2022/08/01 08:00

学校の成績だけが人間の価値であり、学校の勉強ができない障害者は社会で生きていけないのだと信じ込んでいた子ども時代の私。そんな私の価値観が180度変わったのは、大学卒業後、自立生活センターに関わり始めてからだ。

自立生活センターに出会ったおかげで、苦手なことは手伝ってもらいながら、入所施設ではなく、身近な地域で生活している障害者がたくさんいることを知った。特に、介助者などから必要な支援を受けながら、普通のアパートで一人暮らしを楽しんでいる知的障害の当事者に出会うことで、全てを自分一人で考えなくても、どんな生活をしたいのかを周りの人たちと一緒に、コミュニケーションをとりながら、試行錯誤しながら考えていくことで、地域の中でその人らしく生きていけることを学んだ。「勉強だけは健常者よりできないと、社会で生きていけない」という不安に自分自身が縛られ、ずっと生きるのが苦しかった私を解放してくれたのは、自分が見下していたはずの知的障害当事者だった。たぶん、それは知的障害の当事者しかできないことだったと思う。

もし小中学校時代、知的障害のある同級生も、本人が「静かな部屋で自分のペースで勉強したい」と望んだ時だけ別の教室に行き、それ以外の時間は他の生徒と同じ教室で過ごすのが当たり前の環境だったら、当時の私は、「自分も、テストの点数に関係なく、この教室にいていいんだ」と思え、安心して学校生活を送れただろう。学校は学力偏重主義になりがちなだが、知的障害のある生徒も普通学級に当たり前にいて、必要な支援を受けながら、自分らしく過ごせる教室こそが、どんな障害がある生徒にとっても、また障害のない生徒にとっても、「ありのままの自分でこの教室にいていいのだ」と安心できる場所だと私は思う。