はじめまして。私たちは真壁町夏祭り活性化推進実⾏委員会です。このプロジェクトは、茨城県桜川市真壁町の下宿町地区に40年以上にわたり眠っていた幻の山車を、子どもたちのために再生する取り組みです。
かつて真壁の夏といえば、祭りの季節。町には提灯が灯り、人々が集まり、そして何より、子どもたちが祭りを心から楽しみに待っていた時代がありました。
「祭りに行けば、友達に会える」「行けば、きっと面白いことがある」
そんなワクワクが、町中に満ちていた夏。あの頃のにぎわいを、今の子どもたちにも体験してほしい。それが、今回のプロジェクトの出発点です。
子どもたちが心待ちにする「お祭り」を、もう一度この町に
茨城県桜川市真壁町に伝わる真壁祇園祭は、400年以上の歴史を持ち、国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財にも指定されている伝統行事です。
かつてこの夏祭りが地域の一大イベントとして、子どもも大人も心待ちにする様子が当たり前にありました。学校が早く終わる日、お囃子の音が響く夕暮れ、はっぴに身を包んだ子どもたちのはしゃぐ声――それは、この町の大切な原風景でした。(後半のインタビューをお読みください)
しかし、過疎化や少子化、さらには新型コロナウイルスの影響による地域活動の停滞などにより、祭りのかたちは徐々に変わってきています。
現代の子どもたちが祭りに足を運ぶ機会は少なくなり、「自分が参加している」という感覚や、祭りを「自分たちのもの」として楽しむ気持ちは、ほとんどなくなってしまったように感じます。このままでは、地域の祭り文化は次の世代へと継承されることなく、失われてしまうかもしれません。
子どもたちに「つなぐ」ために、私たちにできることは何なのかと、考えさせられます。
一方で、五所駒瀧神社の祭礼でもある真壁祇園祭は、神輿の巡幸で始まります。安政四年(1857年)に造られたその神輿が、今年二度目の修繕を経て、祭りに戻ってくることとなりました。
500人を超える地域の多くの人々の想いが形になる機会に、そのつながりと支えの力を、今度は未来を担う子どもたちのためにバトンタッチしていきたいのです。
もともと、真壁には江戸時代より5つの町がありました。そのそれぞれが山車をもち賑やかに引き回していました。しかし40年ほど前から一つの町で山車の引き回しをやめ、お蔵入りとなりました。
私たちは、長年眠っていた「山車」を再生し、“子ども山車”として復活させます。
この取り組みは、ただの修復ではありません。若い世代を中心に、「見る祭り」から「参加する祭り」へ、そして「入りづらかった祭り」から「誰でも参加できる開かれた祭り」へと、意識を変えていくきっかけ作りになればと考えているのです。
「子どもが参加するから、親も関わる」「学校と連携するから、地域全体が巻き込まれる」
そうやって、世代や立場を問わず、多くの人が関われる夏祭りという連鎖を実現してまいります。
このクラウドファンディングは、祭りの未来を守り、子どもたちの心に残る「ふるさとの夏」を再び育てていくための挑戦です。
40年も眠っていた山車は、倉庫の中でとても弱っていました。
木部の修復や車輪の再整備、安全対策が必要です。数年かけて直していくことになります。
どうか、私たちの想いにご賛同いただき、このプロジェクトに力を貸してください。一緒に、“祭りが待ち遠しい町”を取り戻す仲間になっていただけたら嬉しいです。子どもたちのはしゃぐ姿が目に浮かびませんか?
