2020/08/14 09:00


こんにちは。
Living in Peaceの龔 軼群です。


はじめに、このたびの私たち難民プロジェクトの挑戦に、
ご支援、応援くださった多くのみなさまに心より感謝申し上げます。


本日が最終日。


最後の想いバトンを受け取り、
みなさまに、少しばかり私自身がなぜ難民支援に取り組み始めたのかをお伝えできればと思います。


恥ずかしながら、私は2017年まで”難民”という存在がいることを知りませんでした。


Living in Peaceのマイクロファイナンスプロジェクトで活動していた私は、同じプロジェクトメンバーの有澤さんに「日本でも金融アクセスが全くできない人がいる、それが難民。彼らは在留ステータスが不安定だからお金を借りることはましてや、銀行口座さえ作ることができない。」と教えてもらいました。


「先進国であり、この豊かな日本でそんなことがあるのだろうか。ただ、私の両親(永住者)も家を購入する際にローンが下りないことがあった。外国籍だと日本にずっと住んでいる確証はないし、信用が得難いのはある。」


そんなきっかけから、金融包摂の新たな取り組みとしてマイクロファイナンスプロジェクトで、日本にいる難民の方々の調査を始めました。


調査をしているなかで、私はひとりの難民の子に出会いました。


初めて彼に会った時、彼が自分の境遇を大勢の前で話している姿を見て、私は正直苛立ちを覚えました。


祖国での内戦で、真隣にいた大切な友だちが銃弾を受けて、亡くなってしまったこと。
今いる場所から逃げ出さないといつ自分が殺されるかわからない状況になり、幼い兄弟たちと母と一緒に隣国に逃れ、その移住の地で様々な差別を受けたり、迫害の中で育ってきたこと。
そして、10年以上も遠く日本にいる父の代わりに、彼が一家の大黒柱として家族を守ってきたこと。
来日後、難民申請をして、人道配慮の身で今は大学院で学んでいること。


淡々と自分のことを話す彼に、私は「嫌ではないのか?」と聞いた。
そしたら、「もうこれが最後だ」と。


彼は大学院を卒業後、就職しないと日本にいることができない状況だった。
家族とはもう一緒に住んではいない。


日本で就職をしたいという彼に、私にできることは就活を伴走することだけでした。


長年のコンビニバイトで日本語を話すのはだいぶ上手だったが、文章を書くとなるとまったくダメだった。
週に1回、仕事終わりに1時間程度。
英語でもやりとりしながら、エントリーシートの自己PRや志望動機を一緒に考えて、何度も文章を書き直した。
面接官からの質問に自分の言葉でちゃんと応えられるようになるまで、何時間も面接練習をした。


今、彼は大手メーカーで海外営業として活躍している。
大学院を卒業するまでには、自分の力で日本語能力検定1級を見事合格した。


「Living in Peaceに出会っていなかったら、今の自分はどうなっていたかわからない。」

今でもたまに会うとそんなことを繰り返し言ってくれるのだけど、
私はそんなふうには思っていなくて、全ては彼の絶え間ぬ努力の結果だと思っている。


過去の辛い経験や逆境から生き抜いてきた力と、常に努力する姿勢。


彼も含めてこれまで出会ってきた難民の子たちは、ほんとうに心から尊敬できる子たちばかりだ。
自身の経験から痛みを知っているからこそ、相手を思いやり、当たり前のことに感謝ができ、そして前を向いて努力ができる。

そんな彼ら彼女らの姿を見て、私のほうが勇気づけられ、励まされている。

今では、Living in Peaceの活動までサポートしてくれている。


大事なことは、一方通行の支援ではなく、双方向で支え合うこと。
そして、誰かが困ったときに、その人が未来に「希望」を持てるきっかけをつくること。


私は、Living in Peaceを通じて、そして自分の生涯をかけて、そんな活動を続けていきたいと考えております。


写真の「希望」という書は、そんな想いを込めて書きました。


みなさま、長い文章を読んでくださってほんとうにありがとうございました。

難民支援は、今がまさにスタート地点です。

どうぞ、これからも応援のほどよろしくお願い申し上げます。


龔 軼群