そのニュースを、震源地から700キロ離れた北海道の中富良野駅あたりを旭川に向かって走行中に聞きました。それが三陸での慰問展の始まりでした。

▼はじめにご挨拶

夫婦二人だけのスタッフで続けてきた「宮竹眞澄・心のふる里人形展」が、何とか軌道に乗りかかってきた2011年3月11日、富良野で打ち合わせを済ませ、車で旭川に向かっている時に、NHKのラジオから緊急地震速報が流れてきました。大したことなければいいがと思いつつ、信号待ちでで車を停車させた時、震源から、はるかに遠いはずなのに、車が跳ねるように数度揺れたのです。

不気味な驚きと恐怖で、心がザワザワと音を立てるような、不思議な感覚を覚えました。そして頭をよぎったのは、2週間後に迫っていた札幌での人形展のこと。開催できるかな、もし開催できても来場者がいるのだろうか‥‥不安。

不安は現実となり、大きな期待をもって準備していた札幌展の来場者は少なく、私たちの活動も大きなダメージを受けることになりました。しばらくは人形展活動は無理かもしれない。傷心のまま迎えた8月の盛岡展の会場で、私たちは多くの被災された方と出会い、逞しく生きようとする姿から多くの感動と明日への勇気をいただきました。そして多くの方から掛けられた言葉。

「この人形を三陸の被災地にも持って行って!」


(2012年気仙沼港)

それからでした。東北での人形展の帰路に、たとえ1日でも人形を広げ、慰問展を開催しようと決めたのは‥。以後、毎年一回、この慰問展を夫婦二人だけのスタッフで続けてきました。


(第一回は気仙沼市民会館)

今年は、東北での人形展の予定がなく、慰問が途切れてしまってもやむを得ないかな‥。そんな時クラウドファンディングのことを知り、多くの方から協力を得て開催できれば、もっとたくさんの人形をもっていけるかもしれない。

そしてより多くの人のご協力で、より大きな人形展にし、私たちだけでなく、ご協力いただいた皆様の気持ちのこもった、いわば皆様が主催者でもある人形展が開催できるのではと思いこのプロジェクトを始めます。

▼このプロジェクトで実現したいこと

(慰問展を継続させる)
震災の翌年から毎年途切れることなく続けてきた人形作家・宮竹眞澄による復興支援のための人形展、今年は事情により、諦めていた人形展の開催を実現したい。

(長期間で出展数も多く)
東北での人形展の途中でほんの1~2日の開催しか出来なかった慰問展、それでも多くの方が人形たちに涙した慰問展を、より長期間で出展数も多くして、三陸沿岸の被災された人たちの心を癒す慰問展にしたい。

(多くの人が主催者になる)
このファンドを募ることによって、まだまだ復興道半ばであることを多くの人に知ってもらい、ファンドに協力してくれたすべての人が、いわば主催者となる人形展にしたい。

(4年ぶりの気仙沼で開催)
開催するのは、4年ぶりとなる気仙沼市民会館。三陸沿岸で最初に行った気仙沼で多くの人に出会うことが出来ました。その方たちとの再会も楽しみな、気仙沼で賑やかな人形展を開催したい。

▼プロジェクトをやろうと思った理由

復興支援のための人形展をやろうと思ったのは、震災から半年もたたないで開催した盛岡展で、大槌町から避難されいた老婦人に出会い、思い出のある何もかも流されたしまった境遇に心を動かされ、会場で出会った多くの人からこの人形の笑顔を、三陸沿岸の被災地にも届けてほしいと言われたからかもしれません。


(市民会館の会議室からスタート)

翌年の一関市で行った人形展の帰りに、気仙沼市民会館の会議室を使って、第一回の慰問展を行いました。早朝に、一関から人形と共にレンタカーで気仙沼に向かい、着くと同時に会議机を並べ、白布を敷き、人形を並べ、慌ただしく午後1時から開場したことが昨日のように思い出されます。


