2018/08/03 19:36

首藤 作品内容は戸田さんは知らないんだよね。

阿部 伝えてない。戸田さんには、脚本段階よりも映画としてを観てもらいたいっていう気持ちが優先してしまった…。

戸田 っていう話自体もなんか、阿部さんがどういう人かみたいなことに、なりますね。でも、阿部さんがどういう感覚持っている人で、どういうものが作りたくてみたいなまでのことは…。このクラファンのページで情報を拾おうとすると、阿部さんがめちゃくちゃ、自分でお金を工面することを頑張って来たという事実だけが…きらきらしていて…胸が痛んでしまう(笑)こんな子がお金無いのって何なんだよっていう…(笑)

首藤 (掲載している)阿部のコメント、最初に書いてたコメントと違うよね?インターネットのこと書いてた…あのコメントは、なんかすごい、よくわかる感じだった。

阿部 なるべく作品内容を出さずに、と思って、短く簡潔に変えちゃったんだよね。

戸田 そのコメントって…。

阿部 えっと、これです。

戸田 ……めっちゃ観たくなるじゃないですか。これ載せた方が絶対いいと思う。どういう人で、どういう人のための映画を作るのかすごいわかる。これだけで、観たい、って思う。

首藤 うん。この時代にインターネットを見ていた気持ちって、今もうあんまり無いものだし。でもこれって結構20代くらいは共通言語みたいなところもあると思うから。

阿部 おお、変えます!この鼎談を載せるときに一緒に変えます(笑)【監督のコメント欄が更新されています→

首藤 この感じ、もうなくなりましたよね。

戸田 無い。もっとインターネットがみんなのものになっちゃって。ちょっとやばい人が夜中に見てるみたいなイメージもなくなったし。もっとなんか…よくわからない人が、これが正しいこれが正しく無いって大声で言うようになっちゃった。

阿部 自分の精神性としても無くなっていく、みたいなのも感じる。

首藤 それもなんとなくわかる。時代と一緒に自分も変わっていってるんだって言う感じがする。

 

 

 

普段ネットに居るけど今日学校に来てます

 

戸田 私この間ROCK CAFE LOFTっていうところで音楽のトークイベントをしたんですけど。思春期とかに、それこそ夜中3時とかまで、親に隠れてYou tubeとかニコニコ動画とか配信とかを聴いて、それで気になった人のCDを買ったりしてた時代があって。そういう時の話をして。インターネットが家族間の窮屈な気持ちから出られる唯一の場所だったんですよね。学校の授業よりもネットの方が救いがあるような気がしていた。そういうのをすごい思い出したんです。『暁闇』で出てくる音楽って、そういう意味での音楽なんだろうなって思います。音を楽しむっていう音楽っていうよりは、フェスとかで盛り上がる音楽でもなく、映画の気持ちいいサウンドトラックにするというのでもなく…。

阿部 そうですね。これ登場人物が、全員イヤフォンでしか音楽を聴かないんですよ。結構そういう、イヤフォンでしか聴かれない音楽みたいなジャンルがあるのをすごく感じていて、まさにそれの話…だからライブシーンも無いし。ライブしないから。

戸田 映画も音楽も個人のものであってほしいっていう願望がすごくあって。個人のものである前提で、たまたま共有できたときにみんなで楽しむっていうのは素敵だと思うけど、基本的には個人で向き合うものであってほしい。音楽とそれを聴いている人っていうのは1対1で、音楽を生んだ作者も、その1対1の関係に干渉はできないと思っていて。そういう意味でも、この映画はすごく観たいっていう気持ちになる。

首藤 戸田さんが高校時代とかにすごくネットで音楽を聴いていたっていう話を、前に聞いていて。私阿部と中高一緒なんですけど、阿部も結構本当にそういう感じの子だったんですよ。むしろ、普段ネットに居るけど今日学校に来てますみたいな雰囲気だった。それはもしかしたら戸田さんと結構似てるのかなと思ってました。

戸田 うん、なんかこの(コメントの)文章の感じはすごくわかる。

首藤 私は、阿部がちょっと教えてくれたのを聴くくらいで。ネットの音楽って結構独特な文化だから、知らない世界の感じを教えてもらうみたいな感じでした。

戸田 どんなの聴いてたんですか?

