2021/05/14 20:00

 二週間後にマリアから長い手紙が海彦に届いた。

 海彦は封を開けると途方に暮れた。またもスペイン語で書かれている。英語なら何とか

なる。スペイン語になるとお手上げ。仙台でスペイン語に精通している人はそう居ない。

そう云えば学校の課外授業にフラメンコを教えに来ているスペイン人の先生が居る。

 海彦は学校の事務室に行って、訳を話し、頼み込んで、フラメンコの先生の連絡先を教

えてもらった。アポを取ると、先生は快諾してくれた。それからは全力で自転車を走らせ、

先生の住まいに向かった。先生は手紙を読み、口頭で日本語に翻訳してくれた。   

 海彦は聞き漏らすまいと集中。ボールペンを走らせた。


—またスペイン語でのお手紙になります。

 ゴメンナサイ。わたしは日本語を読めるようになりました。でもまだ上手く書けません。

漢字がとても難しい。平仮名と片仮名の使い分けも大変。仙台に行くまでには書けるよう                           

になりたい。頑張ります。仙台行きのスケジュールが決まりそうです。友好協会の伊達さ

んから手紙が昨日届きました。わたしを仙台に招いてくれるそうです。スケジュールは私

の都合で良いと書かれていました。

 夢を見ているようです。

 今日は十一月二〇日。今からでも飛んで行きたい。けれど学校を長く休めません。クリ

スマスは家族と過ごさなければなりません。日本人がお正月には家族が集まって、美味し

いものを食べると、日本語学校の先生が話していました。日本人はクリスマスよりもお正

月が大切と知っています。スペイン人はお正月よりもクリスマスが重要なのです。それで

クリスマスが終わってから行こうと考えています。伊達さんにもそう書きます。

 学校は十二月二十三日から二週間お休み。スペインでも英語圏と同じように『Christm

as & New Year Holiday』と呼んでいます。

 海彦の手紙でひとつだけ分からない文字がありました。 

『男伊達』です。教えて下さい。セビリアの日本語の先生は若い女性の日本人ですが、聞

いてもハッキリしませんでした。彼女は「男の中の男」と。わたしは少し違うと思ってい

ます。彼女の言う通りなら嘉蔵の和歌の終わりは「これが本当の男の中の男」になります。

 日本語で『男伊達』とは「男の中の男」を意味するのでしょうか。 

『男伊達』と結んだ嘉蔵は「自分は伊達藩のサムライである」との矜りを詠んだのだと思

っています。嘉蔵の矜りである「伊達藩のサムライ」とは…。これがわたしの疑問です。

 海彦の謎は、海彦がコリア・デル・リオに来ないと分からないと思います。

 来たなら必ず解けるはずです—


 海彦はふ~っと息を吐いた。

『男伊達』を説明するのは難題。難題に向かう前にマリアが書いた文字の綺麗さに衝撃を

受けた。前回の手紙同様に、丁寧に、スペルが記されていた。よほどの気合を込めないと、

こうは綺麗に書けない。海彦は自分のスペルの汚さを恥じた。

 それにしてもマリアは賢い。

『男伊達』を見逃さなかった。

 仙台人でも『男伊達』を外国人に、ひと言で、分かってもらえる人は、数少ないはず。

俺も今のところは伝えられない。マリアに「そうなんだ」と、分かってもらえなければ、

嘉蔵の和歌を書いた意味が半減するし、嘉蔵に申し訳ない。

 海彦は『男伊達』が日本語に定着するまでの歴史を考え始めた。

 海彦は書き取った翻訳文をパソコンに打ち込み、プリントして、マリアの返信原文を添

えて海太郎に差し出した。

「まだ知らせていなかったけれど伊達から連絡があった。友好協会がマリアを招待すると

正式に決めたそうだ。いよいよだな。ところで『男伊達』をマリアにどう説明するんだ」

 読み終えた海太郎が言った。

「難しいけれど何とかするよ」

「そうか。頑張れよ。マリアは利発な娘だ。『男伊達』には伊達藩の歴史と我々のIde

ntityが詰め込まれてるからな」


—マリアの『男伊達』への疑問は正しい。「男の中の男」は間違ってはいない。けれど正

しくない。『男伊達』が日本語として定着するまでには古くて長い歴史がある。今はそれ

らを省略。マリアが仙台に来た時には『男伊達』を時間をかけて伝えます。

「嘉蔵は『自分は伊達藩のサムライである』と矜りを詠んだ」との理解はその通り。                               

 マリアが日本語の他に日本を一生懸命に勉強しているのが分かります。国語辞典には伊

達男の意味が三通り載っています。『人目につく洒落た身なりの男』『弱い者を助けよう

とする男。その気性を侠気(きょうき)と云う』『勇敢に戦う男』

 何れも伊達藩のサムライへの誉め言葉です。通例では『伊達男』と使われます。それな

のに男を頭に置いて『男伊達』と書いたのは嘉蔵の矜りの強さなのです。この使い方を倒

置法と云います。倒置法とは強意。嘉蔵の和歌は日本に残される家族と故郷への別れ。そ

して「自分は伊達藩のサムライらしく故里吾出瑠里緒で生き死ぬ」と高らかに宣言した。

その嘉蔵の想いのすべてが『男伊達』に込められています—


 海彦はマリアからの返信を海太郎に見せなかった。

 マリアの日取りが決まった。十二月二十七日から一月五日まで。



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