今しか叶えられない、絶対に諦められない夢への思いがあります!!!私は2019年の1月からモンテネグロでサッカーをしています。その生活資金や渡航費などの協力を願いたいです。

プロジェクト本文

「はじめに・ご挨拶」

96年生まれ 橘学苑高等学校卒業 国士舘大学卒業 

国士舘大学サッカー部→TokyoU23(東京都2部)→FK BERANE(モンテネグロ2部) 

経歴 ソサイチ日本代表2017スペイン選抜

「このプロジェクトで挑戦したいこと」

移籍のためのトライアル費用や海外生活を過ごすための生活費や渡航費用などの資金調達

「海外挑戦がまだ一年目で、チームから給料が一切出ない。なのに、現地での資金調達手段がないため」

 私は、三人兄弟の長男で実家が自営業を営んでいることもあり、本来ならば大学卒業を同時に自営業を継がなければいけません。しかし、今しか叶えることが出来ない夢を諦めることが出来ず、父親の反対を押し切り、仕事を兄弟に任せ、自分の夢を追いかけることを選択しました。

当然、父親からの支援はなく、学生時代に日本で稼いだバイト代のみで生活していました。

しかし、給料もロクに貰えない状況の中、資金が底をつき、次のシーズンが始まるまでの間に一旦日本に帰国し、一ヶ月間という短い期間の中で必要資金を稼がなければ挑戦する事すら出来ない状況にあります。

その一ヶ月間で、できる限り働き、次のトライアウトに向けてコンディションの調整も行ないます。

正直、体の負担や時間的に資金が目標資金まで集まるのか分かりません。そこで、CAMPFIREの存在を知り、クラウドファンティングに挑戦しています。


②夢の実現

なぜ私は夢を諦められないのか

それは、離婚してしまい今はどこに住んでいるか分からない母親に、『サッカー』という形で恩返しがしたいからである。

じゃあどんな形で恩返しをすれば良いのか、どんなところに住んでいようと母親の目に届くこと……

例えば、日本代表に選考され、海外のビッククラブで活躍すれば、必ず目に届くし、日本を代表とするトッププレイヤーになれば、母親の目に入るのではないかなと思った

しかし、この形は、尋常じゃないくらい大きく、簡単に目指せるものでもないが、私は、サッカーを続ける限り、この夢に向かって一心不乱に突き進みたい。

だが、ビッククラブで活躍するだけで、母親への恩返しになるのか

私は子供達が目指したくなるような人間となり、世間で認知度を高め、発信力のある人間になる事も大切であると思う。

母のお陰で、サッカーと出会い、そのサッカーでこんなにも一人の人間として立派に成長し、自分の発言で何かを変えられる力を得る事ができ、テレビやメディアなどで人々に勇気や希望を与えられる。

私が学んだことや海外に出て気付いたことを、これから日本を背負って立つ子供達に伝えていきたい。

まだまだ、先の話なのかもしれません。

いつか母親に、あなたのお陰です、ありがとう。と伝えられる日を現実したい。


「私がこのスポーツを始めたきっかけ」

私がサッカーを始めたきっかけは、6歳の時に肥満体型であった私に、何かスポーツを始めさせようと考えた母親が、サッカーと野球どっちがいいと聞いてきました。当時、世界では日韓ワールドカップが行われていて、テレビに映るサッカー選手たちに魅了され、サッカーを始めました。


「これまでの歩み・軌跡」

中学時代

私は小学生の頃、強豪校でサッカーがしたいと思い、中学受験を行いました。しかし、行きたかった強豪校には進学できず、滑り止めの中学校にもサッカー部があるとホームページに掲載されていたので進学しました。

入学式の日に担任の先生に、サッカー部に入部したいのですがどうすればいいですか。と尋ねたところ、中等部にはサッカー部はないよと言われました。

ホームページに乗っていたサッカー部はなんと高等部のものでした。なんのために、受験したのか。路頭に迷い、好きでもないテニス部やバスケ部などの体験に顔を出してみましたが、やはりピンとくるものはありませんでした。そこで私と同じクラスの友達で、ないならサッカー部を作っちゃえ、という考えに至り、そこから私たちは、サッカー部に入部するところが、サッカー部を作ることから始まりました。

2人から始まったサッカー部も私たちの声がけで同い年の友達4人、ほぼ活動していなかったサッカー同好会の先輩たち5人を集め、なんとか11人揃うことができました。顧問の先生はいない中、昇降口のコンクリートの上で自分たちで持ち合ったボールで、練習と呼べるのかわからないような状態で最初の練習が始まりました。毎日同じような練習をしていると、それを見かけた、高校サッカー部の新任顧問の先生が、私たちの顧問になってくれる事になりました。

