2021/02/02 15:00
戦後まもなく、金物製造業者は「三木利器工匠具工業協同組合」「三木鋸工業協同組合」をそれぞれ設立して三木金物の振興発展のため一体的な活動を進めました。三木の問屋は北海道から沖縄まで津々浦浦の全ての小売店へ販売していると言われています。そ...
2021/02/01 15:00
仏教が三木地方にで伝播し、寺院建築の需要に応じて鍛冶職も順調に伸びたようです。その後、織田信長軍の中国攻めの際に別所公は兵糧攻めにて一族が自刃して開城となった後、崩壊した三木の町を復興させるために豊臣氏が税を免除されたので大工が大挙集...
2021/02/01 09:04
ご支援有難うございます。早々に、目標金額を達成できました。五代目が休日返上で鍛錬してくれています。まだ先ですが、ご支援戴いた方々に喜んでいただけるように私も頑張ります。先ずはお礼申し上げます。有難うございました。藤本
2021/01/31 13:18
日本人鍛冶(倭鍛冶)は日本国内に数多く存在していました。三木も同様に刀鍛冶・野鍛冶が多数あったそうです。戦国時代までは三木が播磨の中心で中国地方から京都への街道でした。特に別所公が上ノ丸に城を築き周辺(24万石)を治めていたので、新し...
2021/01/29 18:00
播磨の国・三木は大工道具の町として日本は元より欧米始め世界に知られています。その三木に「肥後守ナイフ」は他の道具類にない五代目への継承がされています。明治27年ごろ金物問屋「重松太三郎氏」が鹿児島から持ち帰ったナイフを元に、村上氏及び...