2021/02/15 10:13

※セ三味ストリートの生配信ライブは演奏者のスケジュールの都合により、ピエール小野&萩原 遼 又は ピエール小野&虎見 康登 のどちらかになります。

■コメント動画


■プロフィール
「見せる三味線」「笑える三味線」を目指し、前例のない「肉体派津軽三味線パフォーマンス」で2001年より活動開始。
各地での路上演奏と大道芸を行い、東京都公認大道芸人ライセンス「ヘブンアーティスト」第一期オーディションに合格。以降、日本のみならず世界各地のイベント・フェスティバルに出演する他、数々のメディアに出演。各地で多数の女性ファンを魅了し続けており、その年齢層も上は100歳から下は75歳までと実に幅広い。
誰が見ても笑えるパフォーマンスに本格的な津軽三味線演奏を加えた独特のステージング、そして大道芸で鍛え上げられた技とトークで、世代・性別・場所、腹の減り具合から二日酔いの有無にかかわらず、誰よりも圧倒的に場を盛り上げる実力派だと本人たちは思い込んでいる。

HP https://shamisen.jp/seshami/home.html

■メンバー

萩原 遼(はぎわら りょう)

東京生まれ。大学の後輩であるピエール小野と虎見康登をそそのかして路上演奏を開始、当初から方向性を大いに逸脱しコメディ大道芸路線を突き進んで『セ三味ストリート』(せしゃみすとりーと)を結成する。
そのまま東京都公認大道芸人ライセンス「ヘブンアーティスト」第一期オーディションに合格。以降、笑いが取れて、かつ、フル英語でのMCが可能ということで下手くそながらに重宝され、わけがわからないまま日本のみならず世界各地を巡業する三味線芸人となって人生を誤る。
その他、津軽三味線五重奏ユニット『我人』(おらんど)で大会に出場したり、『Project和豪』でバンド活動したり、ダイビングインストラクターになったりと意味不明な経歴を重ね人生迷走中。三味線は故・福士豊秋師に師事したが師匠の名を立てるほど大したことはできません。

ピエール小野(ぴぇぇる おの)

東京都葛飾区出身。訓練されていないドーベルマンとマーシャルアンプの間に生まれる。某大学に入学後、見えない自由が欲しくて津軽三味線を始めるが、大学中退と同時に三味線も中断。その後実家に引きこもり、18世紀のテレイズ川の水運に関する研究に没頭。1年以上に渡って様々な文献を渉猟し、形而上学的な方法論をもって些細に渡る仮説を導き出した結果、結論として『セ三味ストリート』への参加を決意する。KIJI師に津軽三味線を師事。 『セ三味ストリート』、『我人』(おらんど)、『沙羅璃』(しゃらり)として3つの東京都公認ヘブンアーティストライセンスを所持する津軽三味線パフォーマーとして、国内外のフェスティバル・イベント・ライブ等に多数出演。その他、三味線指導、作曲、映画『座頭市The Last』レコーディングなど、多岐に渡る活動を展開している。

虎見 康登(とらみ やすと)

青森県八戸市生まれ、埼玉県育ち。幼少のころから山田流筝曲を学ぶと共に、小中高校では吹奏楽部でフルート、打楽器、コントラバスを担当し西洋音楽を吸収する。大学から津軽三味線を手にし、並行して和太鼓、篠笛にも手を出すなど節奏のなさを発揮、小泉純一郎似の風貌を活かして「聖域なき邦楽構造改革」に着手。「わかりやすい邦楽」を伝えるべく、精力的に演奏活動を行う中で、『セ三味ストリート』の活動を始める。大学生活の傍ら、NHK邦楽技能者育成会(48期)を箏で修了。そのOB会結成にあたり、「育成会48期」にちなんで会の名前を「ISK48にしよう!」と提案するも、同期たちの乾いた笑いと共に受け流される。こう見えて慶應義塾大学非常勤講師。現在は三味線を松田隆行師に師事。 

■動画