もともと、私の学校は土の小さいグランドが一つに、高校サッカー部と野球部と弓道部が曜日や時間帯を変え使用していたため、私たちが入り込むスペースはほぼありません。野球ボールが私たちの上を平然と通り、頭に当たることも少なからずあり、サッカー部が使用していない時間とスペースを上手く利用するなど、本当に大変でした。

そんな中、初めての公式戦を迎え、結果は、0−15の惨敗。そこから、連戦連敗で手も足も出ない状態が続き、ましてや、3年生の先輩方が早くに引退し、11人揃わない状況になり、他校のすでにある合同チームに混ざることになりました。3校合同チームとなり、平日の練習は各校で行い、土日のみ、他校に集まり練習する事になりました。それでも、負けの数は変わらず、初めて勝ったのは二年生の初めの頃でした。あの時の喜びは今でも忘れません。そこから、公式戦で思うように勝つことができずに、二年生にして中学サッカー最後の大会を迎え、1回戦PK負けを喫し、周りの合同チームは、新入部員のお陰で、独立できるようになったため行動チームは解散する事となり、私たちは人数が少なくてもできる、

神奈川県ユーズリーグのフットサルに加盟する事になりました。

フットサルは人数も少ないし、フィールドも小さいので私達には合っていたのかもしれません。しかし、リーグに加盟してるチームは高校生のチーム、良い試合をしても勝てる事は出来ず、最終節まで全敗でした。

最終節、相手は唯一同じ中学生である、街クラブでした。この試合は、私の人生の中で一番記憶の残る試合となりました。同じ全敗の中学生チーム、お互い負ける訳にはいかない中、

試合結果は、5−3 初勝利

ここまで様々な経験を共に過ごしてきた仲間達と掴んだ試合だったので、そんな試合中の1秒1秒が濃くて、あの時の思い出を振り返るだけで、鳥肌が立つ事は、サッカーのみならず他にありません。

中学三年間の公式戦で、自分たちで勝ち取った勝利はこれしかありません。けど、このたった一勝の為に三年間朝から夜まで、狭いスペースを少ない人数で工夫して汗水流して練習して、掴むことのできた三年間の集大成だと思います。

あの時、サッカー部を作って本当に良かったと心から思った瞬間でした。

高校時代

私は、中学時代小さい土のグランドで練習していたので、そこから考えればとても進歩したといえるが、高校時代は、三年間フットサルコートで練習していました。もちろんサッカー部として活動していました。

年代によって人数はバラバラですが、一番多くて、40人近くいました。その人数でフットサルコートを時間や練習メニューのタイミングをうまく使い工夫して練習していました。

三年間を通して、インターハイ、選手権共に二次予選には進む事は、出来ませんでした。

しかし、三年生の先輩達が引退した後は、部員が13人しかいない中で学苑初のタイトルである 

横浜地区大会優勝


最後の選手権では同じブロックの一次予選突破候補に逆転勝ち

人数が少ないだとか、練習場所が小さいだとか、本当に関係ないなと心の底から思いました。

2015年卒業組

【大学時代・TokyoU23】

高校時代で、サッカーに対して燃え尽きることができず、自分ならもっと出来ると思い、自分の実力がどこまで通用するのか試したいと思う気持ちが芽生え、レベルの高い選手が集まり、誰でも入部できる国士舘大学に入学しました。

しかし、入部してみると推薦で入部していないため、練習が週二日であるか無いか、長期休みの夏休みや、冬休みは丸々オフ。そんな状態が三年の秋まで続きました。しかし、ソサイチ日本代表の縁でTokyoU23に所属することになり、1シーズン過ごしました。

【モンテネグロへの経緯】

U23時代の監督の繋がりでモンテネグロのトライアウトを現地で受けることのできるセレクションが都内で行われる事を知り、運よく特待生選手として選んで頂きモンテネグロ挑戦することになりました。

モンテネグロは周りの国と比べて、レベルは低いけれど他国の強豪国にステップアップしやすいこともあり、そして、プロサッカー選手としてプレーする事ができるのでモンテネグロを選びました。

【FK BERANE 時代】

トライアウト時に、このチームと試合を行い、ストライカーとしてアピールする事ができ、得点力不足のチームにストライカーとして所属することになりました。しかし、待っていたのは、外国人枠監督の構想外という現実でした。
所属当初は、このチームで活躍して自分の夢のために一刻も早くステップアップし、強豪チームに移籍することを想像していました。しかし、外国人枠監督の構想外という問題が待っていました。

