2022/08/19 11:00

1945年8月9日にソ連軍が満洲に侵攻し、8月15日には日本がポツダム宣言を受諾して戦争は終わったわけですが、満洲ではその後も混乱が続いていました。8月10日に首都・新京の放棄を決めた後、皇帝である溥儀は朝鮮国境に近い通化という街に滞在していましたが、8月18日未明に皇位を退位する儀式を行い、ここに満洲国が正式に崩壊したわけです。

写真は、仮皇宮のなかにあった玉座。皇帝しかここに座ることは許されていません。この場所は現在、博物館として中国政府が管理していますので、入場料を支払えばだれでも見学することができます。仮皇宮内にはいくつかの建物がそのまま残存しており、それらも写真集の中では収録される予定です。

その後、日本が溥儀の亡命を受け入れることになり、空路で日本を目指す途中、乗り換えの奉天の飛行場でソ連軍に逮捕されてしまいます。そしてその後はしばらくソ連で拘留されました。

やがて中国共産党政府に引き渡された後は、撫順にある戦犯管理所で再教育を受け、1959年に出所。北京植物園で庭師としての職を得ました。清国の皇帝として生を受けた溥儀は、その後、清国の崩壊、そして満洲国の皇帝として再び帝位につき、ソ連による交流、中国共産党政府による再教育と、実に波乱に満ちた人生を送りました。