2021/10/11 11:06


おもしろい形の雲を見つけたとき、歩いていてふと散歩中の犬と目があったとき、お風呂にゆっくり浸かっているとき。
そんな日常のささいなことが私たちの「たのしい」であり、

「こりゃダメだ。詰んだ」という場面で「おもしろくなってきやがった」と次元大介になりきって自分を奮い立たせたり、日々積み重なる雑事や仕事を前に「これを終わらせたら、ご褒美にアレを食べるんだ」と自分の前ににんじんをぶら下げたり。

困難な状況を前にしたときに、ひとまず口角をあげてみるのが、私たちの「たのしい」なんです。


株式会社たのしいという会社名の由来になっている、独楽吟(どくらくぎん)という歌集。橘曙覧(たちばなあけみ)という江戸時代末期の歌人の連作和歌集で、いずれも「たのしみは…」で始まり「…する時」で締められています。

彼は貧乏でした。それもかなりの。その貧乏な日常生活のそこここに隠れている、小さな喜びや楽しみを歌った歌集はどれも身近で親しみやすいものばかりです。


たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時

(朝起きて庭に出てみると、おや?昨日まで咲いてなかった朝顔が大きく見事に咲いているではないか。ああ、こんな時なのだよ。なんとも言えずうれしくて幸せな気分になるのは)

新井満 『樂しみは』講談社,2008


この人は本当に幸せ探しの名人で、貧乏を嘆くのではなく、ほんの少しでもお金やお米が入ってくるとそれを大いに喜びます。

ささやかな季節の変化を見逃さずに、それに楽しみを見出し、孤独を楽しみ、友人との時間も楽しむ、家族となごやかに食事ができたなら、これ以上の幸せはないという人生観は、私の幸福論の原点であり、指針でもあります。「ほりたのしいたけ」というダジャレだけで会社名を決めた訳ではないのです。

起業したときに考えた「たのしいがやりたいこと」 それは、おいしさと健やかさの追求、しあわせと豊かさの追求。大人たのしい生活を商品や暮らしで伝えること。

そして、私たちが考える「大人たのしい生活」とは「たのしいを見つける」こと。

ビニールハウスにあたる雨の音や、カッコウやうぐいすの鳴き声。いろんな葉っぱの形や、水のはった田んぼに映る青空や夕陽。畑に広がる夏の匂いや、週末どこからか漂ってくる炭を起こす香り。春に採る山菜の苦味や、採ったばかりのハスカップの爽やかな酸味。土の触り心地や、タンポポの咲いた原っぱに寝っ転がった肌触り。

ここ、厚真町での暮らしには五感を全開にして、常に生まれては消えていくささやかな変化を感じとる楽しみがあります。

ひとりの食卓でも、ちょっといい器にキレイに盛り付けて、見た目と香りと味をゆっくり楽しむ。人と比べることなく、物や名声やお金にこだわらずに、自分の好きなことを大事にする、それを楽しむ時間をつくる。

そうやって、過ぎ去る日々の生活の中に「たのしいを見つける」ことこそが、幸せをつくることにつながるのだと思うのです。

みなさんの食卓に、私たちのたのしいたけをお届けすることで、美味しさだけではなく「たのしい」も味わってもらえたら。そう願っています。