▼はじめにご挨拶

 僕たちの団体は、演劇の上演を行う吃音を持つ学生の自助グループ(当事者団体)です。団体自体は、2015年の春に誕生し、演劇公演は、2016年の秋から始めました。

(団体公式HP):http://ut-stuttering.wixsite.com/start

 普段の活動では、当事者研究会という活動をメインに行っています。

 当事者研究というのは、障害や生きづらさを抱えている当事者の人たちが、自分自身の困りごとについて、仲間と対話しながら「研究していく」営みのことです。もともとは統合失調症のグループで始まった営みですが、現在では、発達障害や脳性麻痺など、障害の垣根を越えて様々なグループに広まり、主に福祉の世界で注目を集めています。オープン・ダイアローグとも共通性のある手法と言われています。
 僕たちのグループでは、これまで、「話し言葉の地図」などをテーマにして、当事者研究会を行ってきました。「話し言葉の種類と吃音の関係」など、これまであまり専門家の人たちが論じてこなかった内容についての知見も蓄積しつつあります。研究内容の一部は、今年の日本吃音・流暢性学会で発表し、吃音を研究する専門家の方からも、注目してもらえました。

(当サークルの代表が、当事者研究の内容について語ったインタビューの記事):

http://asaito.com/research/2016/10/post_36.php

 ▼これまでの活動

 第1回旗揚げ公演『ことばがひらかれるとき』では、吃音者が直面している問題をきっかけに、『対話すること』そのものについて、観客と一緒に考えさせるような演劇を作りたいと考え、『吃音者の対話』をテーマにした約1時間の対話劇を上演しました。

 2016年は、障害者差別解消法という『対話』(合理的配慮)の理念に基づいた新しい法律が施行された一方で、相模原殺傷事件という大変痛ましい事件が起きた年でした。2016年に、吃音者たちが、何を考え、何に悩んでいたのか。それを記録することは、吃音者にとっても、また、吃音を持たない人にとっても、大きな意味があるのではないかと思い、台本『ことばがひらかれるとき』を作りました。

 『ことばがひらかれるとき』は、2016年11月、東京大学の学園祭(駒場祭)に訪れた観客200人の前で上演されました。

(公演についてのインタビュー記事):http://ut-stuttering.wixsite.com/start/single-post/2016/10/20/演劇企画『ことばがひらかれるとき』についてのインタビュー

(毎日新聞の動画付き劇評記事):http://mainichi.jp/articles/20161116/k00/00e/040/223000c

(公演後の感想記事):http://ut-stuttering.wixsite.com/start/single-post/2016/11/28/演劇企画『ことばがひらかれるとき』報告文

 上演は好評を得、2017年に福岡県で開催される吃音者の全国大会で再演されることが決定しました。また、学内外の複数のメディアから取材を受け、東大新聞・毎日新聞に、劇評つきの新聞記事が掲載されました。また、TBSの深夜番組『ニュースな2人』の番組内で、上演時のVTRが放送されました。

▼このプロジェクトで実現したいこと

 第2回の演劇公演『ポルノ』では、マイノリティが表現することそのものをテーマにした作品を作りたいと考えています。

 『吃音者』のイメージは、どのような眼差しの構造の下で『消費』されるのか。そしてその時、当事者は何を考え、どのような戦術をとりながら、表現し、世界と関わろうとするのか。この問題について、構造を明らかにし、劇として提示するような作品を作りたいと考えています。

 吃音者に限らず、マイノリティが表現することの意味、また、そもそも人が舞台に立つということの意味、について、演じ手と観客とが巻き込まれながら、一緒に考えざるを得なくなるような作品を作る予定です。

▼プロジェクトをやろうと思った理由

 吃音者たちは、伝統的に、竹内敏晴さんという演出家の方と一緒に、『演劇を通じて自身の吃音の問題と向き合う』という取り組み(竹内レッスン)を行ってきました。また、その他にも、井上ひさしさん、鴻上尚史さん、平田オリザさんなど、演劇界の人達と一緒に、日本語やコミュニケーションについてのワークショップを開催してきました。

 私たちの劇団も、『演劇を通じて吃音の問題と向き合いたい』という考えの下で、活動を開始しました。しかし、学園祭という一般の観客の前で、マイノリティの集団が『当事者性を背負いながら表現すること』の意味について、改めて立ち止まって考えてみると、一筋縄ではいかない難しさがあるように感じるようになりました。

 そこで、2年目の公演では、『マイノリティが当事者性を背負いながら表現することそのもの』についての表現をしたい、と考えました。

 どのような作品なるかはまだわかりませんが、上演されることで、作り手も、演じ手も、『マイノリティのアート』の問題について考えざるを得なくなるよな、『マイノリティのアート』を作りたいと考えています。