2021/04/02 12:05

今日はある委員の文章を掲載します。私は委員会のクラウドファンディング担当で、いただいた原稿をチェックし、ここに掲載する係です。間違いがあってはいけないので、何度も音読チェックするのですが、読むたびに涙が出て止まりませんでした。みなさん、今、心に余裕がありますか? ない場合は、余裕がある時に読みに来てください。


あなたのお住まいの地域に支援はありますか?

もし、心に余裕がある場合は、しっかりとこの文章を受け止めて、一つ行動を起こしてください。自分のお住まいの市区町村には「失語症」に関する支援はありますか? 何があるのか調べて見てください。福祉課などに赴いてみてください。

脳卒中や脳梗塞のリスクは年々増しています。けして脅すわけではありませんが、あなたが、あなたの大切な人が「失語症」になる可能性は0ではないのです。むしろ年々上がってきているのです。

失語症に限らず、どんな障害を負っても、「何の臆面もなく社会にははばたき、職を得て、居場所を確保し、当たり前の生活を送ることができるように」少しずつで良いので世の中を変えていきませんか? 困っている人がいたら声をかけるだけでも、世の中は良くなります。


特定非営利活動法人日本失語症協議会の園田です。協議会は1983年に発足した失語症のある方、ご家族、支援者の方々の会です。これまで35年にわたり、失語症のある方の当たり前の生活を確保するべく、いろいろな活動をしてきました。


私がなぜ、そのような活動にのめりこんだかと申しますと、目の前の現実との闘いが原因でした。


私の夫は、今から19年前、脳塞栓から重度の失語症者となりました。そのころの夫は、働き盛りでもあり、突然の発症により、私たち家族の生活は180度変わってしまいました。経済的にも、社会的にも、これからどうすればよいのか。右も左もわからず、周りには相談できる窓口もなく、ひたすら行政の窓口に通いました。そして、いくつかの福祉サービスを受けることができましたが、その道は紆余曲折でした。20年も前のこと、当時は利用できるサービスもあまりなく(現在も多いとは言えませんが)、夫は復職を目指しリハビリに励みましたが、言語の機能訓練が受けられたわけではありませんでした。病院を退院した失語症者に、言葉の機能訓練をする場所など、当時は全くありませんでした。今でもありません。


そのような中、失語症協議会の存在(当時:全国失語症友の会連合会)の存在を知りました。友の会の中で、多くの経験豊富なご家族や、当事者の方々からご助言を頂戴し、夫も、友の会の活動の中で、ゆっくり回復していきました。私も協議会の事務所をお手伝いするようになり、今に至っています。


話が戻りますが、夫が都身障の職業訓練を終了した折に、「もう、復職は無理ですね!」と教官の発した言葉に、夫婦そろって落ち込み、訓練さえ終えれば職場に戻れると期待が大きかっただけに、言葉を失ってしまいました。帰途の車中はとてもつらく、涙をこらえるのに必死だった記憶があります。もう駄目だ……と。


その後、夫は、全国でも珍しい失語症の方々が通所する作業所、今でいう就労継続支援B型施設に通所しました。毎朝、夫の落ち込んだ背中を見るのは本当につらい日々でした。10年ほど通所しているその間には、色々な事件や、交通事故など、様々な出来事がありました。そして夫は、今では前期高齢者の仲間入りをしています。週1~2回デイサービスに通う日々です。

20年前は勿論ですが、現在でも、失語症に対する、福祉環境が充足されているかと問われればそれは「NO!」です。「失語症」という名称も、その障害に対して適切ではないと思います。失語症のある方が受ける生活の困難さを、社会全体が理解できていないということが、一番の理由ではないでしょうか?

特に、回復に長期間を要するという専門家のエビデンスがあるにも関わらず、退院後の失語症者には、機能訓練をする施設がほとんどないのです。このことは、失語症のある方の社会復帰、職場復帰を大きく妨げています。


失語症の日は昨年から記念日として承認されました。 これを機会に、多くの方々に失語症の困難さをご理解いただき、失語症のある方が何の臆面もなく社会にははばたき、職を得て、居場所を確保し、当たり前の生活を送ることができるように、応援を頂戴いたしたく思います。どうぞよろしくお願いいたします。

園田さんは、年下の私がこんなふうに言うのは大変失礼なのですが、とてもチャーミングな女性です。でも、この笑顔の下には想像を絶するご苦労と、そしてこの課題を社会に問いかけていく強靭な精神があるのだと思いました。

NPO法人日本失語症協議会からは、リターンとして4冊の本を提供していただいています。

ぜひ、ぜひ、読んでみてくださいね。