阿部 その時のことって、覚えていないことがすごく多いんですけど…。神聖かまってちゃんとか、ミドリとか…。

首藤 それこそ禁断の多数決とかも、ネットで出会ってるよね?

阿部 あ、そうだ。禁断の多数決とかは本当、あれこそインターネットみたいな音楽…。高校二年生くらいの時に、メンバーになったんですけど。

首藤 あの出会いはどういう感じだったの?

阿部 リーダーの人がデヴィッド・リンチがすごく好きで。ツイン・ピークスとか、ああいう擬似家族的な世界観を、バンドの活動全体として作りたいみたいなことで、誘われました。だから音楽をやろうっていう出会い方とはちょっと違いましたね。

首藤 それってその頃ネットであった考え方なのかな。なんか『紀子の食卓』とかも…?

阿部 あ、そうだよね。疑似家族の話だったね。なんかインターネットのつながりとかって、すごく家族っぽさが発生する気がする。私は小学校五年生くらいからずっとネットをしているんですけど。一番最初は、ハンゲームっていうオンラインゲームのサイトにハマって。そのサイトで、地方の大学生と、地方の高校生と、小学生の私の三人ですごく仲がよくなったり……顔三人とも全然知らないけど。みたいな事を、ずーっとやってきているから…。

戸田 確かに、世代が全然違う人と…っていう。

首藤 そういうのって、自然に解散していく感じになるの?

戸田 ログインする回数がなんとなく減っていったり…?

阿部 そうだね。いつの間にか。…でも、多分、実際会ったら全然仲良くなれないっていうのもなんかわかるんですよ。

首藤 最低限の…コミュニケーションツールだから。実際会うと、喋り方が嫌だとか声が嫌だとか、そういうのが無数に出て来ちゃうけど…。

阿部 実際好きになる人って、喋ってる内容云々っていうか、声の出し方とかですごく好きになる。

戸田 ネットで人を好きになっちゃう人がこんなにいるっていうのは、本当に、会ったことがないからだと思う。情報少ない方が人って好きになりやすい。今の仕事してて、ファンの人とか、いろんな人に会うんですけど、この仕事する前よりも人をめちゃめちゃ好きになれるようになったんです。会う人たちを。好きだな判定がすぐに置けるようになったっていうか。それってお互いを良く見せようとしてる瞬間だけ会ってるからなのかなと思ってて。この短い時間だからなるべく良い気持ちだけ持って帰ってもらいたい、っていう思いであったり。それが好きで、今の仕事好きだなと思っていて。良いところだけ見せようとするのってすごく素敵だなって思うんですけど…それがネットだともっとやりやすいのかなっていうか。妙に世界観のあるツイッターとかやってる19歳くらいの女の子とかいるじゃないですか。私も高校生の頃からツイッターやってたんですけど、昔のパソコンとか見ててその時のスクショとか出てくると、今よりよっぽどミステリアスに見えるんですね。雰囲気がある、何か目に見えない魅力を持ってるんじゃないかって思わせるような女の子に見えるんです。言葉を語りすぎなかったりとか、なんか意味深なアイコンにしていたりとか。

首藤 それ、超わかります。

一同 (笑)

戸田 今、そこからだいぶ離れてしまって、感覚も全部。ツイッターもそういう、謎の世界観の形成みたいなものに使うものではなくなっているし。それをつつけば何も出てこないってことがもうわかっちゃってるし。ただ、その頃って、他人に対しても、あんまり意味なくついているものに対して、ものすごくこういう意味があるんじゃないかとか、それこそ見つけた音楽とかに対しても、全然ちがう意味で書かれた言葉でもたまたま自分にあてはあまったら、この人は全てわかってるんじゃないかって思ったり…なんかそういうことの繰り返しだったような気がして。それがどんどんたまたま重なり続けて、運命なんじゃないかって思ったり、自分には不思議な何かがあるんじゃないかって思いこんだりとか、この人のことすごく好きなんじゃないかとか…ネット上で出会った誰かが落ち込んでいたりしても、自分こそが助けるべきなんじゃないかって思ったりとか、いろんな勘違いを生んでると思うし、でもそれで生まれた縁っていうものある。

