自己紹介
初めまして!
中留 諒(なかどめ りょう)と申します。
2002年3月18日生まれ、現在23歳。
身長177cm、体重75kg、左利き、LWG(左ウイング)、RWG(右ウイング)、LSB(左サイドバック)としてプレーしています。
<サッカー経歴>
• AS.Laranja 学研都市アカデミー(小学生)
• AS.Laranja 学研都市 U-15(中学生)
• 洛北高校サッカー部(高校)
• AS.Laranja Kyoto(トップチーム / 2018年〜)
小・中学生時代は地元のAS.Laranja 学研都市アカデミーで育ち、高校は京都の公立校である洛北高校へ進学。卒業後は、アカデミー時代にお世話になったAS.Laranja Kyotoのトップチームに加入し、関西リーグの舞台で5年間プレーしました。 その間、地域チャンピオンズリーグ、全国社会人サッカー選手権、天皇杯を経験。 さらに、オフ期間を利用してスペイン5部のチームに練習参加するなど、海外への挑戦も続けてきました。 そして2025年1月、モンテネグロのトライアウトに挑戦。しかし、チームが決まらず帰国し、再びAS.Laranja Kyotoに加入。現在、今夏のモンテネグロ再挑戦に向けて準備中です。
注)文中にに記載の団体は本プロジェクトとは関係しておりません。
プロジェクトの背景と想い
「プロサッカー選手になる」——これは僕の人生の中心にあり続けた、たったひとつの夢です。気づけば、サッカーが生活のすべてになっていました。朝から晩までボールを蹴り、上手くなることだけを考えて生きてきた日々。地元のアカデミーで基礎を学び、公立高校で鍛え、卒業後はトップチームで戦う機会を得て、関西リーグ、全国大会、そして天皇杯——夢へと近づくチャンスを少しずつ掴んできました。
その中で、「もっと高いレベルでプレーしたい」「海外で通用する選手になりたい」という思いは日に日に強くなっていきました。日本だけじゃない、世界に目を向けたい。だからこそ、2025年1月、モンテネグロという異国の地に自ら飛び込む決断をしました。
未知の環境、不慣れな言葉、時差、気候、文化の違い……。そんな中でも「やってやる」と気持ちを奮い立たせて臨んだ初めての海外挑戦。しかし、現実は甘くありませんでした。言語の壁、練習と試合の連戦、疲労とストレスによってコンディションが崩れ、シンスプリントを発症。それでも、もらったチャンスを無駄にしたくなくて、痛みをこらえてピッチに立ち続けました。でも、全力を出せない状態では、自分の武器も魅力も何ひとつ伝わりませんでした。
結果、不合格。移籍期間ギリギリでの判断だったため、次のチームを探す余裕もなく、僕はそのまま帰国しました。
けれど、そこで終わりたくはなかったんです。あのまま帰ってきて、「ああ、自分には無理だったんだな」って言い訳してサッカー人生を終えることだけは、絶対にしたくなかった。むしろ、「本気で夢を叶えたいなら、ここからが本当の勝負だ」と思えました。
だから、もう一度挑戦します。2025年夏、再びモンテネグロに渡り、今度こそプロ契約を掴みにいきます。
初のモンテネグロ挑戦と挫折
2025年1月のモンテネグロ初挑戦では、練習参加したものの、移籍期間ギリギリで不合格。他のチームを探す時間もなく、帰国。
慣れない環境でコンディションが整わない。1月にモンテネグロへ渡った際、トライアウトの連戦による疲労の蓄積に加え、その後の練習参加や慣れない生活環境での負担が重なり、シンスプリントを発症しました。最初は違和感程度でしたが、試合や練習を重ねるごとに痛みが増し、次第に全力でプレーすることが難しくなっていきました。しかし、練習参加という与えられたチャンスを無駄にしたくないという思いから、痛みを我慢しながらプレーを続けました。その結果、自分の持ち味を十分に発揮することができず、悔しさの残る不完全燃焼のままモンテネグロでの挑戦を終えることになりました。
今回の挑戦にあたり、準備費、トライアル費、渡航費、生活費など、多額の費用がかかりました。これまでアルバイトで貯めてきた貯金も、ほぼ底をつきかけています。
「一度アルバイトで資金を貯め直してから再挑戦すればいいのでは?」と思われる方もいるかもしれません。しかし、僕はもう23歳。挑戦の機会は1年に夏と冬の移籍期間のわずか2回しかなく、半年でも早く挑戦することがどれほど重要かを痛感しています。