私が所属したチームには、外国人が自分を含めて、4人いました。モンテネグロ2部リーグは、ベンチ入りできる外国人は二人まで、私は、まずそこから外れました。これに関しては、すぐに実力を示せば、自ずと自分に回ってくると思っていました。しかし、チームは依然として勝利を得る事ができない期間が続く中でも、私を一切起用しようとしません。監督になぜ起用されないのか聞いてみても、外国人枠の一点張りで状況が先に進みませんでした。そんな中、二人の外国人が解雇されました。

そこでやっと試合で起用されました。練習からもそうですが、自分が圧倒的に通用する自信は揺らぎませんでした。フル出場を果たした試合では、一番良かったと評価も受け、ここからやっと始まると思っていました。

しかし、その試合以降、試合には全く出ていません。理由としては、チームが前期で圧倒的最下位だったため、そして後期でも勝てず、早い段階で降格が決まりました。チームは来季のことを考え、今期で移籍する外国人である私を起用はしませんでした。ユース選手を昇格させ来季のことを考えてメンバーが組まれるようになりました。もう一人の外国人枠の選手は、初戦から起用されていて、チームにとってかけがえのない選手になっていたので、当然起用され続けました。監督が自分のことを一切試さない状況はとても苦悶で、海外で過ごす初のシーズンは、メンタルがとにかく鍛えられました。

正直、めちゃくちゃ悔しいです。試合に出場すれば絶対に輝ける自信はあるのに、練習でいくらいいプレーをしようとチーム事情もあるけれど、起用されない。その事実を上まることを自分が出来なったことが何よりも不甲斐無いです。

このハーフシーズンで得た経験は、絶対に無駄ではありません。むしろ必要だったのかも知れません。今は、そんな風に思い来季に向けてトレーニングを続けています。

今は、サナギで孵化し羽を広げるには、まだまだ力不足なのかも知れません。けれど、今じゃ無いだけで、必ず来ることを考えながら準備し続けます。

私の今までのサッカー人生は、普通の選手たちとは、全く違います。それこそが、私の武器だと思います。誰よりもハングリーになれるし、反骨心では誰にも負けません。

これからも、世界のトッププレイヤーを目指し続けます。


「資金の使い道・実施スケジュール」

トライアウト費 18万円 

→1か月間のトライアウト費

現地での生活費(ハーフシーズン)20万円 

→現地での交通費代、食費代、ジム代、プロテイン・サプリメント代など

帰りの航空券代 8万

学費や保険の支払い 12万円

→6ヶ月間×1万円 保険代 6ヶ月間×1万円 学費代

スパイク代 2万円

合計 60万円

手数料

→17%  10.2万円

合計 70.2万円

7月3日から1ヶ月間のトライアウト→トライアウト期間ですが、咋シーズンにチームに所属しているので他チームに移籍するためのトライアウトとなる。

7月から12月までのハーフシーズンをモンテネグロで過ごします。


「リターンのご紹介」

3000円 メールにて御礼

1万円 メールにて御礼+facebookにて御礼投稿(アカウント名、お名前、協力内容等)&近況方向グループの加入

5万円 メールにて御礼+facebookにて御礼投稿(アカウント名、お名前、協力内容等)&近況方向グループの加入+モンテネグロのお土産(相談OK)をお届けさせて頂きます。

5万円 メールにて御礼+facebookにて&御礼投稿(アカウント名、お名前、協力内容等)&近況方向グループの加入+ハーフシーズン終了後に日本国内どこでもサッカー教室や海外生活での相談など、私に力になれる事を出来る限りお手伝い致します。交通費等は、要相談負担して頂く場合もあります。(公序良俗に反する内容、法令に違反する内容などはお受けできません。)

10万円 「企業様向け」トレーニングウェア・サプリメント・SNSにて宣伝活動とスポンサーの掲載をさせて頂きます。


私は、本当にこの夢を叶えたいです。今、こうして人生を楽しく生きていられるのも母親を含め、私に関わった人達皆さんのお陰です。その感謝気持ちを自分の人生を賭けて恩返ししたいと思っています。

もし今回、目標資金まで達しなかったとしても、自分でできる限り働いて集め、まずは、モンテネグロで活躍し、大舞台で活躍できるトッププレイヤーになりたいと思います。

応援よろしくお願いします。


本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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