2017/08/12 12:11

今回のメンバー紹介は楳原秀典くん、通称がっちゃん。がっちゃんは鯖江の環境教育などを行なっているNPOの事務局で働いているということは聞いていたのだけども、会う機会がなかなかなかったのでパークメンバーとして関わるのは結構遅めだったと思います。多分皆んなで使える工場を作るっていうのがそもそものアイデアの場所だったからだと思います。合流後はパークとして鯖江市の提案型市民主役事業などでディレクターとしての役割を果たしてくれたり、多様な人との関わり方担当?になってます。でも左官をやっていたので、土間を打ったり、壁塗ったりする時、確実で丁寧な仕事をしてくれます。

 


●河和田に辿り着いた経緯からお願いします。

「思えば11、2年前、大学の3回生のときにアートキャンプで初めて来て。本当に冷やかし程度だったんですけど、翌年も冷やかしで来てっていうのがずっと続いて。ただそれ以前に、精華大学の建築科は結構ヘンで。家を作るというよりは、そこでの関係性を見るみたいなことを勉強してて。でまぁ卒業して左官屋さんを3年間やってみたら、ものを作る、たくさんのよくわからないゴミが出る、しかも感謝されているのかわからない状況がそこにはあって。お金がもらえてもなんか楽しくない、シアワセに繋がってないなーっていうところで選択肢から外して。じゃあ伝統にいくか、別のほうにいくかってなったときに、アートキャンプの事務局のお誘いに乗ったのが運の尽き、河和田に来てしまったという(笑)。さらに丸山さんと一緒に暮らしだしたのも相当大きくて。あれがなければまた違う方向に行ってたんだろうなぁと思いますよね」

●一緒に住むキッカケというか、河和田に移住したときからずっと丸山さんのお宅に?

「いや、来た当初はアートキャンプの古民家に住んでたんだけど、1年経って辞めることにしたときに、次の家も仕事も何も決めてなかったんですよ。そしたら今の仕事先から“働く?”って言われて、話を聞きに行ったら、悪くない。けど住む家がないから。アートキャンプで知り合った人たちに相談していたら、前田モータースのおばあちゃんが丸山さんのところに連れ行ってくれて、“うちの2階が空いてるよ”みたいな話になって、“一回、持ち帰っていいですか”って言って」

●家を借りるんではなく、一緒に住むって話だから。

「そうそう。でも面白いなってチョイスして住んでみたら居心地が良くて、居ついてしまったというね(笑)。だからこう、大学時代は下宿したり、友達んちに転がり込んだりしてて。左官屋さんの頃は京都の山科に住んでたけど、実家が近くてすぐ帰れたし。事務職では河和田と京都を行ったり来たり、そこから丸山さんちに移ってもやっぱり間借り感が抜けなくて。鯖江にいてるけど、移住しましたって気持ちにはなれなかったというか。今、彼女が奈良から来てくれて、河和田で一緒に住み始めて、ようやく自分ごとになってきたところはありますね」

●がっちゃんの仕事についても聞きたいです。

「よく言えば、どんぐりお兄さん(笑)。いわゆる指定管理としての仕事をうちのNPOが受けてて。そういう行政的なことを最適化させたお仕事な部分と、子供たちに大切なことを教えるどんぐりお兄さんな部分と」

●どんぐりお兄さんというのは、どんぐりを植えて、山を活性化させる活動って認識であっている?

