2022/07/30 14:24

プロジェクト公開より3週間が経ちました。皆さまのご支援に、改めまして感謝申し上げます。
高い目標を掲げたNEXT GOAL達成に向けて、まだまだ発信を続けていきたいと思います。

本日は、タリバンからの攻撃を逃れ、来日を果たした女性のストーリーをお届けします。
彼女たちにとって、来日がゴールではありません。命の安全は確保された今、一日も早く、異国の地日本で生活を再建させなくてはなりません。そして、中断せざるを得なかった自身の夢やキャリアの継続も、本当は望んでいるはずです。
来日した方々が、少しでも早く生活を安定させられるよう、皆さまの引き続きのご支援をお願い致します。

『日本語学校留学生として来日を果たしたズハルの未来』

ズハル提供の写真私は先月、アフガニスタンから日本に逃げてきたズハル・アハマッド(仮名)33歳女性です。私はガニ政権下の教師養成学校で、10年以上教鞭をとっていました。その傍ら、日本が技術支援していた教員の教科書を作るための改定チーム員も務め、その研修のために2回来日したことがあります。

昨年8月、タリバンが暫定政権を樹立し、小学校以外の女子への教育の場を閉鎖しました。そして、タリバンは私のことを「日本に協力した反ムスリム勢力の奴隷だ」と言いました。職場での空気は一変し、私は将来学校の先生になろうと希望する女子学生たちを教える仕事を失ってしまいました。

不幸は重なりました。私の父は早くに他界したため、母と私、それに弟家族と暮らしていました。母が昨年亡くなり、悲しみが癒えない間に、弟が今年亡くなりました。
タリンバンは、女性が働くことを好ましく思わないだけでなく、男性の親族なしに外出することにも制限を設けました。男性親族のいない私の家では、日々の日用品の買い出しに、私や、私の弟の妻が外出します。すると、町のタリバン兵士たちが鞭うちの脅しや、言いがかりをつけてくるのです。
職業を持つアフガン人女性の多くは、タリバンからの攻撃や嫌がらせを恐れて、また、アフガニスタンでの未来がないために、国外に逃れました。

このような難しい状況に、私は既に日本に逃れていたアフガン人の同僚と、JICA時代に私の同僚だった日本人に、日本に逃れる術がないか助けを求めました。緊急避難のための入国許可を日本政府から得ることは叶わなかったため、日本語学校への留学生としての入国許可を得て、安全な日本に退避する道を選んだのです。

来日して約1ヶ月が経ちました。毎日学校へ通い、一日も早く日本語が上達するように勉強をしています。
しかし、日本に来るための旅費で貯金を使い果たし、今は日々の生活費を前述のアフガン人同僚と日本人に借りています。先日、食器洗いのアルバイトに応募しましたが、日本語力が十分ではないため採用してもらうことができませんでした。今は新たに応募したアルバイトの結果を待っています。早くアルバイトを見つけ、生活費を自分で払うことができるよう頑張って働く予定です。まずは、来年の授業料60万円を貯金しなくてはなりません。

タリバンがカブールを制圧したとき、私は教師としての知識や技術を向上させるため、仕事後に大学院に通っていました。しかし、残念ながら中退せざるを得ませんでした。
いつか、大学院での勉強を再開できる日が来ること願っています。

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来日により命の安全は確保されましたが、さらなる困難は続きます。
1日も早い生活の安定のためには、皆さまのご支援が欠かせません。
引き続き、ご友人やお知り合いへのご案内、SNS等での拡散にご協力をお願い申し上げます。