はじめに・ご挨拶

はじめまして! ミンガラーバー(ミャンマー語で「こんにちは」)

2018年4月から青年海外協力隊でミャンマーに赴任している清水啓(しみずけい)と申します。日本でサラリーマンをした後、休職してマンダレーにある日本の少年院にあたる施設でボランティア活動をしています!

1日の90%をミャンマー語と10%を独り言の日本語で話すような生活をしています!!


今回のプロジェクトは青年海外協力隊の本来の要請とは別にミャンマーにいて、やった方がいいと感じたことについてです。

❶このプロジェクトで実現したいこと

・ミャンマーのザガインにある日本人墓地の修繕したい。

日本人戦没者(日本兵、赤十字社などの看護師も含む)の戦没者の碑銘が経年劣化のため読むことができなくなっています。また、そのお墓となっているミャンマー式のパヤー(金色の仏塔)も塗装が剥げてきているため、修復して、もう一度輝きを取り戻したいです!

第二次世界大戦中、日本がイギリスと戦うために、ミャンマーに侵攻したインパール作戦という歴史がありました。そうした歴史を若い人にも知ってもらいたい(ミャンマーの社会科の教科書には載っています)。


・この場所をミャンマーと日本の架け橋にしたい!

また、ご存知の方々のためにも、改めてミャンマーと日本の歴史を深く知ってもらうことで、相互理解につなげたいと考えています。


❷私たちの地域のご紹介

・ミャンマー中部の都市マンダレー

ミャンマー中部の都市マンダレーは経済的にはヤンゴンに次ぐ第2の都市で、王宮を中心に歴史と文化が色づく町です。

そこから、車で30分ほどの所にあるザガインはミャンマーでも有名な仏教の大学があり、豊かなエヤワディ川の自然と仏教文化の混ざり合わさった土地です。その中心的存在のザガイン山は有名なお寺が2つあり、ミャンマー人たちの聖地として大切にされており、土日には約5000人の人が参拝に訪れます。その山の頂上に日本人墓地があります。

※ 町の様子

・当地の場所

以下が、Google mapのリンクになります。

https://goo.gl/maps/5huqX9mvhJQAdZwo7

ミャンマーの中西部に位置しております。マンダレーから40Kmほどの距離にあたります。)



❸なぜ、ザガイン山に日本人のお墓が??

第二次世界大戦中、ミャンマー北西部やインドのインパールといった地域まで進出していた日本兵を敗戦後、一時的に終結させた地がこのザガインになります。そしてザガインから鉄道で隣町のマンダレー、南部のヤンゴンへと移送した経緯から、ザガイン山に慰霊碑が作られました。

1976年    ザガイン山 山頂部に慰霊塔(仏塔)と日本人寺を建立

1986~88年 4基の慰霊碑と2基の日本軍の進行図を建立


❹現状の課題

・戦没者の氏名が読めない。お墓の塗装が剥げている。

東南アジア・ミャンマーにあるザガイン山日本人墓地。ここにある約7000名の戦没者の碑銘が劣化して読むことができなくなっております。また、日本人の建立者や管理者が来られなくなってしまい、ミャンマー人の管理者もどうしていいのか分からず困っている状況です。

※ よーく見ていただくと、うっすらと人名が読むことができる。


※ 日本語だけの説明書きのため、現地の人や外国人は読むことができない。


※ 「鎮魂」の文字もうっすらと読むことができる。


※ 白い漆喰の部分も剥げてきている。


・厚生労働省とザガイン山保存委員会の許可を取得できた。

こうした事業を管轄している日本の厚生労働省とザガイン山のミャンマー人管理者からお願いしたら、幸運にも許可を得ることができたので、修復してみようと思い立ちました。


・お墓の存在の認知度が低い。

このお墓は元日本兵が日本とミャンマーの歴史・文化の相互理解を深める目的で建立されました。しかし、日本人観光客はおろか、現地のミャンマー人にもお墓の存在が忘れられてしまっています。

戦争の歴史を今に伝えているこの慰霊塔は、現代の日本人たちや後世に伝えていくことのできる存在であると確信しております。今回のプロジェクトを通して、このお墓の存在知ってもらうきっかけをつくり、また、多くの方に近くまで来られたら少し足を延ばしていただき参拝していただきたいと思います。



❺お墓を修復することで、どんな意味を持つのか??

