2021/02/19 20:11

2005年4月5日、機上から見下ろすと一面に赤い大地が広がっています。初めてのアフリカ。それでも、なんとなくアジアのような雰囲気も漂う不思議な感じ。見知らぬ大地、見知らぬ人たち、言葉もあまり通じない田舎の村で2年間過ごせるだろうかという不安。反面、何か少しでも形にできればという意気込み。これが私の最初のマダガスカルでした。まさか、その後、15年以上も関わることになるとは。

2005年のアンタナナリヴ

Manatody Fundへの思いは、やはり青年海外協力隊の活動にさかのぼります。村落開発普及員(現コミュニティ開発)として派遣された私の要請内容は、村で魚の養殖を普及するというものでした。2年間の活動で、講習会を開いたり、稚魚生産の池を作ったり、その様子をビデオに収めて教材も作ったりしました。それでも、目覚ましい成果はあげられず、なんだか独りよがりで終わった2年間だったなという思いで村を後にしました。そんな私に対して関わった村の人たちはいつも笑顔で優しく接してくれました。赴任当初の不安なんて全くの杞憂でした。村の発展に貢献するなんておこがましく、むしろ自分自身の経験を積ませてもらいました。首都に向かう車の中で、きっとまた戻って来ようと、いや、なんとなく、また戻ってくるんだろうなという気がしていました。そして、実際、2010年以降、再びマダガスカルと関わった仕事をしています。あの時よりは少しはマダガスカルのために貢献できているのではないかと思います。

村人と作った養殖池

私はたまたまマダガスカルと長く関わって仕事ができていますが、多くの人は、思いはあってもなかなか具体的な仕事や活動につなげられていません。それをすごくもったいないと思っていました。今回、Manatody Fund設立の話を聞き、少しでもその思いを持った人の役に立てればと思っています。一人の思いがやがては大きな力になると信じて。

協力隊当時の筆者(後方)


文責/羽原隆造