はじめに・ご挨拶

はじめまして。

立命館アジア太平洋大学4年の福井祐希と申します。

普段は、SNSを中心に日本の文化や歴史を発信することで古き価値あるものを次世代に残すべくTravelGeographicという団体を立ち上げ活動しています。これまでに、第二次世界大戦の痕跡をめぐる「戦跡旅」や地質や地形から日本を見る「地理旅」などただの観光では留まらないテーマ性のある旅をし、発信してきました。そして、私個人としては卒論でも「日本人の歴史観論争」について勉強しています。

(Instagram :  travel_geo25)


このプロジェクトで実現したいこと

今回、自分たちが実現したいことは大きく分けて二つあります。


1、 広島・山口・大分の戦跡を巡るスタディーツアー


日時:9月4日~9月11日(7泊8日)

参加者:運営メンバー2人、立命館アジア太平洋大学の学生5人(原則日本人)

目的:将来グローバルに活躍する大学生が戦争について理解を深め、それらの類の諸問題(歴史認識問題、記憶の継承、核の脅威など)に対する関心を促す。

内容:主に広島・山口・大分に点在する戦跡を巡るスタディツアーを行います。

ツアー内では原爆ドームを始め、大久野島、大津島、軍需都市だった呉、宇佐市平和資料館などを訪れ、あらゆる角度から第二次世界大戦の歴史について触れます。学びを深めるために、資料館の展示の他に大津島・原爆ドームでは現地ガイドの方に説明をしていただく予定です。また途中通過する街では、運営メンバーがガイドとなって日本の文化や歴史を地理学的に説明していきます。(例:なぜ幕末の長州藩ができた?四国一の街松山はどうできた?広島はなぜ地下鉄がないの?など)

1日目

別府→坂の上の雲ミュージアム、道後温泉

2日目

松山城→亀老山→尾道

3日目

大久野島大和ミュージアム

大久野島:第二次大戦中、大久野島では秘密裏に毒ガス製造が行われた。島内にいる数百羽のうさぎは、そのころの実験体が逃げ出して繁殖したともいわれる。

大和ミュージアム:当時世界最大級の戦艦大和の歴史を知ることができる資料館。零戦や回天の模型も展示してある。


4日目

歴史の見える丘原爆ドーム、広島平和記念資料館


歴史の見える丘:戦艦大和が建造されたドックの跡を見下ろせる。

原爆ドーム:原爆投下の惨劇を物語る負の遺産。多くの人々が訪れる。(

広島平和記念資料館:1945年8月6日、一発の原子爆弾リトルボーイが広島市街上空で炸裂した。その当時の様子を写真や展示で生々しく伝えてくれる。


5日目

宮島→錦帯橋

6日目

大津島→萩

大津島:先端に爆弾を積んだ潜水艦に乗り込み、敵艦に体当たりするいわゆる特攻「回天」。大津島は、その回天の基地だった場所。

7日目

萩→下関

8日目

八幡製鉄所→福澤諭吉記念館→宇佐平和資料館

宇佐平和資料館:回天とは違い、戦闘機の特攻基地として使用された場所。「永遠のゼロ」の撮影で使用された零戦のコックピットも展示。


2、  日本一グローバルな街と呼ばれる「別府」でスタディツアーの報告会


日時:10月26日、27日

場所:冨士屋Gallery 一也百 ―はなやもも―

目的:別府市民を始め、大学生や観光客にも戦争と平和について考えてもらう。

内容:スタディツアーの様子を撮影した写真の展示会、映画上映会、去年行った戦跡旅の様子を映した展示(知覧特攻平和会館、長崎平和公園、ひめゆりの塔、平和の礎)、メッセージボード

9月21日から開催のベップ・アート・マンスの一企画として出展予定です。


なぜ別府なのか。


別府が適している理由は、国籍や性別などの区別を取っ払った多様性・包容力に優れており、平和を考える上でとても適しているからです。

大分県東部に位置する別府は、年に1000万人近い観光客を迎える一大温泉地です。そのルーツは、明治4年に作られた別府港でした。港に人が集まり、さらに大阪との定期航路も開かれ、別府の発展が始まりました。違う世界の人間を取り込む別府の気風は、この時期から始まっていきました。

そして、2000年に開校した立命館アジア太平洋大学によって、一気に別府のグローバル化が進んでいきました。立命館アジア太平洋大学は、学生の半分が留学生という「世界の縮図」と呼ぶべき大学です。授業も日英両言語で行われ、学生たちが日々切磋琢磨しています。その環境もあって、多くの学生が世界をフィールドにして仕事を志します。


そんな背景もあり、別府でスタディツアーの報告会を開催し、学生や住民、観光客も巻き込み、国籍や年齢の垣根を超えて一緒になって戦争と平和について考える機会にできればと思っています

当日はスタディツアーの様子を映した写真や参加者の感想などを展示し、「永遠のゼロ」「海賊と呼ばれた男」「日本で一番長い日」「風立ちぬ」「この世界の片隅に」の上映会も行います。

