▼プロジェクトの原点

 

「デリーの売春宿では、1日70~80人の相手をさせられました」 

「夜、寝ていると、村の男性たちが窓から入ってきて、体じゅうを触ってくるんです」

「村ではいつ自分も売られるのかと、いつもびくびくしていました」

 そう語るのは、まだあどけなさの残る9歳や12歳の少女たち。2年ほど前、ネパール・バディ族の少女たちに起こっている現実を知り、言葉を失いました。私自身も3人の子を持つ親として他人事とは思えず、胸が引き裂かれるような思いで話を聞き、涙ながらに「自分にできることをする」と決意したことが、このプロジェクトの原点になっています。

▼ごあいさつ

 申し遅れました。ゴスペル・エイド・フォー・アジアの佐藤美香と申します。まずは、数ある中から私たちのプロジェクトに興味を持ってくださったことに感謝します。ありがとうございます。 

 私たちゴスペル・エイド・フォー・アジアは、ネパール・バディ族の少女たちの保護や教育を支援するために、2016年6月に立ち上げ、活動を開始したNGO(非政府組織)です。 

 「ゴスペル」という名を冠しているのは、私がもともとゴスペルシンガーとして、みんなでゴスペルを楽しむことをモットーに活動してきたというバックグラウンドがあるからです。あるときネパールの惨状を聞き、「まずはゴスペルの仲間たちから支援の輪を広げていこう」と思い立ち、「ゴスペル・エイド・フォー・アジア」を立ち上げたというわけです。 

 そんな団体がなぜ、支援のための「カフェ」をつくろうとしているのか。そこで、何をしたいのか。まずはネパールで起こっていること、そして私たちがこれまで行動してきたことを順を追ってお話させてください。

▼にわかには信じがたいネパールの少女たちの現状

 ネパール西部に暮らす、極貧の民族。それが、バディ族です。ヒンズー教のカースト制度の最下層、もっとも差別される「不可触民」と呼ばれる人たちです。法的なカースト制度はすでに禁止されているのですが、今なお色濃く影を落としています。バディ族は、生まれながらにして教育、医療、社会的地位とは無縁。つまり、そこに生まれたというだけで、極貧の一生を送ることが運命づけられているのです。そんな彼らが生計を立てるための手段が、人身売買・強制売春。大半の女性が、体を売ることを強制されています。初潮前の幼い少女ですらも、デリーやムンバイなどの売春宿に連れていかれます。

下記は、現在は保護されている少女たちの、当時の証言です。

●いつも、売春宿に売られる恐怖に怯えていました。/ハンナ・バディさん

 私はバディ族の貧しい家に生まれました。姉が3人、妹、弟、両親の8人家族です。姉たちはとても若く結婚しました。そして、義理の兄は一番上の姉をインドに売ってしまいました。兄はいつも脅すので、両親は反対することすらできませんでした。2人の姉も結婚しましたが、夫たちはよく姉たちを殴り、ひどい扱いをしていました。

 今でもバディ族の約75パーセントは売春婦です。結婚している女性でさえ、売春をしに行きます。また村には多くのブローカーがいて、若い女性を売春宿へと連れて行きます。一方、村の男たちも私達を性の奴隷と見なしています。私達を邪険に扱い、体を触って辱めます。そのため私たちは年頃になると、恐怖におののきながら暮らさなければなりません。いつも、買収宿に売られる恐怖にさいなまれていました。

 私は父に、学校に行かせて欲しいと頼み、ついに学校に行くことができました。しかし、登下校のためバスに乗ると、運転手や車掌が私達をののしったり、体を触ってきたりしました。たくさんの男子が私をレイプしようと狙っていました。いつも逃げ回っていました。父は優しく、家の物を全部売ってでも私に学校を続けさせると言ってくれました。

 また、家にいても、誰かが入って来て、私に乱暴するのではないかという恐怖が常に付きまとっています。皆、私の体を触って楽しんでいました。村人はいつも父に、私といくらで寝られるのかを尋ねていました。

 病院でも、医者たちは私達を差別しました。ある時、私は脳に水がたまり、父は借金をして私を病院に連れて行ってくれました。医者は父を部屋の外に出し、私に服を脱ぐように言いました。服を脱ぐと、医者は私をレイプしようとしたのです。私の体中を触り、私を犯そうとしたのです。私は大声で叫んだので、医者は服を着るように言いました。父 にその事を話すと、医者は上の階級の人なので、恐れて、私に黙っているように言いました。もしそんなこ とを言ったら、逆に私たちが責められて私が治療してもらえなくなると言いました。