首藤 好きな小説で、ジュンパ・ラヒリって人の小説なんですけど。その中ですごく良いと思う部分があって。不倫に疲れた女性が、若い男の子に「あなたはすごくセクシーです」って言われるんだけど、それに対して「セクシーってどういう意味?」って聞き返すと、男の子が、「知らない人を好きになること」って答える…っていう。なんか、めちゃくちゃ腑に落ちるっていうか。

戸田 本当にそうかも。インターネットでの出会いってセクシーなのかもしれないですね。

首藤 そういうことかもしれないですね。あんまり知らない、っていうのが…。

戸田 でも今は、ネット上で名前とか、めっちゃ出しますよね。

阿部 みんな本名になりましたよね。普通に。それが嫌だったみたいなのはありますよね…匿名の場所が欲しいみたいなことは、昔は明らかにあったと思う。自分としてもだけど、多分、社会全体の、何かとしても。『暁闇』の話は、結構、そういう環境の終わりについてのことでもある。

首藤 そうだね。だからこそ今のタイミングで、っていうのはあるかなってすごく思った。

阿部 ていうか多分この辺で作らないと、もう誰も作らないような…。

戸田 これ以降になっていったら、忘れちゃうような気がするし…。

阿部 でもそういう、インターネットに関してすごい…ある種囚われてるくらいな印象がある映画って、そんなに無くないですか?

首藤 『リリイ・シュシュ』とか?

阿部 ああ、そうか。それは、めっちゃそうだね。

 

 

 

戸田 コラボしたアーティスト(LOWPOPLTD.)さんは、阿部さんにとってどういう出会いで、どういう存在だったんですか?

阿部 インターネットに音楽をあげている人で…。本当にライブとかしていなくて。(ミュージシャン本人に)作曲方法を聞いた時に、寝れない夜にしか歌を録らないとか、録るときも、部屋の電気を消して布団にもぐって録る、とかを話してくれて……すごい不思議な人なんです。まだ21歳なんですけど。ほとんど不登校だったらしくて。で、それこそ、本当に、今のLOWPOPLTD.って名前を使って楽曲を発表するようになるまでは、中高生の頃とか、名前を毎回変えて曲をあげては消してみたいなことをやっていたらしいです。

戸田 そういう話を聞く前に、この脚本を書いていたっていう…。

阿部 そうなんですよ。

戸田 すごいですね…。

阿部 しかも、これ屋上がすごい重要なモチーフなんですけど、その男の子も実際、いつも学校の帰り道に屋上に寄っていたっていう…。だから、謎のリンクがすごく発生している…。その男の子本人と喋った時に、僕はずっと僕みたいな人って居ないんだって思っていたけど、居るんだ、って驚きましたって言われて…そういう言葉があっても、やっぱり掴めない人なんですけど。

 

 

 

聖域みたいな作り方をしていたけど、今回は全然そういう感じじゃない

 

戸田 阿部さんの演劇を私は『あおみのゆいごん』を観せていただいて、終演後に、本当に綺麗な世界というか、蒸留された世界だなみたいな話をして。心が綺麗な人しか出なくて、それが私はすごく嬉しくて、っていう話を。

阿部 そうですね。綺麗な人しか出ないですね。…自分が演劇をずっとやってたのは、空間を確保できるからで。空間と時間を、その日時絶対自分が確保できる。だからそこだけは、その時間だけは、絶対安全な場所に、っていう…その場所の安全さをどうやって作っていくかみたいな感じなんです。演劇の時の気持ちって。だから、蒸留されたとか、みたいなのはすごくそうで。

