2018/06/04 18:25
明治の日本を支えたのは、薩摩人!

江戸時代末期、密かに薩摩から英国へと旅立った19名の若き薩摩藩士をご存知でしょうか?

その名は「薩摩スチューデント」。

彼らは、国禁を犯してイギリスへ渡り、帰国後には、明治時代をつくる偉大な人物になられました。

 

今年の夏、鹿児島の未来を担う若者を育てる取り組みとして、現代版薩摩スチューデント19名を派遣します。

これは、鹿児島の歴史、薩摩スチューデントの歴史があっての企画になります。

 

今日は、その薩摩スチューデントの誕生から帰国までのお話をさせて頂きます。

 

~薩摩スチューデントの誕生~

1863年の薩英戦争を機に、新しい時代を担う者を育てるべく、薩摩藩では海外に通じた人材養成に力を入れます。

そこで、視察員4人と、薩摩藩開成所を中心に留学生15人の計19名が選ばれ、留学渡航の藩命が下されました。

海外渡航が禁止されていた時代であったため、まさに命がけの行為でした。

 

~出発~

出発の地は、いちき串木野市羽島。

香港、シンガポール、カイロ、スペイン、ポルトガル…などの寄港地に寄りながら、2か月間の航海を乗り越え、無事イギリスに到着。

船の中や寄港地で、「生まれて初めて」という食べ物をたくさん目のあたりにします。見るもの、聞くもの、すべてが薩摩スチューデントとって、新しいものだったといいます。

 

~イギリスでの滞在~

薩摩英国留学生14名が3か月の語学研修ののち、ロンドンの大学へ入学し、英語、歴史、科学、などを主に学びました。

1名は、当時13歳と幼かったため、グラバーに預けられ地元の学校に通うことに。

薩摩スチューデントたちは、育ちがよく聡明で英語も少しわかると言われています。

約半数が経済的な理由で1866年に帰国、残った留学生たちは、各自フランスやアメリカへ移り学びました。

 

~帰国後~

海外での滞在を通して、彼らは広く世界を見聞し、新たな文明をもたらし、明治の近代化に貢献しました。

ワイン王の長沢鼎、サッポロビールの前身の創設者村橋久成、 大阪商工会議所初代会頭の五代 友厚など、、、それぞれご活躍されています。

 

 

19名の薩摩スチューデントのご活躍を、今日からご紹介していきますのでお楽しみに!

 

 

参考:

・薩摩英国記念館ホームページ  http://www.ssmuseum.jp/index.html

・光文社文庫「薩摩スチューデント西へ」