↑青い服の少女は、最初に救出された34名の少女のうちの1人。歓迎の印として、布を首にかけてくれました。(バディガールズの写真等は規制がかかっており、顔は出せないことも多い)

●12歳のとき、売春宿に閉じ込められました。/チャンドラカラ・バディさん                                  

 私は6才の時、インドで両親、既婚の姉、弟、妹と暮らしていました。9才の時、母は別の男性と結婚し、私と姉夫婦を残して、妹を連れてネパールに帰って行きました。姉の夫が私と寝ることを要求したため、拒みました。すると、義理の兄は怒って、私を殴りました。姉は家を出ていきました。ある日、友達と4人の男と一緒に買い物に行きました。移動中、男たちが酔い止めの薬をくれ、4錠をいっぺんに飲むように言われ、意識がなくなりました。麻薬だったのです。私が目を覚ました時には、彼等はいませんでした。私は10万ルピー (約18万円)で売られていました。

 翌日、売春宿の店主は私に短いドレスを着せ、化粧を施し、髪を短く切りました。一人の男が12才の私を選び、お金を渡すと、店主がコンドームを渡し、金を受け取るように言い、私とその男を部屋に行かせました。男は私に服を脱いで横になるように言いました。背中を噛み、体に触り始めました。私は抵抗して、叫びました。私が拒むと、店主と警備の男たちが両手両足を押さえ、その男に私を犯させました。私は叫び声をあげ、出血しました。店主は私を殴り、言うことを聞かせようとしました。月に5千ルピーを渡すと約束もしましたが、お金をもらったことは一度もありません。

 私はその後、1年半売春宿に閉じ込められ、店主は私に酒を飲ませて一度に多くの男と相手をさせました。多い日は1日60人の相手を強いられました。そして毎日殴られていました。私はそこにいる間、いつも両親に会いたくて仕方がありませんでした。その後、別の場所に移され、そこで1日に70人から80人の相手をさせられていました。

▼彼女たちを救出・保護する団体がある

 上記のような惨状を目の当たりにし、彼女たちの救出、保護に乗り出した団体があります。それが、ライトハウスファンデーション・ネパールです。ライトハウスファンデーション・ネパールは、ネパールの貧困層および孤児の教育・保健医療に取り組む、ネパール政府に承認、登録されているNGO(非政府・非営利組織)。

↑ライトハウスファンデーション・ネパール代表のラジュ・サンダス氏(真ん中)

 代表のラジュ・サンダス氏が中心となって少女たちの救出と保護に乗り出し、2009年に彼女たちの新しい「家」であり「学校」となる「バディガールズホーム」を設立。現在までに10個のホームが設立され、600名以上の少女たちがかくまわれ、保護されています。それだけではありません。彼女たちの自立を助けるために、読み書きをはじめとする教育や、縫製などの技術指導なども行っています。

▼私たちが支援活動を始めたきっかけ

 2年前、ラジュ・サンダス氏と共に「バディガールズホーム」の立ち上げに尽力されたタッチング・アジアの創設者・ガブリエル・ホーカン氏が来日された際、お話を伺う機会がありました。そこで初めて、ネパール・バディ族の存在や、そこで暮らす少女たちの置かれている悲惨な状況を知りました。

↑ガブリエル・ホーカン氏

 バディ族全体が売春の民族として広く知られ蔑まれ、学校ではいじめに会い、まともに学校に行くこともできないということ。そうすると、十分な教育を受けることができず、生計を立てるには身を売るしかないということ。そんな悪循環があることに衝撃を受けました。

 しかし、その悪循環を断ち切るため、アウトオブアッシズ(灰からの脱出)プロジェクトという名前で、少女の救出・保護・教育が始まっていることが、希望となりました。

 私も、3人の子を持つ親。他人事では済まされない思いでこの話を聞き、1年前にようやくバディガールズと対面。彼女たちと触れ合い、希望を見いだし、私たちが何をすべきかが、そこで明確になりました。

↑日本からの支援について話をするラジュ氏と、話を聞くバディガールズ

▼支援の輪を広げ50万円以上を寄付

 そうした経緯で2016年6月に立ち上げたのが、ゴスペル・エイド・フォー・アジア。立ち上げ以降、全国各地でゴスペルを通じたチャリティワークショップやコンサートを開催し、さらに私たちの活動に共感し、毎月500円ずつを継続支援してくださる「バディフレンズ」も募集。これまで56名の方が輪に加わってくださいました。結果、寄付金・ワークショップ・コンサートへの参加費・グッズ制作販売を通じて、これまでに計63万6,075円をバディガールズに寄付することができています。

