2022/09/04 08:49

昨日は東京インクルーシブ教育プロジェクト(TIP)の仲間である田丸さん、向山さんと一緒に、海老原さんのご実家に伺い、ジュネーブのご報告をさせていただきました。本当ならジュネーブ出発前に伺う予定でしたが、コロナ感染者が予想以上に増えてしまったため、帰国してからの訪問になってしまいました。

で、訪問当日5日前に、ご実家の最寄り駅がエレベーターのない無人駅であることが判明。さすがは海老原さん。「せっかく私に会いに来るなら、運動しながら来てちょうだい」ということでしょう。

なので、3日前にJRに電話し、私が電車を降りる時間だけ、他の駅から駅員さんに来てもらって、車いすを階段から降ろすのを手伝ってもらえないか相談。何回かやりとりはあったものの、意外とスムーズに駅員さんを手配してもらえた。

当日、駅に着くと、駅員さんが6人くらいいました。そこに、田丸さん、向山さん、海老原さんのご両親が合流。海老原さんのご両親とは初めまして。

駅員さんが駅から手動車いすを持ってきてくれ、「電動車いすは重いので、御本人は一度、こちらの車いすに移ってもらい、電動車いすとは別々に運ばせてもらいます」と駅員さん。私は事前の電話で聞いていたので、「おねがいします」と言ったのだが、「ちゃんと、そのことを本人に説明して、了解とったのですか?」と、海老原さんのお父様の声。「ちゃんと説明してあります」と駅員さんが答えると、「だったら、いいけど。わざわざ車いすを変えなくてもいい気がするが」と、海老原父が呟く。

…さすが、海老原さんのお父様。思考回路が合理的配慮そのもの。


事前の電話では、介助者たちも車いすを運ぶのを手伝う予定でしたが、予想より多くの駅員さんが来てくれ、駅員さんたちだけで車いすを階段下まで運んでもらいました。

駅員さん、ありがとうございました。早く全ての駅にエレベーターがつけば、もっとお互い、気軽に駅を利用できるのでしょうね。それまでお互い、頑張りましょう。


駅を出ると、おしゃべりしながら、みんなで海老原家へ。予想以上に普通の一軒家。門に入るところと玄関の2箇所にスロープをかけて、慎重に車いすを運転して、中に入る。

海老原さんもこうやってご実家に入っていたのか〜と感動。


居間にお邪魔すると、笑顔の海老原さんの写真がお出迎え。「やっと来れましたよ」と言いつつ、まだFacebookで海老原さんからの「いいね!」を期待している私は、海老原さんの写真を見ても、亡くなった実感は湧きませんでした。

お線香をあげたあと、お父様特製のおにぎりを食べながら、海老原さんの思い出話に花を咲かせました。

私が、普通学校に通っていた頃、親に勉強のことをいつも厳しく言われて苦しかった話をすると、お母様はこうおっしゃいました。

「宏美も勉強が得意だったから、私もつい厳しく言ってしまった。100点をとると、先生にびっくりされるのが嬉しくて。でも、同時に『褒めるポイント、違うだろう』とも思った。やっぱり学校は、成績の良し悪しで子どもを見ちゃう。そんな学校の態度が親を追い詰めて、過度に子どもに厳しくしちゃう。親自身は、そんなに学力にこだわってなくても。学校が親を追い詰める。

宏美は勉強が得意だったけど、これが知的障害のある子だったら、過剰な学力重視はその子を追い詰めるだけだろう。

でも、もし宏美に知的障害があったとしても、私は宏美を普通学校に入れたね。だって、宏美はその地域で育っていたんだもん。その地域の学校に行くのが当たり前でしょう。ただ、それだけ。教育委員会は難しいことを言ってきたけど、私が考えてたのは、ただそれだけ。」

障害者権利条約の勉強を通して、私が海老原さんから学んだ「インクルーシブ教育は良い悪いではなく、どんな障害のある子にとっても当たり前の権利である」ということを、お母様は感覚的に理解しておられたのだなと思った。