ありがたいことに、僕はこれまで多くの方々から応援をいただいてきました。もちろん、これは僕自身の夢ですが、応援してくださる皆様の思いも背負い、その夢を実現させることで恩返しがしたい。そして、この挑戦を僕だけのものにするのではなく、多くの人に影響を与えられるものにしたいと考えています。
そして、幼少期から夢であったプロサッカー選手としての第一歩を踏み出します。
海外でプレーする難しさ
コンディショニングの部分以外にも渡航までの準備不足。良いプレーをすれば受かると考えていました。しかし、「コミュニケーションが取れない選手。」これが監督、SDの評価でした。簡単な英語は理解できるつもりだったが、理解できるだけでは本当の意味でのコミュニケーションにはなりませんでした。現地の指示はモンテネグロ語で、英語も完璧ではない自分には理解できるはずもありません。サッカーにおいては、相手の意図や考えを聞き、自分の意見を伝えることまでがコミュニケーションだと実感し、外国人枠の選手としての難しさを痛感しました。
不慣れな環境、コミュニケーションの難しさ、海外サッカーと日本サッカーの違い、そしてチームがないとわかった時の悔しさ。現地で体感しなければ得られない経験をたくさんしました。
僕の武器:世界で通用する“ロングスロー”
僕の武器「ロングスロー」動画
サッカーにはさまざまな武器があります。ドリブル、シュート、スピード、ヘディング、戦術眼。僕自身、スピードがあり左利き。ヘディングも得意で対人では負けないという特徴がありますが、この特徴を持った選手はプロにはたくさんいます。そこで、僕が世界と戦うために磨き上げたのは 「ロングスロー」 です。
近年、日本でもロングスローの重要性が高まりつつあります。Jリーグでは町田ゼルビアを筆頭に、ロングスローを戦術の軸として活用するチームが増え、その威力が証明されてきました。ただのスローインではなく、セットプレーと同等の破壊力を持ち、試合を左右する大きな武器となっています。しかし、日本ではまだロングスローを極めた選手は多くありません。この戦術が持つ可能性をさらに広げ、自分自身の強みとして世界に通用するレベルにまで引き上げたいと考えています。
僕のロングスローは、一般的な放物線を描くものとは異なり、 ライナー性の軌道 を特徴としています。ふわりと浮かせるのではなく、鋭く速い弾道でゴール前へ正確に送り込むことで、ただのスローインがコーナーキックのようになり、直接アシストを狙えます。僕はこのスキルをさらに磨き上げ、世界の舞台でも通用する武器として確立させたいと考えています。
この挑戦を通じて、ロングスローという一見地味に思われがちなプレーが、どれほど試合を左右する可能性を秘めているのかを証明したいです。そして、誰もがまだ気づいていないこの武器の価値を高め、世界で戦うための確かな強みにしたいと考えています。
リターンについて
ご支援いただいた皆さまには、以下のリターンをご用意しています:
・お礼のメッセージ
・お礼のメッセージ動画
・オンラインでお話!
・一緒にジムまたは公園でのトレーニング
・カフェで直接お話し
スケジュール
6月中旬 クラウドファンディング開始
7月中旬 クラウドファンディング終了
6月29日 モンテネグロ渡航
約一か月間、トライアウト、練習参加
そしてプロ契約‼
最後に
これまで約20年間、素晴らしい指導者の方々、素晴らしいクラブ、そして多くの支えてくださる方々のもとでサッカーを続けてくることができました。本当に感謝しています。
しかし、僕自身は無名の選手であり、華やかな経歴があるわけでもありません。それでも、プロサッカー選手になるという夢を諦めずに追い続けています。
無名の選手でも、「努力と挑戦、そして自分を信じ続ければ夢は叶う。」そのことを、自分自身の挑戦を通じて証明したいと思っています。
そう証明することで、同じように夢を追いかける人たちの希望になりたい。
自分のプレーや生き方で、誰かの背中を押せるような存在になりたい。
だからこそ、皆さんの力を貸してください。
応援の言葉、情報のシェア、ご支援——
どんな形でも、皆さんのサポートが僕の挑戦を支える大きな力になります。
「本気で夢を叶えようとしているやつがいる」
そう思ってもらえたら、ぜひ支えていただけたら嬉しいです。
僕は絶対に諦めません。必ず成し遂げてみせます。本気で夢を追い続ける僕の挑戦に、ぜひお力をお貸しください。皆さまの温かいご支援が、僕の未来を切り拓く大きな力となります。どうぞよろしくお願い致します!
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