【資金の使い道について】
このクラウドファンディングでは、応急的な修復、飾り付けだけでなく、子どもが集まってくるための集客活動やイベント準備/開催など、今年の祭に参加できる準備費用として使わせていただきます。
山車の完全修復にはもっと多額の資金が掛かりますが、これからの数年の修復作業につながるよう、大切に使わせていただきます。
【追加】6/18に第二目標の120万円を達成いたしました。山車の更なる修復作業ができるよう、第三目標の150万円を目指しています。
この動画は昨年の祭りの様子をダイジェストしたものです。茨城県の片田舎のお祭り、ご興味を持っていただけたら嬉しい限りです。
今年のゴールデンウィークに町の人にお披露目するため、有志メンバーが集まり、山車の大掃除を行いました。
そして、5月5日「子どもの日」に、40年ぶりにその勇姿を皆さんの目の前にお見せすることができました。
足回りなどぎこちないところは多々ありましたが、何とか引っ張り出すことができました。
山車の準備と並行して、子どもたちが祭に集まりやすくするためのプレゼントを制作しています。
それは最近切り倒された、今回の山車小屋のちょうどすぐ裏にある愛宕神社の御神木を使って作る木札です。
祭の山車を引く若衆は通行手形として木札を首に着けます。今回、子ども山車用の木札を作り、本年度統合となった小中一貫校全校生徒に頒布する予定です。
ご支援くださった皆様には、以下のようなリターンをご用意しています。
■オリジナルTシャツ(はなさかおーしさんによる特別なデザインを予定しています)
■千年祭オリジナルてぬぐい
■子ども山車オリジナル木札
■提灯に名入れできる権
■貫通石の勾玉(まがたま)
■梵鐘型風鈴
■障がい者生産の自然農法米とネルドリップコーヒーパックの詰め合わせ
■自然農法古代米を使ったお酒
■千年の森の会の稲刈り体験
■祇園祭渡御(とぎょ)の参加券
■「かったて祭」参加券
■文化財「伊勢屋旅館」貸切り券
■若衆頭代行権
桜川市 大塚 秀喜 市長
桜川市が誇る「真壁祇園祭」は、五所駒瀧神社の祭礼として、400年以上の歴史を持つ祭りで、地域の誇りであるとともに、国の無形民俗文化財でもあります。華やかに飾られた山車が真壁の町並みを練り廻ります。
このたび、長らく休眠していた山車を“子ども山車”として復活させるという取り組みを、市民の皆様が中心となって始められたことに、心より敬意を表します。
このプロジェクトは、祭りの魅力を次世代へとつなぎ、地域の絆をあらためて深める、大変意義のある一歩となることでしょう。
桜川市といたしましても、地域文化の継承と活性化を図るこの活動を、心より応援いたします。
皆様のご支援が、未来へと続く新たな伝統の礎となりますことを、心より願っております。
月 内 容
6月 クラウドファンディング募集(〜7/6)
7月 子ども山車の修復・飾り付け
真壁祇園祭(7/23〜7/26)
子どもイベントの開催
8月 リターン発送開始
祭りは「文化」でもあり、「教育」でもあり、「コミュニティ」でもあります。今の子どもたちにとって、スマホやゲームでは味わえない、身体と心で感じる非日常の体験を届けたいのです。
私たちの最も古い記憶が子供の時のお祭り体験であることを、今回のプロジェクトを進めながら思い出しています。記憶の奥底でずっと眠っていたその体験が、今こうして行動の源になっていることに気づくとき、
「こんな面白いことが、すぐそばにある」子どもたちにそう気づいてもらえるような体験を提供したい。そして「祭りの日だけは帰ろう」そう思える町を目指して。皆様のあたたかなご支援、どうぞよろしくお願い申し上げます。
そして、どうぞ真壁にお越しください。
【インタビュー:子どもの頃の祇園祭】
下宿町幹事経験者・竹中 進さん(90歳)
――竹中さん、山車の思い出はどんなことから始まりますか?
竹中さん:そうだねぇ、私がまだ尋常小学校に通っていた頃だから、戦前の話になるかな。祭りが近づくと、子どもたちはみんな、もうそわそわしてね。学校から帰ったらすぐ、「早く山車を出してくれ!」って。あれは嬉しかったねぇ。どこの家にも子どもが何人もいた時代でね、みんな山車を引きたくて、引きたくて、ウズウズしてたよ。
――山車の規模も大きかったんですか?
竹中さん:ロープの長さは100メートルくらいあったと思うよ。それを半分に分けても50メートル。それぞれのロープに、内側・外側、左右と子どもたちが並ぶわけだから、100人以上はいたんじゃないかな。終わったあとは、おにぎりが配られるんだけど、あれがまた嬉しくてね。まるで宝物をもらったような気持ちだったよ。食べないで大事に取っておきたくなるくらい。味も特別でね、醤油のおにぎりだった。なぜか味噌でも塩でもなくて、醤油。いまだにあの味、覚えてるよ。
――戦後も祭りは続いていたんですか?
