2017/07/15 19:43

風邪が治らず亡くなったおばあさんはこの村で生まれた。まだ元気だった頃に、こんなふうに私に話しかけたことがある。「この村は日本で一番いい村だ」。私も頷いた。「僕はいろいろなところに行ったけれど、この村が一番いい」。そのときおばあさんが〈不思議なことをいうねえ〉というような顔をして私をみてつなげた。

わたしはこの村から一歩も出たことがない。

一歩も出たことがない者が言うんだから、間違いない、この村が日本で一番いい村だ」。(内山節 いのちの場所)

 

 

小学校か中学校か忘れましたが、国語の教科書にこの文章が載っていました。
世間ではグローバル化が騒がれ、海外旅行も気軽に行ける、学校にはALTの先生がいて英語の授業で英語の歌を歌ってくれる、総合の授業では国際がテーマになっている。
そんな中で読んだこの文章に衝撃を受けたことを覚えています。

一歩も出たことがないのに日本一だと言い切るおばあさんの言葉がただの矛盾ではないと子供ながら感じました。
そして、なんだかかっこよく思えたのです。

 

 

怒田に初めて足を踏み入れた時、この文章が頭の中をよぎりました。
ここなら、この文章を理解できるかもしれない。こんな言葉を言えるかもしれない。
3年住んでみて確信しました。

怒田集落にはこの文章が生きています。


でも、少しづつ失われているのも感じます。

 

 

ならば、守らなくてはいけないと感じました。僕が小さい時からかっこいいと思った価値観を。


この本ではこう続きます。

このおばあさんにとって「一番いい」という基準は、相対的なものではなかったのである。絶対的なものだった。(内山節 いのちの場所)

 

 

僕が本当に守りたいのは絶対的な幸せです。