 現在もなお支援の輪は広がっており、2017年秋には神戸の関西学院大学で、2018年には東京において、それぞれゴスペルチャリティコンサートを予定しています。この支援に呼応するカタチで、多くのゴスペルアーティストの方々もチャリティコンサートへの出演に手を挙げてくださっています。

 また、より安定的に支援を続けていくために、6月からは任意団体ではなく、より社会的信頼性のあるNPO法人として再スタートを切ります。

↑チャリティコンサートの様子

▼バディガールズが育てた珈琲を販売する世界初のカフェ

 私たちがなぜ、支援活動の一環としてカフェをつくろうとしているのか。理由は4つあります。

1、コーヒーを飲むことが、支援になる。

 このカフェで提供する豆は、バディガールズがパック詰めして日本へ送ってくれるもの。このコーヒーを消費することが、バディガールズの雇用を生み出し、人身売買をストップさせることにつながるのです。この豆は、「30秒カフェ」という名前で市場に出回ることが決まりました。なぜ30秒か?それは、「30秒に1人が性奴隷として売られている」ことに由来します。このコーヒー豆を買い、飲むことが、売られるはずだった少女を救うことになるのです。

2、カフェの売上が支援になる。

 カフェではコーヒーや軽食のほか、バディガールズのハンドメイドの雑貨の販売も予定しています。売上の一部をバディガールズの医療費・学校の制服代や教科書代として寄付したいと考えています。

3、この問題を知ってもらうきっかけに

 カフェは、「バディカフェ」という名前にする予定です。「知る」ことが、支援の始まり。「あそこへ行けば必ず、バディガールズの情報がある」という確かな場所をつくり、発信をし続けることで、一人でも多くの人にバディ族の現状を知ってもらえればと思っています。

4、活動拠点にしたい。

 今、ゴスペル・エイド・フォー・アジアには、活動拠点がありません。より継続的な支援を行うために、このカフェを拠点としながら活動をしたいと考えています。定期的なミーティングやイベントなどを開催するにあたっても、重要な場所になります。

▼目標金額の内訳

 改装費用 100万円

 店舗賃貸初期費用 20万円

 居抜き譲渡金 100万円

 仕入れ 20万円

 合計240万

 まずは、100万円を目標にあつめ、足りない分は自己資金でまかなう予定です。

▼ビジョン

 このカフェの開業は、私たちにとっては夢への第一歩。

 カフェの運営を通じてバディガールズの現状を知ってもらい、コーヒーを提供・販売することで賃金を、そして雇用を生み出し、売上を寄付していく。そんな活動が軌道に乗ってきた暁には、このカフェを現地へ持っていき、直接バディガールズを雇用し、教育し、自立を促せるような存在になりたいと考えています。

 また、バディガールズは踊りと歌が得意な民族です。彼女たちを日本に招き、共にゴスペルコンサートを開催することを夢見ています。

▼最後に

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。これまで600人ほどのバディガールズが保護されてきましたが、バディ族のなかだけを見ても、ましてや世界を見渡したときには、それはまだまだ氷山の一角にすぎません。「30秒カフェ」というコーヒー豆の名前が意味するように、世界では30秒に一人が性奴隷として売られているのですから。

 しかし、私たちは絶望していません。私に、そして私たちにできることは多くはないかもしれません。でも、私たちがきっかけとなり、一人でも多くの人に知ってもらうことで、私たちのように小さな行動を起こす人が増えれば、現実は変えられる。いや、変えていかなければいけない。そんな、祈りにも似たような気持ちが原動力となっています。

 少女たちを人身売買や強制売春から救う活動ーアウトオブアッシズプログラム-の代表であるガブリエル・ホーカン氏は言いました。 

「世界には、まだ奴隷として囚われている多くの人々がいる。しかし、世界中の人々が1ドルを奴隷解放のために寄付するなら、世界から奴隷は消すことができる」 

と。

 そして何より、「運命は変えられる」ということを、救出されたバディガールズたちの笑顔が教えてくれています。ネパールをはじめ、アジアから人身売買という悲しい現実をなくすために、私達は前進を続けます。あらゆる方法を模索しながら。

 あなたにとって、このプロジェクトが何かのきっかけになれたら嬉しいです。そしてもし、この活動の輪の中に入ってくださるのなら、これほど嬉しいことはありません。共にここから、現実をひとつ、またひとつと変えていきましょう。

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