2018/01/16 14:33

 ここに紹介するのは、「地域を明るくするために」と題した、鷹巣南中学校2年 堀部瑞穂君の作文です。

 平成28年「第66回 社会を明るくする運動 作文コンテスト」で入賞した作品です(北秋田地区保護司会編『横暴作文集』より)。火まつり会場の集落に住む、中学生児童のすなおな気持ちがとてもよく伝わってきます。

 私たちの取り組みが堀部君の言葉で励まされ、そしていっそうこの火まつりを大切に続けていかなくてはという気持ちにさせてくれました。どうぞ読んでみて下さい。

 

地域を明るくするために 鷹巣南中学校2年 堀部瑞穂

 

 「おーい、かまくらのごんごろう」
 たくさんの人たちの声が、今年も葛黒の空に響き渡りました。会場のみんなの顔は、燃えさかる御神木の火に、明々と照らされていました。
 僕の住む北秋田市葛黒地区は、周囲を山に囲まれて自然豊かな所です。
 三十世帯ほどの小さな地区で、中学生はぼく一人しかいません。みんな顔見知りで仲がよく、安心して暮らせるとてものどかな地区です。
 けれど僕は、自分の住んでいるこの葛黒のことがあまり好きではありませんでした。近所に同じ年頃の友達がいないこと。登下校に時間がかかること。ちょっとした物を買うだけでも、市の中心部まで出かけなければならないこと。理由を挙げればきりがないほどです。中学生の僕としては、若者が魅力を感じるような物や施設があり、いつもたくさんの人でにぎわっている場所にあこがれを感じていました。
 以前、葛黒地区には二百五十年以上も昔から続く、「火まつりかまくら」という伝統的な祭りがあったそうです。山から切り出してきた10メートル近い木に、ワラや豆ガラをつけて大きな御神木にし、会場となる田んぼに立て、火をつけて燃やします。家内安全と翌年の五穀豊穣を願って行われてきた祭りなのだそうです。
 その時、燃える御神木の周りに集まって、みんなで「おーい、かまくらのごんごろう」と叫びます。「かまくらのごんごろう」とは、その昔、どこか他の土地からやって来て、乱暴を働いたり、盗みをくり返したりし、葛黒人々にいろいろな迷惑をかけた不届き者のことです。
 葛黒の人達が協力して「ごんごろう」をこらしめたあと、彼は回心して毎日夜回りをし、死ぬまで葛黒を守ってくれました。「火まつりかまくら」は、その「ごんごろう」に感謝するために始まったのだそうです。
 けれどこの祭りは、約20年ほど前から行われなくなってしまいました。地区の過疎化や高齢化による人手不足と、農業の機械化が進んでワラなどが手に入りにくくなったことが主な理由だったそうです。僕の生まれる前のことなので、詳しいことはよくわかりませんが、祭りの中止が決定したとき、葛黒に住む人達はとても残念だったに違いありません。
 しかし、僕が小学校5年生の時、火まつり復活が決定しました。人手不足は学区内の小中学生や市内からボランティアを募り、材料不足は市内外の農家から協力してもらって補うことになったのです。
 僕が通う小学校でも、火まつりの復活には全校をあげて協力することになりました。高学年の児童が、低学年に火まつりの由来を教えてあげたり、みんなでかけ声を練習したり、当日参加してくれた人達に配る缶バッチなどのグッズを作ったりもしました。
 火まつり当日、葛黒地区は朝からたくさんの人で活気づいていました。200人以上の人が会場のあちこちで準備を進めていました。こんなにたくさんの人が葛黒にいるのを、僕は生まれて初めて目にしました。御神木が立った頃には、あたりはもう薄暗くなっていました。
 復活した火まつりは、たくさんの人の協力で大成功に終わりました。そして火まつりは一昨年、昨年と、回を重ねるごとにボランティアや参加者が増えていきました。昨年は秋田市などからもボランティアが来てくれ、参加者を輸送するためのシャトルバスも運行されました。
 のどかで安心して暮らせる葛黒ですが、明るさや活気に満ちているとは言えません。そして、過疎化や少子高齢化が進んでいる秋田県では、葛黒のような地域は他にもたくさんあると僕は思います。そうした場所では、もうその地域の力だけでは、地域を明るくしたり活気づけたりするのはむずかしいのではないでしょうか。
 そこで、葛黒のように、外の人達から力を借りて明るさや活気を取り戻しすという方法も地域を明るくするための手段として有効だと僕は思います。
 来年の二月、復活して4回目の火まつりかまくらが行われます。僕はその日を、いまからとても楽しみにしています。