2021/05/25 18:00

にんじん湯復活に関わってくださった地元の協力メンバーをご紹介します。

今回ご紹介するのは、にんじん湯の改修にあたり、内装工事監理にご協力くださった建築家の黒野有一郎さん。にんじん湯店長の大武との対談形式でお送りします。

黒野さんと大武は、どちらも豊橋駅前にある「水上ビル」(水路の上に建つ全国的に珍しいビル群)で生まれ育ちました。そんな2人の視点から、水上ビルやにんじん湯を含む豊橋まちなかエリアについて、「継業」をキーワードにお話しします。(以下、敬称略)


プロフィール

黒野 有一郎

一級建築士事務所 建築クロノ主宰/建築家

愛知県豊橋市生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業後、野沢正光建築工房など東京の設計事務所勤務を経て、2004年帰郷を機に一級建築士事務所 建築クロノを設立。現在、水上ビルの大豊商店街理事長のほか、駅前エリアのまちづくり協議会「豊橋まちなか会議」副会長を務めるなど地域のまちづくりや商店街に積極的に関わる活動をしている。 


ー 建築家であるとともに「水上ビル」の一画の大豊商店街の理事長としてまちなかの賑わいづくりに力を尽くす黒野さん。
現在、豊橋駅前では再開発が進み、水上ビルの空き店舗にも続々と新店主が入居、新旧が混在する魅力的なスポットになっています。出店が相次ぐ要因はなんでしょうか?

黒野 色々な条件が重なっていると思います。僕たちも頑張っているが、市もお金をかけて道路を整備してくれたり、再開発もあったり、そういうのをみんな見ている。水上ビルはスペースは広くないが、家賃もそんなに高くない。あと、大豊商店街が50周年を迎えた時に僕が理事長として「20年生き延びる宣言」をしました。当時、根拠のない噂も立っていたし、もう壊すんじゃないかという不安のある建物に投資はできない。そのメッセージも一助になっているかと思います。

大武 私は地元に戻ってきたら新しい店がこんなに増えていて、今、必死に覚え直しています(笑)
昔の記憶があるからこそ、古さを活かしたデザインがたくさん目につきます。ゆとなみ社も意識しているところなんですが、全く新しくするんじゃなくて、その土地、その建物のストーリーを受け継いで、良さを活かしていく。

黒野 そもそも15年前だったら思わなかったことをみんなが思うようになっているんじゃないかな。阪神淡路大震災以降、コミュニティが大切だよねと言われてきた。それからいくつかの震災を経て、地元へ目が向いてきたし、地域のものを大切にしようという意識が広まっていった。
僕が03年に東京から地元である豊橋へ戻る時、周りからは「もう東京では頑張らないんだ」という都落ちのような感じで思われていたけれど、その後、意外と元気に地方でやっているのねと評価されてきた。だから変わっていくんですよね。

ー 豊橋のまちなかに空き店舗が目立ち始めたのはいつごろからですか?

黒野 僕は2000年ごろがまちなかの衰退の底だと思っています。03年に駅前から西武百貨店が撤退したことは市民にとってすごいショックな出来事だった。それで04年にとよはし都市型アートイベント「sebone(セボネ)」がアートの力で人と街を元気にすることを目的として水上ビルを含む駅南エリアを中心に始まりました。
理事長になった14年ごろも商店街には2割を超える空き店舗がありましたが、現在では1割もないと思います。

大武 2000年ごろと言えば、私が水上ビルから引っ越したころです。確かに、それまでの間に周りで一軒、また一軒と閉店が相次ぎ、我が家があった棟は半分くらい閉まっていました。
水上ビルで時計店を営んでいた私の祖父も、そのころには高齢になり店を畳んでいました。店主たちの高齢化も、空き店舗増加を加速させていたかもしれません。


ー 今回、「継業」と言う形でゆとなみ社が人蔘湯を再開させました。事業承継の新しい形として注目されていますが、黒野さんも以前から継業に関心があったと聞きました。

※継業とは…家族や親族、従業員ではなく接点のなかった第三者が地域の生業を継承すること

黒野 ある時、たまに行く喫茶店に「1ヶ月後に閉店します」という札が貼られていたんです。マスターが「誰か継いでくれる人がいたらいいんだけどね」と言っていたので、知り合いに聞いて回ったらやりたいという人が見つかった。
一部でも飲食店として継がれ、生き延びることができた店がある一方で、まちなかではおいしいうどんの名店や、甘党トキワさんとか豊橋を代表する老舗がどんどん閉店してしまう。継ぎたい人との間に信用のある人が一人いてくれれば、別の形であれ店を残すことができるんじゃないか、とずっと思っていた。
そしたらそれは湊(三次郎)くんたちがやっている「継業」だと知りました。京都だと100年の老舗が潰れるのはダメだと周りがきっと思うんだよね。「あそこを潰しちゃいけない」と継ごうと思う人がいて、なんとか一部を残しながらでも、伝統を守るネットワークがあるんだと言われて、それはやっぱり京都ならではだと思いました。
とはいえ、豊橋にだってなくしてはならない店はあって、みんなが惜しいと思うわけで、息子じゃなくても継ぐ人はきっといる。それは本当にもったいないと思っていたんです。


ー ゆとなみ社は関西で5軒の銭湯を継業し、東京でもコンサルタントを行っています。続々と閉店していく銭湯の中で継業できると判断するポイントや難しさは?