教育の話ではないけれど、「人工呼吸器の調整を、もっと身近な地域で、せめて関東圏内で見てくれる病院があれば、宏美もあんなギリギリまで無理をしないで、もっと早く病院に見てもらってたら、まだ生きられたかもしれないのに」とご両親がおっしゃっていたのが印象的だった。そう言えば、海老原さん自身も、亡くなる1ヶ月くらい前に、Facebookで「もっと身近な地域で必要な医療を受けられるように、これからは医療とももっと連携して、運動を進めていきたい」と書いていたっけ。今は、海老原さんが生前、中心的に関わっていた「NPO法人 境を越えて」が、海老原さんが命を懸けて、残していった課題に取り組んでいるそうだ。地域で生活していくために、人工呼吸器などの医療機器を日常的に使っている人も、必要な医療を安心して受けられる病院が身近な地域に増えてほしい。

「舞ちゃんも無理はほどほどにね。ちゃんと自分の2次障害にも目を向けるんだよ」と言われているようで、「はいはい、分かってますよ」と苦笑い。


「……でも、やっぱりインクルーシブ教育は心残りだっただろうな。始めたところだったから」と、お母様。私にとって海老原さんは、インクルーシブ教育をガンガンやっているイメージだったが、海老原さんがインクルーシブ教育に力を入れ始めたのは、私が出会う数年前からだったらしい。海老原さんの心残り、私も引き継いでいけるかな。


帰りは海老原父の車で、エレベーターのある駅まで送ってもらうことに。仕事用に買ったという後部座席が取り払われた普通乗用車に、トランク側からスロープをかけて、車いすを乗せる(というか、積む?)。私の車いすは背もたれが高く、めいいっぱいリクライニングを倒さないと乗せられないため、私は助手席に移乗。介助者は車いすの横に体育座り。何ともシュールな光景(笑)

私と介助者が乗ると、ほぼ車内は埋まってしまったため、海老原さんのお母様、歩いて駅に戻る田丸さん、向山さんとはここでお別れ。私と介助者は、お父様の運転で駅に向かう。


途中の車内で、お父様がおもむろに「障害者は遠慮なんかしたらいけないよ。仕事でも遊びでもいいから、色んなところに行ってくださいね」とおっしゃった。

「障害者が街の中に出ていくだけで、社会を変える運動になるんだ」と言っていた海老原さんの言葉と重なる。


駅が近づいてきたとき、「ところで、車いすを載せるときに使ったスロープは家に置いてきたんだけど……」と、何事もないかのように言うお父様。私が「えっ?」と言うと、「まあ、その辺にいる人たちに手伝ってもらえば、車いすくらい下ろせるよね。これぞ、宏美の言う“人サーフィン”だ」と、楽しそうに言う。

駅に着くと、私に「ちょっと待っててね」と言うと、駅前にいた数人に声をかけ、あっという間に3、4人の男性と一緒に、100kgある車いすを下ろしてしまった。

海老原さんの自伝本を読んだとき、海老原さんのお母様も凄いなあと思ったけれど、お父様も凄かった。


「またおいでね」というお父様にお礼を言い、改札へ。先ほど、無人駅で降りたとき、駅員さんに「ICカードの障害者割引は有人改札でしか使えないから、ここの駅では精算できない。帰りに有人改札に行ったときに、まだ前の駅での精算が終わってないことを伝えてください」と言われたのを思い出し、(ということは、無人駅でいつも降りる当事者は障害者割引を使えないのか??)

「その説明、自分で言っても、絶対、伝わらないよな」と思いつつ、「これも社会を変える運動だ!」と思い直し、改札の駅員さんに「さっき、無人駅のA駅で降りたので、障害者割引を使えなかったため、まだ精算できてません」と自分で言ってみた。

「いきなり、こんな長い文を言われても、わからないよね」と思い、介助者に通訳を頼もうとしたとき、「分かりました。少しお待ちください」との声。

「……分かった??今の私の説明で分かったの??マジで??」と、半信半疑で待っていると、「えーっと、降りた駅はどこでしたっけ?」と質問が返ってきた。

ちゃんと伝わっていることに私のほうが動揺しながら「A駅です」と答えると、介助者のほうは一切見ずに、「お待ちください」と私に言った。渡された領収書を見ても、ちゃんと私の言ったことが伝わっていたようだ。

この駅員さん、すげ〜。完璧、慣れてる。きっと同じような当事者が前にも来たんだろうな。そして、たぶんだけど、プライベートで言語障害のある人と普通に話したことあるんだろうな。仕事上の研修だけでは、こんな自然に話せるようにはならない。もしかしたら、言語障害のある友達がいるのかもしれない。

「これが障害者運動であり、インクルーシブ教育だよ。舞ちゃんも十分、障害者運動やってるよー」海老原さんの声が聞こえた気がした。