竹中さん:もちろんだよ。結婚して20代前半、戦後間もない頃から、山車を出せなくなるまで、いろんな思い出がある。当時は7月13日から16日まで、最終日の明け方までずっと続いてた。13日は梅雨が明けるかどうかの頃で、ビニールなんてない時代。提灯に蝋燭を入れてたけど、雨に濡れるとだめになるから、降りそうになるとすぐ山車を車庫に戻したよ。150個か200個くらいはあったかな、提灯。
――その後は電気になったんですね?
竹中さん:うん、昭和30年代かな。トラックのバッテリーを2個使って照明をつけたんだ。弟が東京電力にいたから配線を頼んで、私と伊勢屋旅館の田中の順ちゃんが電気係。順ちゃんとは仲良くて、いつも一緒に酒を飲んでたよ(笑)。
――祭りの流れは、どんな感じだったのでしょう?
竹中さん:13日は神輿のお迎え。下宿町は大関旅館を含めて3ヶ所で神輿が止まったと思う。14日は若衆による町内引き回し。15日は町全体が「神武様」の前に集まって、ご祈祷を受けたあとに手打ちをしたよ。そして16日の夕方5時頃、神輿が神武様を出発して還御になるんだけど、山車は「止まっちゃいけない」「戻っちゃいけない」ってルールがあってね。でも、還したくないもんだから、わざとゆっくり進んだりして時間を稼いでた。夜11時くらいから人出がピークになって、そこから朝まで徹夜だよ。一回家に帰って仮眠して、また出てくるなんてこともあった。
――その頃のエピソード、印象に残っていることは?
竹中さん: タナヤさんの隣の今駐車場になってるところに「茨城無尽」って銀行があってね。そこが酒飲み場だった。酒なんてなかなか手に入らない時代に、祭りの日は飲み放題。それはもう、浴びるほど飲んで、石段でそのまま寝ちゃったこともある。サラシに半纏、足袋のまんま、朝までぐっすり(笑)。今となっては笑い話だね。
――若衆の頭としても活動されていたとか。
竹中さん:そう。しばらくしたら、山車の責任者を任された。各町に若衆の代表がいて、運行ルートやスケジュールを決めてたよ。当時は交通量も少なかったけど、山車の隣を路線バスが普通に通ってたくらい。でもやっぱり危ないから、歩行者天国にしようって話になってね。警察だけじゃ決められないから、バス停の移動やら、筑波鉄道の北条駅前の警察本署にも出向いたり、大変だったよ。
――最後に、今の子どもたちに伝えたいことはありますか?
竹中さん:子どもってのはね、男の子でも女の子でも、夢を求めるもんだよ。そして、いつになっても思い出ってのは宝物になる。だからこそ、今の子どもたちにも、その宝物を作ってやりたい。家から外に出て、仲間と一緒に体験する楽しみ。あの頃の祭りがくれた、あの特別な時間を、今の子どもたちにも味わわせてあげたいね。
五所駒瀧神社 責任総代 川嶋利弘さん(書店)
Q1. 一番古い祭の記憶は?
親父が転勤族で幼少時代は笠間や石岡に住んでた。だけど祭りの時期は必ず帰ってきてた。よその祭りよりも親しみもあったし断然面白い。住んでないのに真壁に友達ができた。小学校六年で真壁に戻ってきた時スムーズに地域に溶け込めた。祭りのおかげだよね。
Q2. 一番印象に残っている思い出は?
若衆だった頃、当時の山車は組み立て式でバラシと組み立てが大変だった。初日の組み立ては丁寧なんだけど、最終日のバラシは酒も飲んでるし雑に扱うわけ。結果翌年にはいろんなところに手直しやら補強が必要で。だから新しいのを作って欲しいと幹事にお願いするわけなんだけど大老中老からいつまで経ってもゴーサインが出ない。
ある時若衆の総意で台車の上部だけ勝手に燃やしちゃったんだ。
捨てちまったんだよ。そこから若衆で金出し合って新しいのを作っちゃったわけ。最後には幹事幹部もお金出してくれて。
それが今の山車なんだよね。
Q3. 子どもたちに何を伝えたい?
地域の文化とかしきたりは是非みてほしいよね。
普通の生活にはない体験だから。
時間を守るとか、筋を通すとかそ言うところ見習ってほしい。
神事である伝統文化を知ってほしいよね。
仲町 大老 吉田太一さん(材木店)
Q1. 一番古い祭の記憶は?