首藤 1回目の公演の時に…作品に興味あるわけじゃないけど来ちゃった、みたいな人が来て、阿部号泣してて…。

阿部 それの時は…やばかったよね…。

首藤 なんかめっちゃ泣いてて(笑)そんな弱いこと言っちゃだめだよ(笑)みたいな感じで諭したりして(笑)でもそういう、確保するっていう感覚だとしたら、そういう異分子みたいな存在が急に入って来たら、結構汚されるって思う感覚になるっていうことだったのかもしれないね。

阿部 そうだったと思う。あの時は本当に色々拙い状態で…。

戸田 見られるってことも、暴力になる時があるなって思います。

阿部 それはすごい思います。多分、私はそれで結構、映像を撮るとかも、割とためらいというか…やっちゃいけないこと感が凄かったんですよ。映像を撮ることの攻撃性がすごく怖かったんです。空間を作るみたいなのって、結構、明確にその瞬間その瞬間で、今はちゃんと大丈夫とか今はおかしいとかをすぐわかって、それを一個一個丁寧にやっていくみたいなところが結構、あるんですけど。それを重ねて行ってちゃんと目指す空間ができあがったら、その空間に居た人にとって、それから生きていく時間の中で力になる何かになれると思うんですよ。記憶そのものとして。形を残さずに。でも、撮るってことは…その人から離れたその人を残すってことじゃないですか。そうなったときに、その人は変わっていくのにその人が残っている。映像の中に。それってすごく傷つける可能性が高い。だから……多分単純に、そこに居る人が生きていくためのこととしてやりたかったんだと思うんですよ。ものをつくるみたいなことを。ってなったときに、映像じゃなくて演劇だったんですけど。

首藤 そうだね。阿部は、演劇の出演者に、役者じゃない子を使うことがすごく多くて。その女の子が今どうか、とかすごい言うもんね、脚本の段階とかで。

阿部 そうだね。今どうかとかがすごい一番大事。

戸田 撮る側に「いや、これは綺麗だから」っていうエゴがあったりするのは、めっちゃ怖いなって思います。

阿部 それは本当にそうですね。自分も若干、出演者とか被写体になるタイミングのあった人なので…(被写体って)写っちゃえば自分に決定権はないから、それがすごく嫌なときはあって。それを10代で経験してから作る側に入っているから、余計に、被写体側として存在する人間の、存在することの危険さとか、見られることに抗えないこととか、をすごく意識して作っていて…。だから、何があっても、被写体が傷つかないことしか大事じゃない…ってやっぱなっちゃうんですよね。

首藤 それは、映画やるのはすごいハードルがあるよね。

阿部 そう。だから今回やる時に、やっぱこれまでとはちょっと違うのが一個入って…それで初めて男の人が登場する作品になった。空間として守ろうってことじゃなくて…現実に行こうっていう。

首藤 確かに、今までやっていた演劇は、かなり狭い場所での、心が綺麗な人しか出てこないっていうような感じ…聖域みたいな作り方をしていたと思うけど、今回は全然そういう感じじゃないのかな、って思ってた。でも、阿部本人を知っていると、今回の映画が阿部本人に一番近いと思う。演劇の阿部の世界観って、阿部にとってとても大切な女の子が沢山出て来るんだけど、阿部にそんなに女の子の友達が居たところを私は見たことがないし…。

阿部 居ない(笑)

首藤 居ないじゃん?(笑)どちらかというと、分化した阿部、阿部自身が本当に何人もいるみたいな意味での聖域みたいな空間なのかなって思っていたから、今回みたいに男の人が出て来たりとか、ネットで繋がったりとかっていうのは、より本人に近いって言う印象はしている。

阿部 それは本当にそうで…『あおみのゆいごん』って、私がこれまで作った舞台の中で、多分一番純度が高く守ろうとした空間だったんですよ。そこに行き着くに当たって、私のイマジナリーフレンドたちを守るために、リアル私がめっちゃ辛い思いをするみたいな現象がやっぱり発生してくるんですよ。そうなったときに、めっちゃ辛い自分を救えるのが、それこそインターネットとかの、全然視聴者数が居ない、「今日、パチンコ行ってぇ」みたいに話してる配信とかで…なんか一番自分と近いんです、位置として。それに救われたことを、言葉にしないことが、すごい酷いことな気がしたんですよ。それは、映画に作るにあたって、思ったんだけど…。

首藤 それを言わないことが酷いっていうのは、誰に対して酷いことだっていう…傷ついてる自分に対して?

