2017/09/26 19:19

私は小渕浜で過ごした夏に裏切られたことがない。最高の景色を見てきた自信はあったし、だからこそ多くの人にその景色を見せてあげたかった。2017年8月6日という無機質な日付は過ぎ去っていくが、私たちにとってはかけがえのない夏、そのものだった。

 

 総勢35人の参加者を乗せたバスが小渕浜に到着し、私たちは落語会の準備に急いだ。三年来のお付き合いになる民宿あたご荘の大広間をお借りし、高座の背景に大漁旗を飾るアイデアは、女将さんを微笑ませた。法政大学をはじめとした関東大学の落語研究会に加え、東北大学落語研究会をゲストに招いた落語会は、集客のための奔走もあり無事盛況のなか終演を迎えることとなった。見慣れたお客様から初めましてのお客様の顔ぶれが、後輩の高座に大笑いしている様を袖からじっと見ていた。笑顔で高座を降りた後輩に「大トリ、頼みますよ」と声をかけられ、力なく「任せとけよ」と言った。その日は珍しく、緊張していた。

 

 

 なんとか出番を終え、一息つく間もなく五十鈴神社でのステージイベントが始まろうとしていた。参加者全員の手形が刻まれたチーム出張寄席の大漁旗がステージの裏に高々と掲揚され、実業団団長大沢幸広さんの乾杯で前夜祭は始まった。緊張がほどけ、くだけた表情が参加者からこぼれる。落語演者たちは肩の荷が降りたようで、純粋な客としてステージに目をやっていた。参加者有志によるア・カペラは、知らないところで集まって練習を重ねていたようだった。その粋な心意気に胸を打たれ、惜しみない拍手を送った。その中の数人は引き続きステージの司会進行を買って出てくれ、メンバー四人では回らない部分を上手くフォローしてくれた。この場を借りてお礼を。ありがとう。

 

 チーム出張寄席お抱え漫才師ソウルマンの内容はそれとして、今年も学生らしさが存分に発揮されたステージ公演となった。その学生らしさは、継続は力なりという言葉の通り、続けてきたことで浸透し認められていったのだろうと強く感じる。閉鎖的な地方の漁師町に、学生が持ち込む「楽しいコト」が一回目から理解されるとは思わない。けれど、メンバーの島田竜輔が率いるバンド演奏にバスツアー参加者の学生と地元漁師さん、地元の方々が耳を傾け身体でリズムをとる様子が、私にはたまらなく嬉しいことだった。独りよがりの奉仕になることなく、やりたいことと、できること。やれること、そして私たちに求められてることの四要素がひとつになった、チーム出張寄席の集大成のような一夜だった。

 

 

 

 「前夜祭」が終わった、翌日。非日常な一夜から夢につき、小渕浜の日常である変わらぬ爽やかな朝を迎えた。昨晩の出来事からなのか、寝不足からなのかは知れないが、ぼんやりとした表情を参加者は浮かべながら朝食をとった。前夜祭という言葉の意味をだんだんと理解し始めたのは、神輿担ぎ当日の午前中に行われた、小渕浜の海をぐるりと漁船で回る漁師体験のときだっただ。昨年度まで団長を務め、無事任期を満了し引退した後藤幸市さんは船上で、「そろそろ目覚めたか?これから始まる神輿担ぎは、お前たちの仕事だからな」と参加者の笑いを誘った。

 

 毎年、私たちは揃いのシャツを着て神輿を担ぐ。震災復興を祈願して作られた小渕浜Tシャツを参加者に配るとき、用意分が減っていくスピードと量にNPO団体小渕浜通信の河野透さんは笑いながら呆れているようだった。本当にこのメンバーで神輿を担ぐことになる。このことを目指して半年間準備していた私たちでさえ、高揚感を隠すことが出来ていなかった。午後一時、神社での祭礼を終えた神輿は学生参加者の手によって、一年ぶりに小渕浜の地に舞い戻った。

 

 弾むようなお囃子の音色に合わせ神輿が揺れる。学生の威勢のよい掛け声が辺り一面の海景色に響く。今年度からの新しい試みとして、大漁旗を竹に括り付けた何本もの手振り旗が神輿の後を追うのだ。増えた担ぎ手の手持ち無沙汰解決策として提案した案が、漁師さんはもとより地域住民を喜ばせた。「今年の神輿は、今まで以上に賑やかだね」。失われた記憶を取り戻すだけでなく、新たな記憶を作り出す。懐かしさを超えたモノを届けたい。復興だけでは終わりたくない。夏を彩る祭り文化の新たな一ページを切り開けたような、そんな気がしていた。

 

 休憩ごとに慣れない神輿を肩から降ろす。「神輿って思ってたより重いんだな」。参加者同士のそんな会話が耳に入る。知らない漁師町の祭りに参加し、神輿を担ぐ。縁もゆかりのなかった人たちが小渕浜で繋がってく瞬間をみるとき、私は何度でも嬉しくなる。それぞれの過ぎ去る夏の一日に過ぎないかもしれないけど、確かに私たちはここにいた。小渕に何年も住む人が、初めて訪れた学生に声をかける。「いいもんだっちゃ、小渕は」。揃いのTシャツを着た彼らは、まるで何年も小渕での夏を過ごしていたかのように見える。チーム出張寄席のアナザースカイが、参加者みんなのアナザースカイになればいい。

 

 

 

 新コースとなった今年は、仮設住宅に住まれていた方の移転先である高台の復興住宅地が組み込まれていた。そこでは何度も仮設集会所での寄席に足を運んでくれた方々が、神輿の到着を待っていた。新居の庭先に腰かけ、神輿が闊歩するさまを笑顔を浮かべながら眺める。ある人はお賽銭を入れ、手を合わせる。子供がそっと近づき、旗を振ってみたいとねだる。ひとりひとりに刻み込まれる記憶が積み重なって文化はカタチ作られる。その場に立ち会えた自負があった。

 

 日々私たちは漁師さんとバスツアーについて話し合うとき、私たちを厳しい言葉で叱咤することがある。心が折れそうになったことなんて数えられないほどにある。怒られても怒られても、それでも足を運び続けた。私たちの活動紹介動画を撮影するにあたって、漁師さんにこんな質問をぶつけ、その返答をカメラに収めた。「あなたにとって、チーム出張寄席とは何ですか?」はにかみ笑ったあと、「なんというか、ほっとけないんだよな」と。

 

 全行程を終え、小渕浜での最後のときを迎えたバスツアー参加者を集め実業団の漁師さんは言葉をかけた。「ありがとう。おかげさまで小渕浜にとって最高の夏になりました。それが皆さんにとっても、なら僕たちも嬉しいです」。最後に団長の大沢さんは別れの挨拶をあの言葉で結んだ。「また、来てください」。チーム出張寄席が小渕で迎えた三度目の夏。それを今年も聴けたことが、かけがえのない財産だ。帰り際、私から参加者のみんなに改めてあの言葉を言おうとしたが、やめた。きっと大丈夫だろう。また妄想と隣り合わせの確信に私はひとり、ほくそ笑んでいた。

 

 

 

※当バスツアーは、Yahoo!基金、小渕浜実業団、小渕浜通信、MSP株式会社の支援で成り立っております。各支援者の皆様、本当にありがとうございました。

 

 

文責:チーム出張寄席副代表/法政大学落語研究会 田辺康/酒乱苦雑派(しゅらんく ざっぱ)