「それもありつつ、もうちょっと広いイメージで。例えば、植樹事業しますって言っても、市民に呼びかけて100人来ました、OK!ではなくて。植える前に幼稚園に行って、川も大事なんだよ。山が綺麗じゃないと生き物が育てないんだよ。それでどんぐりを植えるんだよ。でもこれが大きくなったら使わないといけないんだよっていう、全体的なサイクルを伝えていく。その流れで漆器の話をしてみたりもする。鯖江の環境のお兄さん、かな」

●それって鯖江、特に山に囲まれた河和田地区にとっては、ものづくりの未来と同じくらい大切なことだよね。

「けどものづくりをやってる人たちは、ものを作って、それを何に投資するか?というときには、材料とか、機械とか、まずそっちへ行かないといけなくて。じゃあその次に守るべきものはなんなのか?ってことなんやけども。経済と繋がりの強い人は“いや、産地としてもっと経済力のあるほうへ舵を取っていくべきなんだ。そしたら雇用も生まれるでしょ”ってなっちゃう。でもそれで本当に残すべき部分は残るの? 魅力ある、居心地のいい、子供を育てやすい場所に対しての投資は、そのカタチでできるの?というときに、僕らみたいなのが入り込む余地が出てくると、まだなんとかなるのかなって気持ちがあって。

 石見銀山で活動している人は“49%がビジネスで51%が文化っていうのが、自分たちのやっていることだ”と言っていて。食べていけるぶんに1、2%を上乗せして文化にしていくことで、古民家が守られて、景観が守られて、そこでの本当の暮らし方も守られていく。そういう意識の部分でいうと、鯖江、河和田はどうなんだろう?っていうね」

●話を聞いていると、どんぐりお兄さんとしての活動と、PARKでのがっちゃんの役割はリンクしているような気がします。

「そうそうそう。自分の生き方として何がシアワセかなって考えたときに、周りのみんながある程度シアワセな状態であるといいよね、みたいな。前に建築家の黒川紀章が“共生”について話してて。“曖昧な部分がないと楽しくない。まちづくりでもグレーゾーンを作ると、そこに人の流れが生まれるんだ”とか、“新陳代謝する建築だ”っていう言葉には素直に共感するし、思想としては多分近いんですよ」

●PARKも完成しない感じがするものね。

「本当に。増えたり、外したりを繰り返しながら、ずっと変わっていって、なんとなく新陳代謝し続けていくのが気持ちいいから」

●続けていく中ではいろんな人と出会って、絡んで、進んでいくわけで。PARKでどんな人と出会いたいですか?

「そのへんがねー。もともと人間が好きじゃないっていうか(苦笑)。目覚めがわりと最近で、愛ゆえにって感じなんですけど」

●あらら。なんだか素敵な言葉が。

「愛が深いぶん、いろんな人と関わることに疑問を持つ感じがあって。なんかね、ひとりで暮らしていこうと思ったらできる気がするんですよ。自分的にそれは一番愛がないんだけど、平和な環境を作る方法だろうなって思ってて。人を好きになると誰かが怒ったり、愛が強すぎると争いにも繋がるし。だから地域の人に“フラットになりましょ”って言いながらも、人との関わり方をフラットにするって難しいよな。あの人も、この人も、きっと愛が強いんだ。まちの中って愛の相関図がすごいあるよなーと思って」

●みんなが少しずつ手放せればいいんだろうけども。

「それをうまく拾い上げて、次の世代へ拡散させるっていうね。ものづくりをやってる人は、やっぱりものづくり愛で偏っちゃうから、何か作るんだったら環境も守れよって言っても絶対無理やし。そこは曖昧な人が曖昧なことをやるしかなくて」

●曖昧な人の集まりがPARK?

「曖昧な部分をなんとなくわかる人がいてる。ものづくりがしたいんだけど、このままだとできなくなるってわかってるから、大樹が悩んでるとか。でも僕らは毎日そこに携わってるからやるべきこともわかるし、そういうサポートをしてあげたいな、少しラクになるといいなっていう、中間支援的なイメージ。ただ、これから子供を持つ立場になってきたときに、自分がどういう関係性を作っていけるのかな。今はお兄さんとして気軽に話してるけど、お父さんになったときにどういうふうにしていくのかっていうのは、もうちょっと、んー、まぁそれはそれで楽しみかな」

インタビュー 山本祥子