(熱心に見つめる人)

前もっての告知は三陸新報さんの行事案内と、会場近くの仮設にお住まいの方へのチラシ配布だけで、それでも初日の午後だけで100人近くの方が来場されました。また地元の新聞社2社も取材に来てくれて、予想外の人形展に驚きの表情だったのが印象的でした。翌日は最終日なので、早くの掲載をお願いし、三陸新報さんは翌日の朝刊に写真入で掲載してくれました。

 

翌日は、撤収作業もあって午後3時までしか開場できませんでしたが、朝刊を見た方や、前日来場された方たちの口コミもあり、300人を超える人に来場いただき、小さな会議室が溢れかえるほど。震災直後にこの市民会館でともに避難生活をしていた方が、それ以来の再会をこの会場で果たされたり、人形を見つめるまなざしは他の会場にないもの、そして多くの方からいただいた、元気を貰った有難うの言葉‥‥。まさにこの人形展の原点がそこにありました。

それから、私たちは毎年三陸沿岸を訪れ、多く方に出会い、復興し変貌する被災地を見てきましたが、まだまだ復興も道半ば、多くの傷ついた人たちの心を癒すことが出来るなら、そして、この人形展で元気を貰ったと言っていただけれる人がいる限り、続けたいと思っています。

▼これまでの活動

三陸での慰問展は過去5回開催し、各々1~2日間の短期間で、十分な告知もない開催ですが、約2000人に方にご覧いただき、多くの喜びと感動の言葉をいただいてきました。。

2012年気仙沼市民会館、
    石巻市河北総合センター


2013年気仙沼市民会館

 
2014年大船渡市猪川地区公民館


2015年大船渡市リアスホール

2016年陸前高田市コミュニティーホール

 

で開催してきました。

▼資金の使い道

復興支援の人形展開催のために使います。

会場費、印刷費、旅費交通費、輸送費、会場の設営撤去費に使います。
宿泊滞在費は自己負担とし、必要最小限度を目標金額とします。

目標金額を超えた分は、次の慰問展の開催等のために使わせていただきます。
収支のご報告は「宮竹眞澄の人形工房」のホームページ(下記)に掲載します。
(URL:http://www7a.biglobe.ne.jp/~miyatake/)

▼リターンについて

すべての方の名前を復興支援展の会場に掲示します。ご協力者名簿を作り会場に掲示(名簿掲載に同意いただいた方に限ります)させていただく他に、以下の以下のリターンからお選びください。

①「2017気仙沼慰問展の記録」
会場の写真、出品作品リスト、このファンディングにご協力いただいた方の名簿、ご来場者が残された言葉などをまとめた小冊子。
慰問展が終わってからの作成になりますのでお届けは5月になります。

②「ポストカードセット」(12枚組)
深山治氏撮影の「自然の中の人形」シリーズから作成したポストカード(12枚)です。全47枚の中から人気のベスト12枚を選びました。

③「宮竹眞澄・心のふる里人形展・ メンバーカード」
このカードを提示することで「宮竹眞澄の人形工房」が主催する人形展に無料で入場出来るようになっていますので、お近くで開催の折にご利用ください。有効期限は無期限です。

▼最後に

震災の翌年に行った慰問展では、会場に入って直ぐに帰られる方が何組かいました。何も言わずに立ち去られた人々は、きっと、人形を見ていて、つらい気持ちになったのでしょう。まだまだ震災の記憶は人々の心に生々しく残っている現実を見た思いでした。震災から5年が経過し、訪れるたびに目に見えて町は道路は変貌し復興しています。けれど心の復興はまだまだ、そんな被災された人々の心の復興にこの人形展が役に立てば、また、4年前に行った気仙沼でこの人形展を、色々な思いで見られた方の心の変遷にも触れたくて、皆様のご協力で2017年も三陸(気仙沼)での慰問展を続けたいと願っています。

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