5、6歳のころ、保育園の隣に山車小屋があって、毎日それを眺めていたんだ。もうワクワクして、早く祭にならないかなって思ってた。町内を引き終わったあとに配られる鶏の醤油握り飯、それがまた楽しみでね。俺にとっては「山車と握り飯」はセットなんだよ。当時は神輿を牛が引いてて、その汚物がすごく気になっていたのも覚えてるよ。
Q2. 一番印象に残っている思い出は?
高校生の頃、山車の後ろを押してたんだけど、盛り上がりすぎて責任者の言うこと聞かずに勝手なことばかりしてた。そしたら、責任者にどんぶり(祭り衣装)の背中のバッテンを掴まれて、2、3メートル投げ飛ばされた(笑)。後になってその話を飲み会で本人にしたら、何も言わずニヤニヤしてたっけ。でもね、それも「祭りだからこそできること」だったって、大人になってから思えるんだ。
Q3. 子どもたちに何を伝えたい?
祭りの楽しさを知ってほしい。なんで楽しいかなんて説明できないんだよ。やってみなきゃわからない。お囃子を聞くと、体が勝手に動き出すんだよね。その時期になると、じっとしていられなくなるんだ。だから、とにかく参加してみて。楽しさを味わってほしい。
高上町 幹事 増渕義彦さん(電器店)
Q1. 一番古い祭の記憶は?
子どもの頃、親に「お神輿を迎える前に風呂に入って身を清めるもんだ」って教えられた。お神輿は「上から見下ろすものではない」とも。中学に入ると「一戸一名」の参加要請があって、親に代わって自分が出るようになった。中学生でも山車引かせてもらえて、内心「ラッキー」って思ったね。
Q2. 一番印象に残っている思い出は?
自分の子どもが中学生の時、先生と相談してお囃子の練習や指導を学校でやらせてもらうようにしたんだ。それがきっかけで子どもたちはお祭りが大好きになって、娘は他町の若衆と結婚して、今でも家族みんなで参加してるよ。
Q3. 子どもたちに何を伝えたい?
うちは代々お祭りを引き継げているけど、そうじゃない家庭もあるよね。でも、子育てって親だけがするもんじゃなくて、地域で支え合えるものだと思う。祭りを通じて、たくさんの人と出会って、その出会いから自分の糧を得て成長してほしいな。
新宿町 中老 鬼沢陽一(石材店)
Q1. 一番古い祭りの記憶は?
たぶん小学校三、四年生の頃。父が若衆、祖父が幹部で、子どもながらに自分も「祭りの一員」って誇らしく思ってた。毎日太鼓を叩いて、自分は主役だって気分でね。
でもある日、学校から帰ったら、山車がもう出発してて……悔しくて仕方なかった。しょんぼりしてたら近くのおじさんがカネ(スリ鉦)を渡してくれて、目立ちはするけど「やっぱり太鼓がいいよな」って思ってたっけ。
二つ下の弟は、まだ小さくて山車にも乗れず、綱引きの先頭を任されたのが不満で泣いてたのを今でも覚えてる。
Q2. 一番印象に残っている思い出は?
高校生の頃、上宿町が山車の「ハナ上げ(山車の先端を持ち上げる演出)」をしているのを見て、うらやましくてね。「俺たちもやってやる!」って仲間を集めて挑戦したら、まさかの成功。でも喜びすぎて、そのまま放置して休憩したら…大きな音を立てて落下してしまった。
幸い怪我人もなく済んだけど、次の日もまた挑戦しようとしたら、世話人がすっ飛んできて「何やってんだ!」って胸ぐら掴まれて大目玉(笑)。当時の僕はカンカン帽にどんぶり、ニッカポッカ姿で笛を鳴らして陣頭指揮。…あの格好で怒られたのは今となっては笑い話。
ちなみに一緒にやった同級生からは、「もう祭りには呼ばないでくれ」って言われたよ。三日間泊まり込みで山車を引いたら、みんな体ボロボロだった。
でもね、これだけは言いたい。
「ハナ上げの歴史を作ったのは、俺たちなんだ」
Q3. 子どもたちに伝えたいことは?
祭りは、仲間意識や地元愛、そして人とのつながりを育てるもの。子どもたちには、そういう「楽しい原点」をぜひ体験してほしい。家の外に出て、仲間と力を合わせて何かをやる──その体験が、きっと一生の宝物になるはずだから。
新宿町 中老 山口伸一(和菓子店)
Q1. 一番古い祭りの記憶は?
