はじめまして!本日の担当は、立命館大学経営学部4回の大久保快(オオクボカイ)です!
このプロジェクトチームは低回生が多いので私が一番年上のポジションです~
さて、このたびはクラウドファンディング
「私達を支えてくれる-茨木-を盛り上げたい!~地元のおいしいお店を巡ろう~」
へのご支援・応援ありがとうございます。
ラスト一日頑張ってまいりたいと思います。
今日は私が4年過ごしたいばらきに関して書いていきます。
最後まで読んでいただけると幸いです。
人生を変えてくれたまち”いばらき”
このプロジェクトのタイトル
「私達を支えてくれる-茨木-を盛り上げたい!~地元のおいしいお店を巡ろう~」
とあります。
私にはこの街に特別な感情があるのです。
私は、北海道出身で4年前の2015年の4月にここ茨木に引っ越して来ました。
最初の印象は、大阪は怖いところなのではないかという不安と、関西弁がなれなれしくて怖かったのは今でも覚えています。それまでの私は半引きこもり状態で人とのコミュニケーションに難があり、笑うことができなかったり、人前で話すことができない上がり症をコンプレックスとして悩んでいました。
大学に入ってすぐこれを克服できるわけでもなく、友達作りや人間関係を構築できなくて大学が嫌になってきた1回生の夏休みにある地域のイベントに出会いました。それは麦音というイベントでクラフトビールとロックのイベントでした。それからというものの地域の飲食店とかまちの人とかかわる機会が増え気づくと多くの人とつながり多くの出会いがありました。
北海道にいるときには味わうことのできなかった感覚
街に溶け込む自分を傍目で見ていた私の親もこういっていました。
「いばらきに住んでよかったな。立命館に行かせて正解だった。」
「のびのびとしていて明るくなった」
色んなことがありました。茨木音楽祭で実行委員をしたり、市から助成金をもらってイベントをしたり、飲んだり、食べたり時には怒られ時には褒められ、嫌なこともよかったこともあったこの街の生活ですが、なぜなのだろう?と考えると一つしかありません。
↑2018年茨木音楽祭の様子
「いばらきのひとはあったかい」
ということです。ただご飯を食べに来たお客ではなく一人の人間として大久保快というひとに接してくれるそんな人ばかりなのです。
ラーメン屋に行っても「あらお兄ちゃんいらっしゃい!今日はどこ帰りなん?」といわれ、会話がある。初めていったおばさん一人でやっている飲み屋では「おかえりなさい」と声をかけられたり、そのいばらきの人たちのあったかい心遣いに私は救われ、今では人前であろうともどこでも話せるおしゃべりさんになってしまいました笑
この間大学の関係で講演してきました。
ベテラン感ありますでしょ(笑)
私がいばらきにいれるのは後3か月
その後は北海道に戻って新しい場所で仕事をしていきます。
その前に
人生を変えてくれまち茨木に恩返しをさせてください!!
みなさん最後のお願いです。
あと少しばかり
応援をしてください。
どうぞよろしくお願いします。
大久保快
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