☺︎はじめまして、ハードコアパンクレーベル MCR COMPANYです。
1983年以来、ハードコアパンクを中心に国内、海外を問わず、290タイトル以上のレコードやCDを発売してきたインディーズレコードレーベル MCR COMPANY です。まずはパンクに興味の無い方にも知って頂ける様、代表である夫の経歴をまじえながら自己紹介させて下さいね。
パンクムーブメント襲来リアルタイムの1977年、セックス・ピストルズに衝撃を受けた夫は、1982年「パンクロックで埋めつくせ!!」が代表曲のパンクバンド FUCK GEEZ を結成し、翌年、自分と友人達のレコードを発売する目的でMCR COMPANYを設立しました。
その頃の夫は、パンクロックへの愛だけでなく、地域の音楽シーンを盛り上げたい気持ちも強く、ジャンル関係なくアマチュアバンドを募り、市内最大のイベントホール舞鶴市民会館(現在は取り壊され駐車場に)で千人の集客を集めたポートタウンライブコンサートを度々開催していました。
また、東舞鶴公会堂ではパンクバンドを中心としたイベント「地方分権 GIG」(S.O.Bの前身 セルティックフロストも出演)も開催し、そこに何度か出演していた舞鶴近郊のバンド(世界のマゾンナ、ノイズレコードレーベルとして著名なヴァニラレコード代表によるTHE SADIST、京都で飲食店「エラマサ」を経営する元LIQUID SCREENのベース井上が高校生時在籍していたSCABIES 、現在JahanGiR. ドラムス押谷がボーカルを務め、HARD CORE DUDEのベーシストのケルトが高校生時活動していたWALTZなど)を集めたオムニバスLP「天橋立に来た岸壁の母」を発売しました。
それがパンク情報誌「DOLL」(現在廃刊)に掲載されたことで、MCR COMPANYは全国にインディーズレーベルとして知られることとなり、各地からリリース依頼のデモテープが届くようになります。
ここから一気にレーベルとしての幅が広がり、それと共に夫のバンド活動も盛んに。
各地ツアーへ出掛けるようになり、少しずつ思い描く音楽活動が始まりかけた頃、知人からはじめて間もないスタジオでもあるライヴハウスをやむなく閉めると告白されます。
折角できた活動場所、このまま無くしてなるものかと慌てて資金をかき集め、なんとか譲り受ける事ができました。
その「すくらんぶるはうす」は、現在、DA PUMP 、三浦大知などのドラムを務める当時高校生の岸田容男くんもバンド活動や練習を重ねたライヴハウス。
ガーリックボーイズ、S.O.B、システマティック・デス、リップクリーム、DEATHSIDE、コックニーコックス、HELL RISER、GRIFFIN、ルーズハローウィン、どろろ、OXZなどパンク・ハードコア系のライヴも盛んに行いましたが、結婚を機に継続が難しくなり、同級生にゆだねることにしました。
以降は、海外からもリリースオファーを受けるなどレーベルとしての活動が忙しくなり、バンドはメンバーチェンジをしながら今も緩やかに活動しています。
そして、夫35歳の秋、突然に父との別れが訪れます。家業を継ぎ、夫はそれまで伸ばしていた髪を切り、耳に沢山付いていたピアスもこの時全部外しました。
その時に譲り受けた田畑が現在のMCR農園、京都府舞鶴市上漆原「長の室」にあります。
☺︎MCRCOMPANYの農園、「MCR農園」
「京都」といえば、歴史的建造物立ち並ぶ古都京都を思い浮かべられるのですが、舞鶴は京都市から約100キロ離れた海と山に囲まれる港町。更にそこからも車で30分山間部をすすみます。
パワースポットとして人気の「元伊勢籠神社」、日本三景のひとつ特別名勝「天橋立」で知られる宮津市との境まで500メートルの山頂にある、明るい山村。そこが上漆原「長の室」です。
ここも間違いなく京都ですが観光客が訪れることはありません。住む人も高齢者がほとんどの限界集落です。だけどいつも山々から流れる清水と澄んだ空気で溢れています。この観光地じゃない京都、上漆原「長の室」で減農薬米や無農薬野菜を作り、約20キロ離れた舞鶴市内の自宅でMCR COMPANYの他、父から継いだ自動車部品修理業とヤフオク出品代行をしながら兼業農家をしています。
田植えが済んだ5月中旬から夜明けとともに片道30分の道のりを走り夫は農作業に汗を流します。午前8時半には自宅兼店舗に戻り仕事に精を出し、午後5時半には下りるシャッターに見送られて軽トラを発進!再び農園へ。早く帰って食事の支度をしたい私の顔色など全く見えなくなるほど暗くなるまで農作業をし、自宅に戻ったら急いで風呂に入りご飯を食べて寝る。そんな慌ただしい毎日は稲刈りが終わるころまで続きます。
