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~文化と伝統を守るために~ 三津嚴島神社秋祭り「古三津南神輿」新調!

三津嚴島神社秋祭りの「古三津南神輿」新調のため、クラウドファンディングでご支援をお願いしています。長年地域の象徴であった神輿の老朽化に伴い、新調が必要です。皆様のご支援は、地域の伝統文化を未来へ繋ぐために使われます。どうか温かいご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

現在の支援総額

610,000

17%

目標金額は3,540,000円

支援者数

32

募集終了まで残り

32

~文化と伝統を守るために~ 三津嚴島神社秋祭り「古三津南神輿」新調!

現在の支援総額

610,000

17%達成

あと 32

目標金額3,540,000

支援者数32

三津嚴島神社秋祭りの「古三津南神輿」新調のため、クラウドファンディングでご支援をお願いしています。長年地域の象徴であった神輿の老朽化に伴い、新調が必要です。皆様のご支援は、地域の伝統文化を未来へ繋ぐために使われます。どうか温かいご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

~愛媛県の県都松山市は、温暖な気候と古くから伝統的な秋祭りが息づく美しい街~愛媛県松山市の秋祭りは、地方祭として知られ、市内の各地域(旧の村々)で独自のスタイルと風習を持ちながら伝統的に行われています。

それぞれの地区が独自の神輿を担ぎ、街を練り歩く姿は、地域住民の団結と誇りを象徴しています。特に愛媛県で見られる「鉢合わせ」は、神輿同士が力強くぶつかり合うことからその名がつけられており、五穀豊穣への感謝と町の繁栄をお祈りするお祭りです。

この鉢合わせは、単なる力比べ以上の意味を持ち、地域の無病息災や豊作を願う深い祈りが込められています。神輿を通じて地域住民が一体となり、若者たちの活力を高めることで、地域全体のコミュニティが強化される重要な祭りです。

Matsuyama City, the capital of Ehime Prefecture, is a beautiful city with a mild climate and long-standing traditional autumn festivals.

The Autumn Festival in Matsuyama City is known as a regional festival, held traditionally in each area (former villages) of the city, each with its own unique style and customs.

Each district carries its own portable shrine, parading through the streets, symbolizing the unity and pride of the local residents. Particularly in Ehime Prefecture, the "fighting portable shrine," where the shrines are vigorously clashed against each other, is named for this act, reflecting a festival praying for the prosperity of the town and gratitude for a rich harvest.

This clashing is more than a mere show of strength; it embodies deep prayers for the region's health and a good harvest. Through the portable shrine, local residents unite, enhancing the vitality of the youth and strengthening the overall community in this significant cultural event.

三津嚴島神社秋祭り五穀豊穣への感謝と町の繁栄お祈りするお祭りです。

松山で一番早い午前1時に宮出しが行われることから「暁の宮出し」とも呼ばれ、神輿の柄と柄が重なるように行われる鉢合わせは、その勇壮豪快な様から「けんか神輿」の異名もございます。

古来より、神輿は鈴を鳴らしたり、激しく練ったりするほどご神威が高まり、人々に幸福を与えてくれると信じられてきました。

三津嚴島神社「鉢合わせ」もこの信仰に基づく神事であります。

「激しく鉢を合わせる事によって、神と人とが一体となり、輿丁をはじめ参拝者にもご利益を与える神事」

地域の繁栄人々の健康安全を願う深い意味合いを持つ行事として、参拝者、地域にご利益をもたらしています。

神様が入っている神輿で激しい鉢合わせが行われます参拝者、担き手、全ての方々にご利益がもたらされます


はじめまして。

私たちは三津嚴島神社において「古三津南神輿」として活動しております。

三津嚴島神社秋祭りは、ただの祭りではなく、300年以上にわたる歴史と伝統を象徴し、地元住民にとって心の支えとなっています。

古三津南神輿は、この地域の伝統を守り続けると共に、活気あふれる祭り団体として、地域社会に貢献しています。

The Autumn Festival at Mitsu Itsukushima Shrine is held annually from October 6 to 8 in Matsuyama City, Ehime Prefecture. This festival, with a history of over 300 years, is characterized by a traditional event known as "fighting portable shrine." We aim to enrich this festival, which conveys local culture and traditions, through your support.

私たちの住む三津浜・氏神三津嚴島神社

【三津浜・刈屋畑の合戦】

関ヶ原の戦いのさなか、三津浜でも戦が! こうして海賊衆は活躍の場を失った」関ヶ原の戦いの混乱に乗じて伊予国での領土切り取りを謀った毛利氏は、現地で御家再興を狙う河野氏旧臣瀬戸内水軍衆に働きかけて蜂起させた。

安芸国竹原から出陣した数百艘におよぶ舟の将は能島水軍村上元吉因島水軍村上吉忠豊臣秀吉の定めた海賊停止令によって活動の場を失った海賊たちで、伊予国三津浜(現在の愛媛県松山市古三津)に上陸すると、現地の河野氏旧臣平岡直房らと合流し正木城(松前城)へ迫った。これに対して守将加藤嘉明の弟加藤忠明足立重信佃十成らは女子供を城内より逃がしたいと偽って猶予を求める間に城下の民衆を使って、さも毛利氏の侵攻を歓迎するかのような流言を行い、また宇和島城主藤堂高虎に援軍を求める使者を密かに出した。