他にも、多くの方の協力を得て有意義なイベントにしようと考えております。

出口付近には平和を願うメッセージを書き込める場所を設け、支援していただいた皆様にお送りさせていただきます。


プロジェクトをやろうと思った理由

2018年3月に友人と行った戦跡めぐり旅。


そこでは、実際に原爆ドームやひめゆりの塔、知覧特攻平和会館、長崎原爆資料館、回天記念館で
当時の人々の「小さな物語」に触れました。


印象に残っているのは、大津島の回天記念館。

決して歴史の表舞台に出てくることが多くない人間魚雷回天。

資料館では、出撃した若者の肉声や遺書をみる機会を得ました。

これが、現地に足を運ぶ意義であると感じます。


学校の教科書では、どうしても近現代史は少量になり当たり障りのない内容になってしまう。

私たちがすべきことは、現地に足を運び「小さな物語」を拾い、戦争と平和について考える資料にするということではないかと思うようになりました。

それを一人でも多くの人に広めたい。その一心で、これを企画しました。


これまでの活動

私は高校生の時に見た和風総本家の中で、日本文化に喜ぶ外国人の姿を見てとても嬉しかったことがあります。そこで自分も日本文化を発信したいと思い、国際系の立命館アジア太平洋大学に入学しました。


大学生になり、多くの国際交流を経験しました。タイ人や台湾人と伝統舞踊を披露したり、韓国人とルームシェアしたり、カンボジアのスタディツアーを企画し、孤児院や日本語学校、スラム街、プノンペン大学に到るまで多くの方と交流し、世界の現実を目の当たりにしました。

大学のイベントでタイの伝統舞踊を披露しました!

カンボジアの日本語学校でパシャり。皆真面目で夢を持った同世代の人たち。


しかし、国際交流する中でずっと引っかかっていたこと・・・


それは、日本人なのに日本の事を知らないということ。


日本人はなんで「おはよう」っていうの?「いや、それは言うから言うんだよ。」って思いますが、でも意外と知らないですよね。そこで、私は日本文化を外国人に伝える前にまず自分が知らなければならないと思うようになりました。そんな流れで、国内外問わず旅行し日本を知ろうと試みました。


そして、大学二年の夏一人旅でタイのカンチャナブリを訪れる機会がありました。カンチャナブリは旧日本軍が残した泰緬鉄道が作られた場所で、映画「戦場にかける橋」で有名な観光地です。私は父のすすめでここを訪れ、資料館や実際の戦跡を巡りました。

ヘルファイアパス:泰緬鉄道建設最大の難所と呼ばれた。捕虜やアジア人労働者がこれを毎日掘り進める苦労は想像をはるかに超えることでしょう。


しかし、そこで感じたのは日本人の観光客が誰もいないということでした。


もちろん自分が気づいていないだけで、
日本人はいたと思いますが圧倒的に欧米系の観光客が多かった印象です。


私は当事者とされる日本人の少なさにショックを受けました。


帰国後に周りの友人に泰緬鉄道について聞いても、ほとんどが知らないと答えました。


「自分だけでなく、日本人自体が受け継ぐべき日本の歴史や文化を知らない。」


このままでは受け継ぐべき日本の歴史や文化が風化してしまう
そう思い、日本人に日本の文化や歴史について考える機会をつくることを目指しました。


資金の使い道

レンタカー代 110000円

フェリー代(車)12720円

ガソリン 20000円

駐車場代 15000円

しまなみ海道 4830円

フェリー代(別府ー宇和島)3100円 ✖️7

宿泊費 4000円 × 6日 ✖️ 7

食費 2000円 × 7日 ✖️ 7

大久野島フェリー 720円(往復)✖️ 7

大久野島資料館 100円 ✖️ 7

大和ミュージアム 500円 ✖️ 7

広島平和記念資料館 200円 ✖️ 7

大津島フェリー 1420円(往復)✖️ 7

回天記念館 300円 ✖️ 7

クラファン掲載・決済手数料 77000円

計550000円


実施スケジュール

プロジェクト実施の計画を時系列で書きましょう。

9月4〜11日 スタディーツアー

10月26日、27日 報告会・展示会

〜20年3月 リターン


最後に

哲学者のハンナアーレントは、ナチスドイツがユダヤ人虐殺に向かった本当の理由をこう分析しています。悪とは「システムを無批判に受け入れてしまうこと」なのだ、と。つまり、国民一人一人の政治に対する無関心がナチスの暴走を引き起こしたというのです。それは、終戦から長い平和な時代を経て、戦争を知らない世代が多数派になった今こそ意識するべきではないでしょうか。私たち一人一人の思考停止が、新たな悲劇を生むかもしれません。

戦後74年の今年、元号が平成から「令和」へと変わりました。なんとなくですが、若者としての自分たちの役割が「教わる」ことから「伝承していく」ことへと変化している気がします。令和を生きるこれからの世代に、激動の昭和で何があったのか知る機会を与えて頂けたら幸いです。



<All-in方式の場合>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

  • 2019/08/18 16:32

    こんにちは!お久しぶりです!TravelGeographicのゆうきです!いよいよクラファン ご支援期限4日前になってしまいました!4月から考えてきたこの企画。令和の時代に戦争の記憶を留める。8月に入り、その必要性を感じているこの頃です。是非ともご支援お願いいたします!

  • 2019/07/12 14:17

    先日5人目のご支援者が現れました!本当にありがとうございます!まだまだ継続中ですので、よろしくお願いします!

  • 2019/07/06 23:16

    お久しぶりの投稿です!支援者が4人になりました!おかげさまで大分の方から静岡まで様々な地域の方に興味を持っていただいております。お金という見える支援でなくても、シェアなどで応援していただいている方々にも感謝です。まだまだクラファン 期間は継続中なので、どしどしシェアでも支援でもしてください!お...

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