・先人と現地の方たちの想いを次世代につなげる。

「日本人が参拝に来なくなって久しい」とミャンマーの方によく言われます。日本人がミャンマー式の慰霊塔を建立して40年が経った今、修復する必要が出てきたのに私たちが何もしなければ、その負担は現地の方々の負担になってしまいます。或いは負担しきれなくなった場合に取り壊されてしまう可能性も含むため、今直しておくべきではないのでしょうか。

そして先代の方々が亡き戦友を偲んで建立されたこの慰霊塔を、今の私たちが修繕して輝きを取り戻すことで、次世代に戦争の歴史だけでなくこれまでこの地を訪れたみんなの思いを語り継ぐことができるようになると考えています。

※ザガイン山は山の形がカエルに似ているため、カエルを祀っています。お寺の管理者の方が説明してくださっている様子。


・ミャンマーと日本の相互理解を深めたい。

ミャンマーにおける経済成長は目覚ましく、日本はミャンマーから様々な点で頼りにされていることは実際に現地の人と話す中でよく分かります。そのためには相互理解は欠かせなく、その根底にあるのは今までの歴史であり、互いの国の歴史を尊重し合っているのかどうかも大切なことだと思います。

第二次世界大戦中、ミャンマーにおけるイギリス軍との戦いのため、約10万名の日本人がインパール作戦という作戦に動員されました。しかし、その8割強が犠牲となり、ミャンマーの地で戦死または病死をしており、このザガインより北西にかけての道を白骨街道と呼んでおりました。そうした歴史を最低限知っておくことで、ミャンマーのことを本当の意味で分かりあえるのではないのでしょうか。


※ 2回目にザガイン山保存委員会の方々とお会いしたときの様子


❻これまでの活動

2019年11月

・ 厚生労働省より修復の許可を得る(資金援助はできないことも知る)。 

12月7日   

・ ザガイン山寺院保存員会の会長からの修復許可を得る。

12月22日  

・ 修復の見積もりなどを行う。

・ 修復に約60万円ほどの費用が必要なことも判明

12月28日

・ まず、墓碑銘(戦没者の方々の名前)の修復(約2万円)を支払う。

※ セックーパン ピンク色の部分が花のようですが、実際は葉の一部となっているミャンマーでは代表的な花の木


❼資金の使い道・実施スケジュール

水性ペンキ(金)      120万MMK 87,600円
水性ペンキ(白)      130万MMK 94,900円
油性ペンキ(金)       20万MMK 14,600円
ペンキ削り          10万MMK 7,300円
足場のやぐら(竹製)     70万MMK 51,100円
労務費(運送費等)     350万MMK 269,230円
石碑(ミャンマー語説明書き) 90万MMK 69, 230円 
銅板(記念碑)       128万MMK 98,500円   
合計            918万MMK  706,153円

・「All in」方式

目標金額に達することができなかったとしても、お墓の修復はできる範囲で行いたいと考えております。


2月22日更新

当初の目標金額であった70万円を越えるご支援をいただきまして、ありがとうございます。

せっかくなので、塗装以上にできることを行いたいと考えており、お寺の方々ともお話をさせていただきました。

その際のネクストゴールといたしまして、ご焼香台及び献花台の設営や日本語しかない看板などの説明書きにミャンマー語もしくは英語で翻訳しようと考えております。そのため、70万円にプラス7万円ほど追加させていただき、77万円を目標とさせていただきまして、2月25日(火)日本時間午前0時を以って締め切ることにさせていただこうと考えております。