小学校の中学年ぐらいだったと思うんだけど、子供山車が、町内だけでなく、他町も廻る日があった気がするんだよなぁ
すごく時間がかかった気がする 数時間、途中休憩挟みながらなんだけどいっぱい引けて嬉しかった。でもとにかく長くてくたびれた。終わった後握り飯をもらうんだけど、綱を引いた手の上に直に渡されて、食べ終わると手がべっとべとで、でもそれがほんと美味くて、舐めるように一粒残らず食べたんだよなぁ
ちなみにだけど握り飯にはレシピがあり、元々幹事の奥さんが作ってたのが子供会の保護者に移行しても、本膳の醤油とあがったお酒を使う!みたいなこだわりがあった。
Q2. 一番印象に残っている思い出は?
幹事になってから当番町を迎えてこんなにも仕事が多いんだって驚いた。行政関係の手続きやら、他町との調整、警備打ち合わせに協議会の段取り。回書の筆書きなんて普段やらないし時間もかかるし苦労したよね。
いざ本番を迎えたら渡御の最初の当番町挨拶で筆頭幹事の陽ちゃん(鬼沢中老)がすごくテンパってて。いきなりハイテンションで高い声から入っちゃって長い挨拶文最後まで大丈夫かなって心配になりながら隣で聞いてた。なんとか最後まで持ってくれてホッとしたのをすごく覚えてる。それと、なぜか新宿の当番の年には25日の若衆引き回しで雨になるみたいなジンクスがあって、誰か雨男がいるんじゃないかってよく話題になってるみたい。
Q3. 子どもたちに伝えたいことは?
気軽に参加して欲しいと思うよね。特に子供たちには。
山車を引いたり乗ったりするだけできっと楽しいと思うよ。
きっかけ、とっかかりとして。
最近は子供山車引も人数が集まらなくて引かなくなっちゃったみたい。全員を乗せられるくらい少なくなってて。
それはそれでいい体験だけど。
自分が幹事だった時は保育園の児童がたくさんきてくれてたんだよね。今になって思えばあの時もっと「普段もきていいんだよ いつでもきていいんだよ」
って声掛けとか出来たと思う。
大和町 幹事 海老沢真信さん(写真館)
Q1. 一番古い祭りの記憶は?
一番古い祭の記憶は?幼稚園の頃、仲町の山車を引いて、おにぎりとアイスがもらえるのが毎年の楽しみだった。高上町では初日にお赤飯のおにぎりが出ると聞いて、そっちに浮気したこともある(笑)。
Q2. 一番印象に残っている思い出は?
一番印象に残っている思い出は?30代のころだったかな、仲町の山車の端切りを山中さんと太田さんがしていて、若松屋と川嶋雑貨屋のカギ十字路をダンジリみたいに猛スピードで走り抜けたことがあった。あれはいまだに忘れられない。「これが真壁の祭りだ!」って心から思えた。誇りに思ってるよ。
Q3. 子どもたちに伝えたいことは?
子どもたちに何を伝えたい?今はスマホでなんでもできちゃう時代だけど、人とのコミュニケーションって、リアルじゃないと伝わらないことがたくさんあると思うんだ。祭りを通して、世代を超えたつながり、地元との関わりを大切にしていきたいね。それが地域の“見守り”にもなると思ってるよ。