☺︎私たちは揃って50代の夫婦です。
いつもアホみたいに元気ですが、急に膝が痛くなったり、腰が痛くなったりなど老いていく者にありがちな困りごとが起きる日もあります。だけど過疎化がすすむこの村ではまだ若者扱いです。ちょっと嬉しいことでもあります。
今となっては生活の中心になりつつある農業ですが、最初から乗り気ではなくしょうがなくのスタートでした。とりあえず農業をしてもしなくても草刈りはせんとあかんのんです。うちが草ぼうぼうにしたら隣の畑も草が生えてしまいます。夫が農地へ向かい、重い草刈機を背負って草を刈るのは隣の畑に迷惑を掛けない為。そしてそれはものすごく暑い時期なのです。
吹き出す汗が目に染みて、思わず瞼を閉じてしまう夫。
「やめたい、だけどうちに俺以外の男手はない。」
開けた瞳にに映るのは今にも弾けそうな真っ赤なトマト。
「そうか!!!何か作ったら楽しみになるんかも!!!」
まずは、あまり手のかからなさそうなじゃがいもやさつまいもから作り始めました。最高に美味しいものが採れる年もあれば、イノシシやうさぎにほとんど食べられた年もありました。
友人に 「こんな美味しいニンニク初めて食べた」と言われて嬉しくて、来年はもっといいのを沢山作りたい、「やさい畑」を年間購読して、ネットで調べて実践したのに、度重なる豪雨でびっくりするくらいちっさいものしか採れなくて・・・
その瞬間、走馬灯のように頑張った記憶が脳内を巡ります。
「ああ、しんど、もう辞めよかなぁ・・・・」だけど、捨てたくはないから蒸してみる。
「美味しい!!!塩だけしか使ってないのにすごく美味しい!!!やっぱり来年も頑張ろ!!!」
農業に魅せられていく私たちに、そろそろ畑仕事が厳しくなってきた方からの請け負いが続きます。
そして現在「MCR農園」は約2町(約2万平方メートル)になりました。
↑ ↑ ↑令和元年5月25日早朝のMCR農園です。
MCR米をはじめ現在、海老芋・春ウコン・しょうが・キクイモ・ジャガイモ・さつまいも・ニンニク・らっきょ・ヤーコン・山フキ・春大根・きゅうり・ミニトマト・ナス・唐辛子(鷹の爪)・宇宙芋・ニラ・ごぼう・ねぎ・などを栽培中。カボチャ・オクラ・味噌用大豆・落花生は、もうすぐ定植。昨年の度重なる豪雨や台風で崩れたままの田んぼ、その災害復旧の通路に使われるので今年は作るのを諦めた畑、緑肥を育てて鋤きこみ健康な土づくり真っ最中の畑もあります。イノシシやシカからお米や野菜を守るのも大きなお仕事のひとつ。電気柵や防獣ネット・メッシュを張る事にお金も時間も体力も奪われますがこれ無しでは何も作れません。
☺︎「MCR米」はMCR COMPANYが育てたお米の愛称。
炊き立てごはんが美味しいのは当たり前、冷やご飯が絶品なんです♡
山間地のこの村は真夏でも夜になると寒いくらいですが、昼と夜の大きな気温差と生活排水が全く混入していない栄養豊富な山水は一度食べたらやめられないMCR米になくてはならないもの。品種はこしひかり。低農薬栽培で作っています。田植え直後、大事な苗が雑草の勢いで負けてしまわないように一度だけ除草剤を使用します。その後は田んぼにも畔にも除草剤を使用しません。防虫剤も使いません。稲刈りまでひたすら草刈、また草刈り、そして草刈り、ずっと草刈りをし、朝晩、約1.3町(13000平方メートル)全て、田んぼの水加減調整して回ります。
その甲斐あって、昨年は発売と同時に売り切れに。
「お昼のお弁当が待ち遠しくてたまらない、もうMCR米でないと満足できない」
お客様のその言葉に奮い立たされ、今年も稲刈りまで頑張ります。
☺︎リターンとその使い道について
その令和元年収穫予定の新米、新しい年のMCR米をリターンとさせて頂きます。
通常価格よりお得に設定しています。
そして、皆様から集められた資金で、画像のトラクターや農機のメンテナンス、爪の交換をしたいのです。これが叶えば百人力。田畑を耕すことは生命の扉を開けること、何を作るにもここからです。
☺︎実施スケジュール
リターンのMCR米は、9月中旬頃から稲刈りが始まります。
その後、乾燥→もみすり→精米をして10月初旬頃から順次発送致します。
ここまで読んで頂き本当にありがとうごさいます。
どうかご支援頂きます様宜しく御願い致します。
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