こうして油断しきって三津刈屋口に布陣していた敵陣に一気呵成に夜襲をかけ、あたり一面に火をかけると数で勝るはずの毛利軍はたちまち瓦解し、村上元吉をはじめほとんどの諸将を失ってしまう。その後も毛利軍は諸城に立てこもって抵抗を続けるものの、勢いに乗った加藤軍に各個撃破された。

この敗北により、河野氏のお家再興の望みは完全に絶たれ、海賊衆は活躍の場を完全に失うことになり、毛利氏吉川広家らの画策した本領安堵の約束を反故にされる遠因ともなった。なお、この一連の戦いには様々な文献や資料によって「三津刈屋口の戦い」「刈屋畑の合戦」「三津浜夜襲」「竹原崩れ」など、多くの呼称が伝わっている。

約400年前のこの合戦により当嚴島神社の前の社殿が燃え、今の鎮座地に遷った。

三津嚴島神社ブログより

https://blog.goo.ne.jp/itsukusima-m/e/a17f3d5271ffba5debe1cce355976981

YouTube「狛まろ」さんに紹介された三津嚴島神社

古墳時代から戦国時代まで※リンク付き


三津嚴島神社の秋祭り日程

 ※2024年10月日程

国際交流を繋ぐ古三津南神輿の絆

私たちの祭りは、近年、国際色豊かで日常とかけ離れた素晴らしい文化交流の場となっており、多くの方々に祭りを通じて日本の伝統とつながり、異文化に触れていただきたいと強く願っています。

家族や友人、そして新たに出会う方々とともに、国際色豊かな祭りで心を解き放ち、笑顔と感動があふれる瞬間を共有していただければ幸いです。

多様化する祭りの中には、きっと皆さまの心を動かす特別な瞬間が待っています。


私たちの祭りの象徴である神輿も、時の流れとともに老朽化が進んでいます。

地域の皆さまや参加者の安全を第一に考え、私たちは神輿の改修の必要性を強く感じています。

現在のままでは、怪我や事故のリスクが高まっており、安心して祭りを楽しんでいただくためには、早急な対応が求められています。

神輿は単なる祭具ではなく、日本の伝統文化や地域の絆を象徴する大切な存在です。

その歴史や精神を次世代へと受け継いでいくためにも、皆さまのご協力とご理解をいただきながら、地域に寄り添い、安全で安心して参加できる祭りを実現し、引き続き国際色豊かな交流の場として発展させていくことを目指しています。


多くの方々に愛されてきたこの神輿を
安全に担ぎ 100年先へ繋げていきたい現在、クラウドファンディングを通じて新調資金を募っております
皆様の温かいご支援が、絆と伝統を未来へと繋ぐ大きな力となります

どうぞご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。


  • 愛媛県松山市の港町三津に鎮座する「三津 嚴島神社」は、1400年以上の歴史を誇る。

  • 御祭神に「宗像三女神(むなかたさんにょしん)」を祀り、すべての災いを防ぎ福を招く開運の神社として、人々に親しまれている。

  • 厄除け交通安全子育て勝負の神様としても知られる。季節ごとに飾られる花手水や御朱印、お守りなどが人気だ。※旅色より抜粋

  • YouTube「狛まろ」さんに紹介された三津嚴島神社 ざっくり編※リンク付き 深入り編※リンク付き
  • 三輪田米山について深堀り編※リンク付き

古墳時代 6世紀後半に現在の宗像大社の神様を勧請。

飛鳥時代 700年頃に東山の地(今の古三津新屋敷方面)に神殿を新築。

奈良時代 神亀元年(724年)安芸の厳島の神を勧請。

平安時代 天慶4年(941年)藤原純友を追討しに来た橘 遠保(たちばなのとおやす)河野 好方、野田 新藤次、社殿を修理し願文を納める。

鎌倉時代 承久2年(1220年)伊予水軍の指揮者である河野通信が心願をこめる。

室町時代 観応2年(1351年)足利尊氏が難を避けて三津に寄り、久万の水田2町5反を奉る。

関ヶ原の戦いに乗じて起こった刈谷畑の戦にて社殿が消失し、慶長7年(1602年)に現在地へ奉遷。

江戸時代 参勤交代の際に歴代松山藩主は当社にお参りして幣帛を奉った。

道中の安全、藩内平和、武運長久の祈願をし、三津浜から船で江戸へと向かった。

資金の使い道

・神輿新調資金

・CAMPFIRE手数料17%

・リターン調達金


新調スケジュール

・2025年8月1日 新調神輿完成

・2025年8月吉日 三津嚴島神社にてお披露目

・2025年10月5.6.7日 三津嚴島神社の秋祭り 

・2025年10月上旬以降~リターン開始





支援金の使い道

集まった支援金は以下に使用する予定です。

  • 設備費

  • 広報/宣伝費

  • リターン仕入れ費

※目標金額を超えた場合はプロジェクトの運営費に充てさせていただきます。

支援に関するよくある質問

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