2022/02/14 07:00

遂に、最終日となりました!今までご支援を頂いた皆様、本当にありがとうございます!最後までよろしくお願いいたします!!

今日は本の「おわりに」の部分を先行公開します!

私たちが、

「なぜ、TikTokをするのか?」
「なにを願っているのか?」

どこでもお話したことのないことも、書いています!ぜひ、読んでみてください!

そして、少しでも興味を持っていただけたら、
どうかクラウドファウンディングの方も
応援をして下さると、嬉しいです!

「おわりに

 本書をきっかけに私たちのSNSの投稿を見る人は多いと思います。そして、真面目に人集めをなんとかしたい、仕事を増やしたい、と思っている人ほど「めっちゃふざけたヤツらじゃん」という感想を持たれるでしょう。

 ななめ読みや、飛ばし飛ばしでもここまで本書をお読みになった方には、なぜ私たちがチャラチャラした(ように見える……いや、実際そうなのですが)投稿をしているのか、少しはご理解いただけたのではないかと思っています。

 最後に、もう少しだけ「自分のこと」と「思い」の部分を共有しておきます。

 私が生まれた家庭はちょっと複雑でした。いろいろあったので、かいつまんでお話すると、父は蒸発し、家計を助けるために私は高校卒業後アルバイトをしていた、という感じです。そのとき、私がアルバイトしていたのが警備会社でした。当時の日給は8000円。土日も必死に働いて月給25万円程度でした。ただ、これがご縁で今があるわけではありません。この時のアルバイト経験はたまたまでした。

その後、私はメールオペレータを経てWebデザイナーとして働いていました。そのとき、ひょんなことから蒸発した父と再会し、実は会社の社長になっていたことを知り、父の会社のWebデザインの仕事をすることとなり、紆余曲折あって入社することになりました。その会社が、当時社員数120名くらいの規模の大京警備保障です。当時私は28歳でした。随分はしょりましたが、私と大京警備保障との出会いはざっとこんな流れです。

私が入社した当時、社内は異様な雰囲気に包まれていました。端的に言うと、父(社長)による恐怖の支配の中で社員が働いていたのです。そんな社長の息子である私に対しても、腫れ物に触る感じで、なるべく関わらない方がいい、という空気でした。

父は昭和の中小企業経営者そのものでした。仕事に命を捧げるのは当たり前で、自分の言うことは絶対である、という具合です。社員の入れ替わりも相当激しかったことを覚えています。

その後、私は31歳のときに事業承継によって社長になりました。私から立候補したわけではないので、社長の座を狙っていた人たちからの鋭い視線は痛かったです。私に社長の席を譲った父は、その2年後、2017年に亡くなりました。

父が亡くなってからは、骨肉の争いが始まり、社内は荒れていました。社会的な背景もありますが、私が入社した頃に120名ほどいた社員は、私が社長になった後も減り続け、気づけば70名くらいになっていました。

課題はとにかくたくさんありましたが、とにかく人手不足をなんとかしようと思っていました。生前、父は「インターネットは信用できん」というタイプで、毎月少なくない投資をして、新聞に求人広告を掲載していました。それでやってくるのは50~60代の男性が主で、理念に共感しているとか、やりがいを求めているというよりは、とにかく生活のためになんでもいいから働きたい、というタイプの方々。猫の手も借りたい状態だった私たちは、そんな彼らに働いてもらっていました。

しかし...」

今まさに逆境を乗り越えていきたい方、是非手に取ってみてください。応援よろしくお願いします!