2021/07/27 08:00

2017年の夏、私は初めて北海道に訪れました。東アジア共同ワークショップに参加して、海外の観光客がまれに訪れる朱鞠内湖にいって、笹の墓標展示館に見学しました。ワークショップのプログラムを通じて、朱鞠内湖と雨竜ダムは強制動員、強制労働させられた植民地の労働者が、非常に酷い労働環境の中で作ったことを初めて知りました。北海道の冬の厳しい寒さのなかで、たくさん朝鮮半島出身の労働者たちは、二度と故郷に戻れなくなりました。その位牌はまだ旧光顕寺、今の笹の墓標展示館にありました。

台湾人は北海道の強制労働の被害者ではありませんでした。しかし、同じ植民地統治のなかで、大日本帝国に動員させられ、男子が戦場に行って、女子が軍隊で性的労働をさせられました。台湾人とは関係ない戦争なのに、家族と引き離され、犠牲になりました。事情が異なると見えますが、帝国が植民地の人々の運命を操るという論理は同じです。

笹の墓標展示館は、私たちにこの血と涙の歴史を忘れてはいけないで、過去の誤りを肝に銘じて、繰り返さないようにと語っています。私たちは国境を越えて、ここで出会うきっかけはこんな悲しい過去です。しかし、私たちは、歴史の傷を癒して、新の連帯を作り直しようとしています。お互いの気持ちを大事にして、支え合って、東アジアの平和を守っていきたいです。再生した笹の墓標展示館は、これからも東アジアの若者たちを見守り続けている存在になれるように、心からお願いしています。

2017年ワークショップ参加者、NGO職員 鄭敏(ジェン ミン)


2017年的夏天,我初次踏上北海道的土地。因為報名了東亞共同工作坊,我拜訪了海外遊客鮮少前往的朱鞠内湖、參訪「笹の墓標展示館」,並在工作坊的參訪過程中,得知朱鞠内湖和雨龍第一水壩乃是日本強徵殖民地人民、讓他們在惡劣的勞動環境下興建而成。北海道冬天氣候嚴寒,不少來自朝鮮的工人因此客死他鄉,再也回不了家,牌位安於舊光顯寺—如今的笹の墓標展示館。

儘管台灣並非此段歷史的參與者,但在當時日本的殖民統治下,一樣成為帝國的工具,男性用於戰事、女性則被欺騙至軍營提供性服務,為了與台灣人無關的戰爭被迫與家人分離,甚至犧牲。看似不同的時空的事件,背後卻是一樣的邏輯操弄著殖民地人民的命運。

而笹の墓標展示館的存在,便是提醒後世的我們這段血淚的壓迫史,記得曾有的傷害且不再重蹈覆轍。雖然這段橫跨國境的連結,起於傷痛的過往;但因緣際會齊聚在此的我們,願能在撫平歷史的傷痛後,建立新的連結—相互尊重、彼此照顧,守護東亞的和平。希望重建以後的笹の墓標展示館,能繼續為來自東亞各地的年輕人做見證!

2017年工作坊參與者、NGO工作者 鄭敏