2021/04/11 14:16

こんにちは。失語症当事者でも、その家族でも、医療従事者でもない、失語症の日制定委員会の中の人、NPO法人Reジョブ大阪の松嶋です。

3年前、私は友人に当事者の書いた手記の編集を頼まれたことをきっかけに、失語症や高次脳機能障害、いわゆる脳損傷の患者さんに起きる後遺症のことを知りました。そして見た目では障害があるとパッと分からないがために、障害者手帳の申請ができなかったり、復職時にトラブルに見舞われたり、支援がなかったりします。そんなひどい状況を知り、「これって何とかしなくちゃいけなくね?」ということで、言語聴覚士の西村紀子とNPOを立ち上げたのです。


いっそ、死んでしまえばよかった。中途半端に生かしやがって

そんな言葉が当事者の口から出てきた時、一瞬気を失うほどショックでしたが、これはこの人が弱いからじゃない、社会が障害に弱いんだと気づきました。医療技術が発達して、本来死んでしまっていたはずの命が助かる。これは完全に、間違いなく、素晴らしいことです。死ねば良かった人なんて、この世にいないんです。でも、その後、障害を負って生きるのがつらくなったら、この日本で「でもさ、助かって良かったね」と言えるでしょうか。私は私の生きている間に、こんな世の中を少しでも変えたい。万が一、私の、例えば息子が障害を負った時に「俺、死んでしまえば良かった」などと言わせたくないのです。皆さんもそうですよね!

でも、ひとりの力じゃ変えられない。そこに力を吹き込んでくれるものの1つがクラウドファンディングです。例えば私が「寄付ください」って言っても、友人が「ん-、またぁ?」と嫌がっておしまい(笑)自腹でもいいか……となるかも(笑)

でも、クラウドファンディングって、私の友人がシェアするだけで、私の知らない人にまで記事を見てもらえるんですね。そしてその人が「いいね」するだけで、そのプラットフォームをその人の友人が見る時にタイムラインに表示されるようになる。そしてたまたま目にした友人の友人の友人くらいの人が「そういえば、私の母も、脳卒中してから変だわ」とか「近所のあのいつも怒っていたおじいちゃん、自転車で転んだあと急におとなしくなった」とか、そういうことを思い出して記事を読んで「この本ほしいな」って思ってくれる。そういう力があるんですね。


冒頭に述べましたが、私は失語症当事者でも、その家族でも、医療従事者でもないので、特にクラウドファンディングなんてやっていると、「障害を負って人生めちゃくちゃ。静かに暮らしたいんです。そっとしておいてください」と言われることも。「あなたに私たちの気持ちは分からない」とも。凹みましたよ。悩みました。そして禿げました(笑)あ、でも、去年の失語症の日に出来た禿げは治ってきましたよ!(笑)

色々な考え方があります。でも私は、私たち「失語症の日制定委員会」は「広く知ってもらう」ことを目的に3人から始めた委員会です。だって、知らない人がいるから、大変になるのだもの。

病院の窓口の人、市役所の担当部署の人でも知らない人がいるんです。一般人ならなおさらです。知らない人がいるから、そういう人がいるってことに想像力を持てない人がいるから、レジでもたもたする人に向かって「早くしろっ」とか怒鳴る人もいるし、電車の中で杖を突いている人がいるのに、いえ、乗ってくる可能性があるというのに、寝たふりどころかぐっすり寝て人もいるんですね。

しかも「知ってる」と「行動を起こす」ことの間にはまたいくつものハードルがあるんです。せめて「知ってる」人だけでも増やしたい。私たちはそう考えています。


この図は失語症の日のホームページにあるものです。

知ってもらうことで、私のように障害がない人が変わるのが上二つ。そして、最近では下の「社会参加」が特に重要だと言われています。つまり、障害を持ってしまった人も、社会参加が大切だということです。人間は社会的な動物です。コミュニケーションを取り、人や社会と関わることで、生きる意味を見出していく生き物。失語症はそのコミュニケーションが上手に取れなくなってしまうので、なおさら、上二つのアプローチが必要なのです。

皆さん、今日でクラウドファンディングは終わります。

が、私たちの活動はこれからも続きます。

「そっとしておいてほしい」と言っていた人たちが、少しでも前向きな気持ちになり「知ってほしい」という、言葉にならないかもしれないけれど、そういう「言葉を超えて」希望を持てるような社会にしていきませんか?


まずは、もうすぐ私たちのクラウドファンディングで完成する本『言葉を超えて-失語症と生きるということ-』を読んでみませんか? リターンにあります。