戸田 なんかその、綺麗な空間っていうのが、無償で誰の犠牲もなく守られているものだって言う風に、思われることが、絶対おかしいっていうこと…。

阿部 それです。

戸田 もともと綺麗な空間で、綺麗な人達しかいないから綺麗なものができました、っていうふうにされちゃうと、すごくバランスがとれてないっていうか。「ああ、じゃあ綺麗なところは綺麗なところでいいですね」で終わっちゃうっていうか。誰しも何かを、自分の中の何か成分みたいなものを、ある一定のものだけをどこかに寄せるとかしたら、そこだけは綺麗になるけど残りは汚くなると思うし、何かのために努力して何か一つをガッて守ったら、そうじゃない自分とか、それによってないがしろにされたものとかが絶対あるし…(そうして出来上がった)世界に近づこうとしたときに、誰も近づけなくなっちゃう。

 

*     *     *

 

戸田 『あおみのゆいごん』を拝見した後お話した時に、ムーラボの話をしたと思うんですが、その時阿部さんが、心が綺麗な人以外も映画には出さなくちゃいけないって仰って悩んでいて。でも綺麗な人しか出さない映画もやろうと思えばできると思いますよって話をして。でも舞台が現実世界だとやっぱり…っていうのを話してらして……その葛藤と、演劇の世界を守り抜くときに発生する辛さみたいなもの、があいまって今回の映画になったんだろうなと思っていて。今まで演劇を作ってきた作者としての阿部さん自身の見てきた救い、っていうのが多分この映画の救いになっているんだろうなっていう。

阿部 そうですね。このまま演劇を作ってきたような形で今回映画を作ったら、多分もう自分の乖離がもっと酷くなるんですよね。それをしたら、もう、死ぬしかなくなっちゃうから…引き止めなければならないみたいな、ある種の自分自身に対する使命感みたいなものはありました。

首藤 あらゆる人に死んじゃうルートってあるよね。

阿部 存在として、死が繋がっている。

首藤 例えば戸田さんは、今まで…死ぬコースに入りかけたかも、みたいな出来事とかって、なにかあったりしますか?

戸田 めっちゃあるような気がするんですけど…なんで死んでないのかな逆に。

首藤 それ思いますよね(笑)

阿部 それしか思わない(笑)私は今回(の映画に至るに当たって)…結構明確に一回、死のルートを見たんですよ(笑)だから余計に何で今死んでないのかがわかんないです。

 

(2018年7月23日 新宿某所にて収録)

 

 

戸田真琴

2016年にSODクリエイトの専属女優として処女のままAVデビュー。ブログをきっかけにKAI-YOU.netにて映画とお悩み相談のコラム『悩みをひらく、映画と、言葉と』を連載開始。2017年にはクラウドファンディングを達成し映画「ミステリートレイン」のロケ地メンフィスにて写真集を撮影。同年11月にミスiD2018を受賞。人生の夢は映画を撮ること。

 

首藤凜

1995年東京生まれ。
大学入学後、早稲田大学映画研究会にて映画制作をはじめる。
中編『加賀谷だけが好き』が第八回下北沢映画祭で日本映画専門チャンネル賞を受賞。
続く三本目の監督作品『また一緒に寝ようね』がぴあフィルムフェスティバル2016で映画ファン賞(ぴあ映画生活賞)と審査員特別賞のW受賞を果たす。
初長編『なっちゃんはまだ新宿』はMOOSIC LAB2017で準グランプリ、女優賞、ベストミュージシャン賞の三冠に輝き、劇場公開された。

 

 

(写真撮影:飯田エリカ)  

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