また、余った資金につきましては、お寺の方に寄付をさせていただくご予定です。


❽リターンのご紹介

・1,000JPY ザガイン山と修復後の日本人地のポストカードにお礼の気持ちを日本語で書いて、送らせていただきます。 お届け予定日:2020年5月末
・3,000JPY ザガイン山と修復後の日本人墓地のポストカードにお礼の気持ちを日本語で書かせていただきます。さらにお寺からお礼状をミャンマー語と日本語で書いて、送らせていただきます。 お届け予定日:2020年5月末
・5,000JPY ザガイン山と修復後、お寺からお礼状をミャンマー語と日本語で書いて、送らせていただきます。また、日本人墓地横に建てる修復記念碑にお名前を刻ませていただき、その写真を送らせていただきます。 お届け予定日:2020年5月末
・10,000JPY ザガイン山と修復後の日本人墓地のポストカードにお礼の気持ちを日本語で書かせていただきます。さらにお寺からお礼状をミャンマー語と日本語で書いて、送らせていただきます。 また、日本人墓地横に建てる修復記念碑にお名前(大き目)を刻ませていただき、その写真を送らせていただきます。 お届け予定日:2020年5月末

(★※5,000JPYと10,000JPYの寄付をしてくださった方におかれまして、修復記念碑にお名前をご記入させていただくにあたり、備考欄にご希望のお名前をご記入くださいますようお願いいたします。お名前はアルファベットになりますことをご承知おきください。)


最後に

当初は私たちだけでなんとかしてみようかと考えていました。

しかし、クラウドファンディングを通して、多くの方々に知っていただけたり、関わっていただくことで、

「ただのお墓の修復」が「ミャンマーと日本の相互理解」につながっていくのではないのかと思い始めました。

ミャンマー人からすれば、日本統治時代は良くないものであり、

「昔の日本人は『バカヤロー』ってミャンマー人を往復ビンタしていた。」

「昔の日本人は『はい、マスター』ってミャンマー人に言わせていた。」

という声をよく耳にします。

しかし、そうした歴史から、ミャンマーと日本の相互理解の一つの形として、1976年(昭和51年)に元日本兵の方が慰霊塔としてミャンマー式のお墓を建立しました。

そのお墓を修復することは先人たちのリレーのタスキを次世代につなげることであり、相互理解のタスキリレーでもあると思います。

クラウドファンディングとしてご支援していただくかどうかに関わらず、

近くまで来られた際には一度来訪していただき、お手を合わせてもらえたらと願って止みません。

< プロフィール >

 清 水  啓 (しみず けい)

1988年1月 埼玉県にて出生

2011年3月 國學院大學文学部卒業

2011年4月 法務省矯正局小田原少年院にて法務教官として採用

2018年1月 JICA海外協力隊として二本松訓練所にてミャンマー語の訓練

2018年4月 JICA海外協力隊としてマンダレー少年訓練学校に配属。

2020年4月 日本に帰国予定


  • 2020/04/01 20:57

    3月27日に慰霊碑の修復と寄付金の支払いが完了しました。今回、約600万チャットを寄付しまして、合計850万チャットをお寺に寄付することができました。これを以てお寺の修復活動は終了しました。今回の修復箇所としては以下の通りです。①慰霊碑白のペンキと金のペンキを塗り直しました。② 記名部分の塗り...

  • 2020/03/15 01:45

    3月1日ザガイン山に菩提樹(ミャンマー語では「マハーボーディーピン」と呼ばれています)を植えに行きました。こうした寄付を行ったときは菩提樹の木を植えることが習わしのようです。そのことを教えていただき、植えさせていただきました。このような形で植えさせていただきました。その意味としては、元々菩提樹...

  • 2020/02/21 17:10

    みなさまからご支援いただき、70万円を上回る金額を現在支援いただいております。そこで、次なるネクストゴールを設定したいと思い、お寺の方や仲間たちとお話をいたしました。①お焼香台と献花台を設置したい。1m程度の高さの台座を設定させていただきまして、そこにお線香やお花を添えることができたらと思って...

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