2019/09/26 18:50

【バカンスと、小さな発見。『クレマチスの窓辺』をより深く理解いただける、いくつかの物語】

 

 

『クレマチスの窓辺』の制作経緯や、島根に縁がある方々とのさまざまな出会いなど、本作品を深く知っていただけるよう、長くなりますが、木島悠翔(きしまゆうと)が綴らせていただきます。

 

『クレマチスの窓辺』のはじまり

永岡俊幸監督と知り合ったのは、およそ半年前、映画祭での呑みの席でした。その日の昼は上映会として監督の作品も上映されておりました。永岡監督は、ご自身も仰られているように、フランス映画からの影響を色濃く受けておられます。私は監督の作品を観た時、どこか異国情緒を感じました。また台詞回しや言葉の感覚が綺麗だと感じました。

同郷出身であり、いつか一緒に島根で作品を作れたら、と語り合ったことが、すべてのはじまりのように思います。

 

島根への帰郷とさまざまな発見

初めに物語を構想してゆくに当たって、監督からはエリック・ロメールの「レネットとミラベル/4つの冒険」とジャック・ドゥミの「LOLA」のDVDを貸していただきました。どちらも素晴らしい作品で、かつ「バカンス映画を作りたい」という永岡監督の考えがほんのりと伝わってきました。

それから何度か話し合いを重ね、「クレマチスの窓辺」は初稿の脚本まで花開きました。

物語を深くまで詰めるため、監督と私は「一度島根に帰り、街を観てみよう」と飛行機に乗り、帰郷しました。

監督は松江を訪れるのはじつに十年振り、私も高校卒業後は年末年始に帰るくらいだったので、郷里ではあるのに、どこかタイムスリップしたような、不思議な感覚を覚えました。

監督は益田市出身、私は安来市出身ではあるのですが、監督は松江高専時代に松江という街で生活したことがあり、安来市広瀬町布部という農村に育った私にとっては、中学生になってから、遊ぶと言ったら松江まで出て行くことが当たり前でした。

水郷祭では花火を見るために宍道湖沿いをひしめき合って歩いたり、イオンがSATYだったこと、少年にとって大都会だった松江の学園通り、高速下のブイレックスに通ってカードゲームやゲームソフトを買い漁った日々、県立美術館の因幡の白兎のある芝生から見る夕陽は最高、などなど、想い出は沢山あります。

実際に数年振りに松江の街を歩いてみて、いわゆる《小さな発見》というものが沢山ありました。松江城を取り囲む堀川、江戸時代には武家屋敷の立ち並んでいた面影、川沿いには小泉八雲が怪談噺を思い描いた柳の木たち。

街灯なんか無かった時代には、この叙情的な川沿いが、夜中は幽霊の跋扈する畏れの対象に変わるのかなあ、と夢想してみたり。松江を漠然と「都会」と思っていた私は、大学で京都へ出、それから上京し、戻ってみると、まったく違うものに思えました。

企画の概要をお話ししたり、、ロケ地巡りに随伴してくださった松江フィルムコミッション、島根県観光連盟の皆様はあたたかな方ばかりで、ああ、故郷の風土は優しいひとを育むのだと身にしみました。

“こんなに綺麗で瑞々しい風景のたくさんある街だったなんて”と気がついたのは、大きな発見でした。例えば、桜並木。松江を1日中監督と歩き回ったのは四月末のことでしたから、川沿いにたくさんの桜が咲いていました。

ちょうど蔦が綺麗な緑に茂っている珈琲館を横目に見ながら、大橋の方へ出て、宍道湖湖畔を探検していると、岸辺にたくさんの黄色の野草が花咲かせていました。一箇所に集中して生えていて、水が運んで、最後にここに流れ着いた種子が芽を開いたのだろうとか、しじみの古い貝殻が堆積して花びらのようになっていたりですとか、そういう道草を沢山しました。

《故郷の再発見》という言葉が頭の奥底で響きました。

 

映画『クレマチスの窓辺』を物語るということ

夜はそのまま東本町あたりで呑みました。夏の夜風を浴びながら、酔いにまかせ、何軒かの酒屋をはしごしました。そこでも様々なひとびととの邂逅がありました。

或る居酒屋では、常連さんに混じって島根の地酒を呑みながら、出雲神話などの歴史的な話、古墳の話、そして、大橋川の治水事業として大規模な工事が行われる、という話をいろんな方から耳にしました。ホーランエンヤが今年開催され、それが終わった後は本格的に指導するということもお聞きしました。

私はその日の昼頃歩いた、あの美しい川沿いの風景を想起しました。

あの風景も、いまだけなのだ。ずうっと不変なものは、たとい故郷であっても存在しないのだ、と思いました。

故郷が変容し、発展してゆくことはすごく良いことです。ですから私は治水工事の話を聞いて、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになりました。

そうして、この街に帰ってきて、映画を作ることの意味をようやく知りました。

水の都松江の、いまだけの美しい風景を映画という形で遺すことが物語の作り手たる私たちの使命である、と。

そして、監督がバカンス映画と銘打った理由も、後になってその理由が、偶然が必然に変わった気がします。

文字通り、私たちは久方ぶりに帰郷して、バカンスをしました。様々な小さな発見と、いくつもの出会い。それらはすべて、映画『クレマチスの窓辺』の物語として生きてくるものです。文字通り、故郷の再発見の物語です。

物語は人生に似ていて、そしてつくり手である私たちは松江のいまを描き、物語として遺すために、故郷に戻ってきました。

居酒屋での出会い、道端で偶然みつけた小さな発見の数々も、物語の必然となって『クレマチスの窓辺』の中に登場します。

松江を知っている人は故郷の再び見つけることができ、松江を知らない人でも魅力的な街として映る、そんな、バカンス映画としての『クレマチスの窓辺』。

何卒ご支援ご協力のほど、よろしくお願いいたします。