもなかなか難しい。今は結婚して隣町に出て生活をしていますけども。なんて、根も葉もないこと言ってみたりして(笑)」

●視線を移せば、会社やTSUGIやPARK、関わっている人や場所は変わらないから、いい距離感を見つけたのかもしれない。

「確かにそうかも。改めて気づくアパートは、隣人との関係がなく同じ町内なの?、って感じじゃないですか。ただ一方ではコミュニティを失ってるんで、閉ざされちゃってる気もしてて、ずっと住むというイメージを持ちづらい部分もあるんですよね」

●考えたら、PARKが生まれたのは引っ越しよりずっと前ですもんね。

「ものすごく昔のように感じるなぁ。その頃は作り手の人間やったんで、がむしゃらに作って自分が進むべき道を見つけたい、だから工房が欲しいっていう野望があって、そのために参加したんですよね。でもそこから僕自身がガラリと方向転換しているので、今、PARKでできることってなんだろう?と思ったら、んー……。会社で働き始めて数年経って、なんとか社長に受け入れてもらって、営業という場所でやりたいことをやらせてもらっている中で思うことは。地域的に見ればヤマト工芸は大きくなりましたけど、社内にいると新たな血を求める空気を感じるし。そこでいい循環を作るには、僕が対外的な活動をいかに持つかが重要な気がしていて。PARKってまったく異分野の人と関わるじゃないですか。そしたら思ってもないところから仕事が来て、それが会社にいい風を起こすことになるかもしれない。実際、ヤマト工芸の永富として付き合っているお客さんにもPARKの話をするんです。地域を気にしたり、素材のことを想ったり、職人っていうものを意識したりする方も少なくないので、自分はどういうことに関わって、どんなことを考えているのかを踏まえた上で商談をすると、相手の顔がちょっと違ってくるし、たまに身近な知り合いと繋がったという話に発展していったりするのがすごく面白くって」

●まさにそれこそが、三基くんがヤマト工芸とPARK、そしてTSUGIにも足を踏み入れている理由であり、利点でもある気がします

「公私混同気味ではありますが、会社とPARKとTSUGIを自分の中で同じ位置付けに置きつつ、何が最善かっていうので僕は動こうと思ってて。ものつくりも忘れてはないですけど、どっちかというとコミュニケーションを大事に今は関わってますね。しかしそれだけじぁなかなか会社には伝わらないんで、会社が受けた仕事をPARKに依頼したり、そこで若い人が育っていったらと。逆にPARKにアイディアをもらってヤマト工芸で作ったり、生産の部分でお互いに補っていけたらいいなっていうふうに思っていて。その考えはTSUGIにおいても同じかな。入り組んだことをしているので、時々パンクしてます(笑)

●新婚さんだから、家庭も含めるとグアドラプルブッキングかも?!

「確かに。でも決して悪いパンクじゃないから。PARKを立ち上げてからの2年間で、本当に自分でも考えられへんかったことができるようになってきてて。まぁまだたまにハマ(浜口)さんやにいくんにお叱りを受けてますけどね、それは上昇傾向にあることでうぬぼれが出た瞬間だったりするから。そうそう。最初は自意識過剰に自分で全部できると思ってたのに、パニクること数回、だんだんと人にお願いすることを覚え、ようやく今に至りまして。フフフ。何回泣きちらかしたかわからん。もう無理やぁぁぁ!って。ハハハハハ」

●今の話の流れで、PARKにおける自分の役割ってなんだと思いますか?

「PARKでやることは全部新しいんですよ。ヘンな言い方ですけど、PARKが会社やTSUGIと違うのは、利益が一番の目的ではないことで、もう少し長い目で見れるというか。イベントを仕掛けても、しんどかった、でも売れたよねっていうだけじゃ次はないので。むしろそのときの売り上げは少なくても、楽しかった経験をそっくりそのまんま違う場所でも使わせてもらって、徐々に伸びしろを広げていけばいい。人や状況を巻き込んでみんなが面白くできたらそれが正解、みたいなところがあるので。という頭の切り替えが、ようやくできるようになりました」

●おぉ、涙の数だけ強くなれるよの歌は嘘じゃなかった。

「うん。自分の成長の過程にはPARKがあって、PARKでの巡り合いや経験で、会社の中でも役割を掴めたところがかなり大きくて。20代の若造だから発言力は全然ないんですけど、だったら30歳までにできる限りの下積みしてやろうって、今は急ピッチであれこれ始めていて。パン!と意見を言ったときに、跳ね返ることなくちゃんと染み渡らせられるような人間になるために、死に物狂いで頑張ってます。結果、今がすごく楽しい」

●まさか漠然と田舎に住みたいってところから、今の三基くんに辿り着くとは。

「言っちゃえば、結婚に踏みきれたのもやるべきことが見えたからなんですよね。モヤモヤしたままだったら僕は絶対結婚に逃げるやろうと思ってて。でも今は結婚は結婚、PARKはPARKって意識を切り替えられているし、そういう自分に自信があるから奥さんにもちゃんと話して出て行ける。だからこれからPARKに参加しようとか、なんかオモロそうやから行ってみたいっていう人も大丈夫ですよ。僕が本気でそう思ったの、去年の冬なんで。そこから急激に動き出しての今ですから。それまではただのポンコツでしたもん、本っ当に(ニッコリ)」

インタビュー 山本祥子