【インタビュー:神社関係者の声】
五所駒瀧神社 禰宜 櫻井朋彦さん
Q. 真壁祇園祭についての想いは?
櫻井さん:五所駒瀧神社は10年ほど前にご鎮座壱千年を迎え、盛大に千年祭を執り行うことが出来ました。しかし事業の一つ、御神輿の改修が叶わず今になってしまったのですが、この度目標を達成し今年の祇園祭にご披露することとなりました。氏子区域だけではとても賄いきれなかったのですが、崇敬者の皆様、その他兼務するお宮の氏子さんもご協力いただきました。総数でいうと芳名簿だけでも500を超える個人、それにほとんどの兼務社から氏子一同としてたくさんのご浄財を頂戴いたしました。個人名には初めてお見掛けするお名前もあり、皆さんが祭りに特別な思いがあることを再確認いたしました。そこで、何か恩返しができないかと考え、返礼品に参加させていただきました。自分自身も祖母は下宿に住んでおりましたので、今回の山車には特別な想いがございます。
【五所駒瀧神社の四季をインスタグラムでご覧ください】
【寄稿:学芸員の声】
桜川市教育委員会文化財課長 寺﨑大貴さん
真壁祇園祭典は、昭和61年に国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(風俗慣習)に選択された「五所駒瀧神社の祭事」のうち、旧暦6月に神輿を真壁の町に迎えて行われる祭礼で、文化財の中心をなす祭事です。
民俗文化財ですので、長い年月の間に盛衰や形態の変化はありますが、本質を守りながら地域の人々によって継承されてきました。
行事としては神輿の巡幸と山車の曳き回しが花形ですが、山車の姿も変化を重ねており、下宿町が使っていた山車は、昭和までの重厚なものから駆動性の高いものへの移行期にあたり、他の町内の現役の山車とは少し趣が異なり、伝統的な欄間飾りを設け、正面に唐破風デザインを用いるなど、比較して見ると興味深いものです。
このたびの、下宿町の山車を公開し、地域の子どもたちに広く祭礼を知ってもらおうという試みは、歴史文化の振興においても意義のある活動と思います。
最新の活動報告
もっと見るありがとうございました!目標を大きく超え、子どもたちのワクワクの実現に近づきました!
2025/07/07 05:14私たちのクラウドファンディングが終了しました。思った以上の多くの方に支えられ、当初目標とした80万円を2倍以上上回りました。おかげさまで、予定していた「真壁子ども山車」を出すことができる運びとなりました。皆様のご厚意を決して無駄にすることなく、当初描いていた夢に向かい、しっかりと取り組んでまいります。途中報告でもさせていただいてますが、山車の応急処置は確実に進んでいます。また、寄付でも募った提灯の発注を進め、本番には子どもたちを明るく照らしてくれることでしょう。子どもを集めるためのイベントの企画にも強力な助っ人が入り、鋭意プラン中です。子どもに配布予定だった木札も、来週には納品され、夏休み前には子供の手元に届く手筈です。だれかれとなく、どこからともなく、大勢の子どもたちが集まってきた真壁祇園祭。子どもたちが集まる場所さえあれば、きっと戻ってきてくれると信じ、力強く活動を進めてまいります。今後とも応援をよろしくお願いいたします。なお、返礼品に関しましては、準備が出来次第発注をさせていただきますが、制作に時間を要するのものに関しては、8月に入ってからとなりますことをご了承ください。 もっと見るこのまま最終日(7/6)でがんばります!
2025/07/03 17:35あっという間に7月、しかも梅雨が終わったかのような茹だるような暑さ・・・皆様、お変わりありませんか?このクラウドファンディングも残すところあとわずか・・・まだまだご支援をお待ちいたしております!!!真壁子ども山車プロジェクトは着々と準備を進めています。①子供配布用の木札 ふだ自体は完成し、組紐を通すプロセス中。来週中には完成予定です。②山車の応急処置 腐っていた床を修復、提灯用の枠組みを製作中提灯に灯りを灯す電気配線も完全に新しものに変更するため、現在地元電気工事屋さんに相談中。③子どもイベント 東京から強い助っ人がやってくることが決定。 これはまだ詳細をお話できませんが、すごいことになりそうです。ということで、みなさんお応援が、だんだん形になりつつあります。真壁祇園祭は7/23(水)から26(土)に開催されます。是非ともおいでください。 もっと見る山車の修復作業が始まりました。6月とは思えない暑さの中で・・・
2025/06/28 17:10皆さまのご支援が、いよいよ「かたち」になってきました。40年間眠っていた“子ども山車”。元気な姿をお見せするためには、まずは応急処置が必要です。腐食した床板はすべて新しい木材に交換し、提灯をつけるための枠や古い配線も、安全なものへ丸ごと入れ替え。作業を進めるうちに、修復が必要な部分が次々と見えてきます。部材の調達、古板の解体、取り外し材の撤去――役割を分担しながら、地域の仲間と汗を流しています。6月とは思えない強い日差しの中での作業は大変ですが、少しずつ山車が「命」を取り戻していくのを感じています。そして今、思い浮かぶのは――1か月後、真壁祇園祭に、子どもたちの笑い声が響く光景です。ぜひ、現地でその姿を見届けてください!真壁祇園祭は【7月23日(水)〜26日(土)】に開催されます。子ども山車の晴れ舞台を、どうぞお楽しみに! もっと見る
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