大武 人蔘湯は地元出身者の私がいなければやれていたかどうか、ちょっと判断は難しかったと思います。さすがに京都で働いているスタッフに豊橋に行けとは言えないので、そこは私がいたからスムーズだった。人蔘湯の場合、人蔘湯を取材したことのある編集者の松本康治さんが女将さんとゆとなみ社を繋いでくれました。

黒野 その松本さんが湊くんを知っていて、湊くんには既に実績があり、そこに豊橋出身の大武さんがいて、そういう奇跡。どんどん店が大量に潰れていく中で、そういう繋がりがうまくいったところだけに何か幸福なことが起こるわけじゃない? それは奇跡といえば奇跡だけど。

大武 偶然でもあり必然でもあるという感じですかね。
継業できない理由はいろいろですが、一つはオーナーさんが他人には貸したくないというもの。京都では結構ありますが、もしかしたら信頼してもらうことで気持ちが変わるかもしれない。もう一つは事業性の問題ですね。銭湯は一定の燃料代と水代がかかってくるので、事業性がないとやれない。立地条件、周辺エリアの人口、定期的に来てくれる人がどれくらい見込めるのかを見ると厳しいところはあります。

黒野 そもそも、廃業を決めた人は継いでくれる人が登場するとはまずは思っていないよね?

大武 はい。外の人に継いでもらうという発想がない。その上、自分がやってきて苦しい仕事だから子どもにはやらせたくないと思っていたりする。「もうやめるんだ」と決めた人の決意を覆すのは相当大変ですね。何年も、下手したら何十年もやめる時を覚悟してやってきているから、そこはなかなか難しいところです。人蔘湯を紹介してくれた松本さんはあちこちの銭湯に出入りしていて、それぞれで深い付き合いをしているので、銭湯側も松本さんの話なら一回聞いてみようとなった。

黒野 まだ少し廃業が惜しいと思っていて、継いでくれる人が登場すればちょっと残しておいてもいい、という場合がたぶんある。その時は湊くんや松本さんのような付き合いや信用が担保になる。人と信用、そこが継業のきも。何によって信用を得るのか、ある人は実績だし、ある人は知り合いだったりする。

大武 結構深い繋がりがないと話もなかなか聞いてもらえない。松本さんのような人がどれだけいるか、動いてくれるのかというところが鍵になると思います。

黒野 例えば、不動産屋は空き店舗の前にただ札を出すんじゃなくて、担当をつけて、地域に介入しながら信用を得て、「何かあったら言ってね」という信頼関係を作るような、仕事の領域を変えていくことでその役割が担えると思う。

大武 京都では地元の不動産屋でかなり踏み込んでやっているところがあります。まちづくりの部署があって、ネットワークを作り、新しく起業したい人に物件をコーディネートしています。ただ物件を貸すのではなく、お金にならないかもしれないけれど、地域のために人のつながりを作っている。他にも、京都信用金庫は定期的に地域でお店をやっている人や個人で活動している人を集めて交流会をしていて、情報交換や新しく改装する融資の相談にも乗ってくれます。その中には、不動産屋もメンバーにいて、物件探しをサポートしてくれることも。地域で起業した人を表彰する制度もあり、金融機関の枠を超えて、色々協力してくれています。

黒野 それはすごい。豊橋でもそういうネットワークを作ってもいいかもしれないね。


ー 最後に、黒野さんが人蔘湯に期待することは?

黒野 僕は、人蔘湯がなぜ再生できたのか、一体何をどういう風にやるんだろうというところに興味があります。まちづくりの観点で言うとすごく面白い場所が一つ増えたなと。この企画なら人蔘湯さんでやればいいじゃんという話もできるし、そこには実績と経験値の高い人たちがいるので、連携をとっていきたいと思う。ファンを作るためのノウハウも知りたい。そこはすごく期待しています。

大武 私もまちなかに人の動きが作れたらいいなと思っています。商店街はずらり店が並ぶ線だけど、周辺に面白いスポットや店が点在することでこれからは面的に広がり、エリアのようになっていくんじゃないか、と言う話を聞いたことがあります。人蔘湯も面にするための一つのポイントになりたいと思っています。


以上、黒野さん、ありがとうございました!

クラウドファンディング終了まで1週間を切りました。引き続き、ご支援よろしくお願いいたします。

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インタビューは地元ライターの飯塚さんに執筆いただきました。わかりやすい文章をありがとうございます!

ライター:飯塚雪
1985年、愛知県豊橋市生まれ。大学卒業後に東京へ上京、地元新聞社への就職をきっかけにUターンする。7年間の記者活動を経てフリーに。2020年に立ち上げたローカルwebメディアaoものにて豊橋・田原地域のニュースを発信中。

飯塚さんに執筆いただいた、にんじん湯のイベントレポートもぜひご覧ください!